第九話 歴代魔王の中に、追放された勇者がいた
恐怖収集炉の横には、古い記録台があった。
スーシャが聖印を重ねると、空中に歴代勇者の映像が浮かんだ。
最初の勇者は魔王を倒したあと、王都で花を浴びた。
翌月には王宮の兵に追われ、森へ逃げ込んだ。
逃亡先で魔族の難民を守ったため、王国は彼を新たな魔王と呼んだ。
俺は映像から目をそらせなかった。
自分が歩いた道を、何十年も前に別の誰かが歩いている。
映像の勇者は、追っ手の前で剣を置いていた。
村の子供が背後に隠れ、彼の袖をつかんでいる。
その仕草を見た瞬間、俺はトトが差し出した桶を思い出した。
時代が違っても、守ろうとしたものは同じだった。
「歴代魔王は、みんな勇者だったのか」
「全員ではありません」とスーシャは答えた。
「ここに残っているのは、王宮が敵として利用した者の記録です。逃げ延びた勇者も、命令を拒んで処刑された勇者もいます」
記録を進めると、和平交渉を提案した勇者の名前に『精神汚染』という赤い印が押されていた。
その翌日の欄には、処刑済みとある。
「魔王を倒しても、戦争を終わらせようとすれば敵にされるのか」
「王国にとって都合の悪い者は、そう扱われたのでしょう」
リリスは映像に映る父の姿を見つめていた。
「父は自分の意思で魔王を名乗りました。魔族をまとめる旗が必要だったから。その責任まで王宮に押しつけるつもりはありません」
俺は頷いた。
父を愛することと、父の罪を否定しないことを、彼女は同時に背負っている。
記録台の奥には、召喚の費用を記した台帳が残されていた。
魔石、武器、食料、軍需商会への前払い。
王家の特別会計から、戦争が終わる前に次の戦争の資金が流れている。
「勇者を呼ぶための金か?」
「いいえ」とスーシャが首を振った。
「召喚より前の日付で、軍需商会へ支払われています。次の戦争が起こることを、王宮は最初から知っていた」
グレンが石壁を拳で叩いた。
「俺たちが国境で死んでいた間に、王都では次の敵を用意していたのか」
誰も答えられなかった。
俺自身、魔王を倒せばすべて終わると信じ、戦地の村で起きていたことから目をそらしてきた。
命令に従って村を焼いた部隊を、俺は一度見逃している。
あの沈黙も、この仕組みを支える小さな石だったのかもしれない。
「帳簿を写そう。怒りだけでは誰も救えない」
スーシャは日付と金額を、リリスは古代文字を、俺は署名と納入先を記録した。
グレンは通路の見張りを引き受けた。
消された勇者たちの名前も、一人ずつ写した。
誰かに呼ばれ、誰かを守ろうとした人間を、番号だけで終わらせたくなかった。
そのとき、記録台の最下段に新しい項目が浮かんだ。
『第七十三代勇者:ルカ・アルディア』
年齢は十二歳。
王家の血を引く少年で、俺の力を移し替える器として登録されていた。
その横にある文字を読んで、息が止まった。
『本人同意不要』
「まだ十二歳なのか」
笑いそうになったが、喉から出たのはかすれた息だけだった。
「俺が命令に従わなかったから、次は従う勇者を作るつもりか」
スーシャが台の下部を調べた。
「力の移植と同時に、拒絶する感情を鈍らせる術式があります。少年を英雄にするのではなく、道具にする仕組みです」
リリスが唇を噛んだ。
「その子には、何の罪もありません」
「分かっている」
俺は冷たい石板に手を置いた。
自分が捨てられることより、その少年が俺と同じ道を歩かされることが恐ろしかった。
王の命令を受けたあの日、誰かがここで俺の名前を読み上げていたのかもしれない。
記録台の隅に、署名のない報告が残っていた。
『第六十八代勇者は捕虜交換を提案。
国境の村で双方の遺族に面会』
次の頁は破られていた。
「この人はどうなった?」
スーシャは索引を探し、指を止めた。
「公文書には『魔族に寝返り、行方不明』とあります。でも別の帳簿では、その三日後に処刑費が計上されています」
リリスが息を呑んだ。
「父が話していました。国境で人間の捕虜を返そうとした勇者がいた、と」
記録は勝者のために書き換えられた。
だが、支払った金までは消せなかった。
「この人の名前を、俺は教わらなかった」
石碑に残る文字を指でなぞる。
教科書には裏切り者としか記されていなかった男にも、助けようとした捕虜がいて、帰りを待つ人がいた。
「次の勇者には、俺たちが見つけた名前を渡そう」
「これを見た人間が、次は口を塞がれないようにしなければ」
「記録の写しだけでは足りません」とスーシャが言った。
「受け取った神殿が一つでも焼かれたら、残りは怖がって口を閉ざします」
「なら、一度に送る」
「鐘楼の魔法陣なら可能です。ただし王宮が停止させるまで、数分でしょう」
グレンが扉の向こうに耳を澄ませた。
「数分稼げばいいんだな」
その言い方は軽かったが、肩には古傷が残っていた。
戦うことしか知らなかった俺たちが、今度は人に読む時間を作るために戦う。
その違いが、妙に大きく感じられた。
俺は帳簿の写しをもう一度見た。
誰かの死を数字で記録した人間がいる。
その数字を隠すよう命じた人間もいる。
けれど、ここまで残した誰かもいるのだ。
まだ顔も知らないその人に、俺は心の中で礼を言った。
今度は俺が、消されそうな名前を守る番だった。
「少年を連れ出す。ただし、先に退路を確認する」
グレンが三つの通路を見て戻った。
「北の階段には衛兵が四人。東は封鎖。西の整備路なら鐘楼の地下水路につながる」
「鐘楼なら、各地の神殿に証拠を送れる」
スーシャの言葉に、俺は記録を抱え直した。
証拠があっても王宮は偽物だと言うだろう。
それでも、調べられる数字と、証言する人間を揃えれば、すべてを隠すことはできない。
突然、警報が鳴った。
記録台の召喚予定日が七日後から今夜へと書き換わる。
「起動を早めたのか!」
「私たちがここにいると気づいたのかもしれません」
スーシャの顔が青ざめた。
そのとき、装置の奥から幼い声が聞こえた。
「……助けて」
俺は壁に耳を寄せた。
鎖がこすれる音がする。
グレンが床の継ぎ目を調べ、リリスが魔力の流れを追った。
壁の石には、小さな爪痕が何本も残っていた。
閉じ込められた誰かが、外へ出ようとして引っかいた跡だ。
俺は自分の手の大きさと比べた。
あまりにも小さい。
「この先に隠し扉がある」
「生きているんだな」
「ええ。まだ間に合います」
俺は剣の柄に手をかけ、すぐに離した。
扉の向こうにいるのは敵ではない。
次の勇者は、俺を殺すために生まれてきたのではない。
そう信じるためにも、まず少年本人の言葉を聞こう。
俺たちは隠し扉を開いた。
暗い廊下の先から、子供の咳が聞こえた。
俺は足を止めた。
魔王と戦ったときよりも、次の一歩が怖かった。
向こうにいる少年が俺と同じ道を歩かされるなら、真実を知っただけでは何も変わらない。




