第八話 王宮の地下に隠された歴代勇者の墓
地下礼拝堂の扉を前に、スーシャは長く祈っていた。
「聖女の役目は、人々に真実を伝えることだと教わりました。でも私たちが守っていたのは、都合の悪い記録を封じる扉だったのかもしれません」
俺は返す言葉を探せなかった。
墓碑の間には埃が積もっていたが、文字だけは不自然に新しい。
誰かが定期的に手入れをしている。
歴代の勇者を忘れさせながら、王宮だけは記録を保存してきたのだ。
「証拠は残しておく必要があったんだろう」と俺は呟いた。
「次の勇者を管理するために」
リリスは父の名を見つけると、しばらく動かなかった。
父がかつて勇者だったと知っても、幼いころの思い出が変わるわけではない。
夜更けに物語を読んでくれたこと。
寒い朝、外套を肩に掛けてくれたこと。
戦場へ行く前には必ず「帰る」と約束したこと。
「父は、魔王になる前から父だったんですね」
彼女の声は、驚くほど静かだった。
俺は最初、墓碑を壊したいと思った。
英雄の名を刻んだ石が、あまりにも冷たく見えたからだ。
しかし、ここを破壊すれば彼らの名を消すのも同じだ。
「持ち帰ろう」と言った。
「名前も、日付も、何が起きたかも」
スーシャが頷き、携帯していた写本紙を取り出した。
記録の転写には時間がかかった。
グレンは扉を守り、リリスは魔力で文字を浮かび上がらせる。
俺は碑文を読み上げ、スーシャが書き取る。
百人を超える名前のうち、何人もが王国の記録では『病死』とされていた。
実際の碑文には『追放』『拘束』『処刑』とある。
歴史とは、勝った側の言葉だけでできているのかと怖くなった。
最奥の装置からは、人が囁くような低い音がしていた。
管の中を赤黒い光が流れるたび、地上から遠い鐘の音が聞こえる。
「恐怖を集める炉……」
スーシャが口元を押さえた。
「戦争が続くほど、力が増す仕組みです」
俺は聖剣を抜きかけ、すぐに戻した。
壊せばよいものと、壊す前に仕組みを理解しなければならないものがある。
スーシャを安全な隠れ家へ移し、俺たちは地下礼拝堂へ戻った。
王都の地下には、城より古い遺跡が広がっている。
「ここから先は、聖女だけが知る通路です」
墓碑の列を進むにつれ、奇妙なことに気づいた。
古い時代の墓ほど、文字が丁寧に刻まれている。
新しい墓は急いで作られたように粗く、討伐の年と王の名だけが目立っていた。
「勇者本人の生まれ故郷は、どこにも書いていないな」
俺が言うと、スーシャは目を伏せた。
「神殿では、召喚された勇者に以前の人生を忘れるよう教えます。帰る場所があると思えば、使命を捨てるかもしれないから、と」
「俺にもそう言ったな」
「……はい。私は、それを正しい教えだと信じていました」
俺は最初の召喚の日を思い出した。
知らない世界の祭壇で目を覚まし、名前を聞かれ、戦う理由を与えられた。
拒む権利があるかどうか、誰も教えてくれなかった。
「お前が悪いわけじゃない、と簡単には言えない。でも、今ここにいるのは、お前があの教えに背いたからだ」
スーシャは静かに頷いた。
リリスは父の名が刻まれた墓の前で動かなかった。
「父は、昔のことをほとんど話しませんでした。人間の歌を知っていて、古い言葉を読めて、時々、知らない町の夢を見ていた。私はそれを不思議に思っていたのに、尋ねませんでした」
彼女は指先で墓の埃を払った。
「魔王だから、最初から魔王だったと思っていたんです」
「俺もそう思っていた」
俺は隣に膝をついた。
「父親を奪った俺に、今すぐ何かを許してほしいとは言わない」
「許すつもりもありません」
即答だった。
しかし、彼女は続けた。
「父が守ろうとした人たちを、あなたが見捨てないかどうかは見ています」
その言葉は、剣で斬られるより重かった。
墓室の奥には小さな帳簿が隠されていた。
石板ではなく、紙の束だ。
各時代の神官が記したらしく、最後の頁には震える筆跡でこうあった。
『第七十二代、処分失敗。
新魔王として指定。
第七十三代の召喚を準備』
「処分……?」
グレンの声が低くなる。
「父上のことを、荷物のように扱っている」
俺は帳簿を閉じた。
記録は持ち出せるが、証言者がいない。
王宮は偽物だと言い張るだろう。
「ここを知っている神官を探そう。書いた本人でなくても、記録の保管方法を証明できる人間が必要だ」
スーシャは頷き、帳簿の封印と頁番号を写し取った。
怒りだけでは真実は守れない。
証拠を、誰にでも確かめられる形にする必要があった。
スーシャが壁の聖印に触れると、石扉が開いた。
内部には無数の墓碑が並んでいた。
数は百を超える。
ひとつひとつに勇者の名と討伐した魔王の名が刻まれている。
「これは……」
俺は最も新しい墓を見た。
『勇者ゼルガディス。
魔王討伐の功績を称える』
「魔王の名だ」
リリスが墓碑に手を触れた。
「父は、本当に勇者だった……」
その隣には別の碑があった。
『魔王ゼルガディス。
討伐者、勇者ユリウス』
同じ名が勇者と魔王の両方に刻まれている。
墓碑の奥には、時代ごとに繰り返された同じ記録があった。
俺は一枚の石板を読んだ。
『第六十二代勇者、魔王を討つ。
王国に帰還後、謀反の疑いにより追放。
十三年後、新魔王として確認』
次も、その次も同じだった。
「勇者が強くなりすぎると、王国は排除する」
スーシャが言った。
「追放された者の一部は、魔族を守るために戦い、やがて魔王と呼ばれるようになる」
「一部?」
「全員がそうなったわけではありません。逃げ延びた者、殺された者、姿を消した者もいます。でも王宮は、都合のよい者だけを次の敵に仕立てた」
俺は墓碑の列を見つめた。
英雄の名を残しながら、本人の人生は消されている。
そのとき、最奥の壁に光が走った。
聖剣が共鳴している。
石扉の向こうには、大きな装置があった。
中央には人間の姿をした影が浮かび、無数の管が王都の方向へ伸びている。
「これは何だ?」
ヴォルマの言葉を思い出した。
王国の富は、戦争が続くほど増える。
装置の銘板には、こう刻まれていた。
『恐怖収集炉・王国中枢。
勇者召喚および魔王指定機構』
リリスが拳を握った。
「父は、この装置を止めようとしていたんですね」
俺は聖剣を構えた。
しかし、スーシャが止めた。
「壊してはいけません。接続先が分からないまま破壊すれば、王都そのものが崩壊するかもしれない」
俺は剣を下ろした。
戦うべき相手は見つかった。
だが、斬れば終わる相手ではなかった。
スーシャは装置の縁に刻まれた数字を写し取った。
「停止の順序を間違えれば、集められた魔力が逃げ場を失います。まず流入を断ち、蓄積を逃がし、最後に召喚陣への接続を切る必要があります」
「誰がその順序を知っている?」
「記録を探します。知らないまま壊すことだけは、しないでください」
俺は聖剣を鞘に収めた。




