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オイナカムイ伝  作者: 日川文月
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閑話5 天然痘

天然痘は、痘瘡(もがさ/とうそう)疱瘡(ほうそう)ともいうウイルス感染症である。

感染力が非常に強く、全身に膿疱を生じ、致死率も20~50%と非常に高い。

仮に治癒しても瘢痕(あばた)痘痕(とうこん)を残す。

正確な起源は不明であるが、最も古い天然痘の記録は紀元前1350年のヒッタイト・エジプト戦争の頃であり、紀元前500年頃にはイスラム圏、ヨーロッパ圏に広がった。

コロンブスの上陸以降、カリブ海諸島、新大陸に侵入し、免疫のなかった先住民族に激甚な被害をもたらした。

久しく流行状態が続く旧大陸の住民にはある程度の抵抗力があったが、先住民族は全く抵抗力がなく、所によっては死亡率が9割にも及び、全滅した部族もあった。

他にも麻疹や流行性耳下腺炎(おたふく風邪)などがヨーロッパから渡った。


新大陸の二大帝国であったアステカとインカの滅亡の要因の一つである。

西暦1520年頃のエルナン・コルテスの侵攻軍によって、アステカに天然痘が持ち込まれ瞬く間に大流行を起こした。

モクテスマ2世に代わって即位した新王クィトラワクの病死がアステカ帝国にとっては悲劇だった。

その後も猛威を振るい、イスパニアによる圧政や強制労働、麻疹やチフスなど他の疫病も相まって、征服前の推定人口2500万人から16世紀末の人口はおよそ100万人にまで減少した。


インカ帝国においては、カリブ海沿岸地域から持ち込まれ、西暦1527年頃には南部で大流行。

当時のインカ皇帝と皇太子がともに死去すると王位をめぐる二人の王子の内戦で国力が疲弊し、イスパニアのフランシスコ・ピサロによる征服を許す結果となった。

さらに他の疫病も大流行し、先住民人口の激減を招いた。


日本には中国大陸との交流が盛んになった頃から渡来したと考えられる。

天然痘に対する有効な予防法である種痘は、西暦1578年(皇紀2238年)頃から日本皇国およびアイヌ民国で始まった。

アイヌの神であるオイナカムイが日本皇国の典薬寮(てんやくりょう)(医薬研究所)に伝えたとの伝承がある。


日本皇国が北方シベリア地域や南洋諸島、ウルル大陸、新大陸に遠征軍を送った時には、全ての軍兵が種痘を受け、行く先々で先住民族に種痘を受けさせたのは有名な話である。

石鹸による衛生管理や、流行病に関する対処法なども丁寧に教えたと記録がある。

日本皇国の遠征地域では、すでに甚大な被害もでていたが、それ以上の被害を防いだことで人類史上最も偉大な軍事行動とたたえられている。


その後、典薬寮は他疾患の病因解明に力を注ぎ、結核やインフルエンザなどのワクチン療法も開発している。

その活動は世界各国での防疫や疾病予防、治療における手本となっている。

現在、天然痘は唯一根絶に成功した人類に有害な感染症である。


日本皇国が免疫療法にこだわる余り抗菌薬開発が遅れたという指摘もあるが、今日、抗菌薬耐性菌の問題も出現しており、その功績も見直されている。

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