第22話 天正改元
元亀4年(1573年)7月。
足利義昭が挙兵。
史実では三好・松永、武田、浅井・朝倉の挙兵に合わせて挙兵するはずだったが、武田がすぐさま攻略され、三好・松永、浅井・朝倉も次々に下され、振り上げかけた拳も下ろさざるを得なかったのだ。
幕臣は親信長派と反信長派に分裂していた。
親信長派の細川藤孝らが必死に諫めて事なきを得たが、耳の痛いことを言われた義昭から遠ざけられることにもなった。
「上様に何を言っても・・・。
こうなれば致し方ないわ」
細川藤孝は、足利将軍家の将来を思って不遇の時代も支えてきたが、もはやこれまでと、密かに明智光秀と向後を示し合わせていた。
望みはただ一つ、義昭の命を助けて欲しいということだけだった。
密かに京を抜け出て、巨椋池の島に築かれた南山城の要害であり、義昭の近臣・真木島昭光の居城である槇島城に立て籠もったのも、幕臣達への裏工作だった。
反信長派の中にも、織田包囲網の瓦解でもはやムリだと思う者は多い。
信長はすぐさま槇島城に布陣、秘密兵器を試すことにした。
「多分、一発で壊れると思うんやが・・・」
「それでいい、その一発で白旗を揚げるわ」
「はあ」
試作中の五寸大砲、二十町先の的も狙い粉砕する威力がある。
その一発で城の石垣が崩れた。
恐怖した義昭は信長に講和を申し入れ、武装解除されて京から追放された。
洛内で戦闘は起きず、公家や朝廷は安堵したらしい。
もし、史実通りの経過なら京は火の海に包まれるところだった。
義昭は三好に送られ、三好から毛利に押しつけられた。
備後鞆はかつて、足利尊氏が光厳上皇より新田義貞追討の院宣を受けたという足利氏にとっては縁起の良い地ではある。
輝元ら毛利氏に庇護されていたこの時期の室町幕府は、「鞆幕府」とも呼称されるが、毛利氏にとっては良い迷惑だったに違いない。
足利と決別した元幕臣、細川藤孝らは明智光秀の与力となり、京支配に携わることとなった。
朝廷から従三位右近大将に任ぜられた信長は改元を奏上。
7月28日には元亀から天正へと改められた。
足利氏が武家の統領から転落したことを如実に示すことだ。
義昭が悪いと言うことではなく、すでに足利幕府は過去の遺物になっていた。
もし、義昭が足利という呪縛から逃れられていたら・・・。
「まあ、ムリやな」
今更ながらルビ振りを覚えました。とほほ。




