第20話 武田・浅井・朝倉
元亀3年(1572年)3月。
足利義昭に教唆された三好義継・松永久秀が織田信長を裏切り、織田方の畠山昭高や細川昭元と河内・摂津方面でにらみ合いが続いている。
史実とやや違ってきたのは、信長の戦略変換で、明や南蛮との貿易に頼らずとも戦略物質が大量に手に入る道筋が手にあり、西の重要度が下がっていた。
三好・松永は捨て置き、5月には徳川織田遠征軍が駿河から武田領に進攻、呼応して美濃・尾張からも進攻した。
武田信玄の横死を隠匿した武田勝頼は、重臣達と対立して満足に動けない。
強兵で恐れられていた武田軍も後手に回ると力を出すことなく、各個撃破され武田勝頼は屈服、信濃は織田に、駿河・甲斐は徳川家に支配されることになった。
武田軍は解体されて、武将の多くが織田徳川に組み込まれ、武田宗家の武将と家族60余名は遠くに追いやられたのだった。
「よろしくお頼み申す」
「まあ、勝ち負けは武士のなんとかやし、疲れたやろゆっくりしたって」
「はあ」
「アイヌは平和主義や。
織田様からなんて言われたか知らんけど、奥羽を北から攻め切り従え、越後と関東を圧迫していくのがあんさんらの仕事や」
「冬になるのに?」
「ひゃはは、装備はわいらが整えるさかいな。
まずは家や、アイヌではチセと言う」
「ほう、なんじゃ石の家か・・・ん、窓がギヤマンでござろうか」
「2重になっとるから明るいけど冷えんよ、勝手は違うやろけど」
「「「ほう~」」」
台鉋による板材の仕上げが緻密な加工を可能にしていた。
レンガ館の内装は角材の柱や梁に床も天井も断熱材入りの板張りに進化している。
部屋割りもしっかりした2階建てにもなった。
囲炉裏の代わりにと、各部屋を蒸気が巡る鉄製の骸炭汽缶暖房装置を開発していた。
武田を下して6国を確保した織田徳川連合は以後有利に攻略を進めた。
三好・松永を撃破し、三好は四国に撤退。
松永久秀は名物茶器・平蜘蛛を差し出し信長に恭順と変わり身の早さはさすがだ。
さらに、浅井朝倉連合軍の諸将を調略、切り崩して、ついには屈服させた。
「「よろしくお頼み申す」」
「まあ、勝ち負けは武士のなんとかやし、疲れたやろゆっくりしたって」
「「はあ」」
浅井・朝倉宗家の武将と家族100余名も遠くに追いやられたのだった。
「アイヌの暮らしは快適でござる、狩りでは頼りにされておる」
「武田殿・・・」
「住めば都と申すが、今後奥羽を北から攻め切り従え越後と関東を圧迫していく、国主になる道も残されておるわけじゃ。
まあ、織田殿に逆らう気は失せたわ」
「然り、我が嫡男も許された温情があるからのう」
「朝倉殿は裏切りもあり危なかったそうじゃな」
「うむ、身内の恥じゃが・・・」




