第十話 勇者ユリウス、世界に向けて王国の罪を告発する
隠し扉の向こうにいたのは、十二歳の少年だった。
金髪に青い瞳。
王家の紋章が刻まれた首輪をつけ、薄い毛布の上で膝を抱えている。
「君がルカ・アルディアか?」
少年は頷いたが、俺の剣を見ると身を縮めた。
「勇者になれなかったら、また暗い部屋に入れられる」
「ここから出よう。剣は使わなくていい」
「勇者は怖がっちゃいけないって言われた」
「俺は魔王と戦う前、足が震えたぞ」
少年が顔を上げる。
「本当に?」
「本当だ。怖くないことと、勇気があることは違う」
首輪の裏には細い魔術文字があった。
『所有者:王家』『拒絶時:記憶矯正』
スーシャが聖印を重ね、俺が金具を断つ。
少年はようやく深く息を吸った。
だが、手首には同じ紋章の刻印が残っている。
「首輪を外しただけでは契約は消えません」とスーシャが言った。
「本人が自分の意思で拒絶する必要があります。ただ、今は術式が強すぎる。安全な場所で解除方法を探しましょう」
少年は唇を噛んだ。
「僕が嫌だって言っても、聞いてもらえなかった」
俺はしゃがんで目線を合わせた。
「今は聞く。君はどうしたい?」
「……外へ出たい」
「なら、そうしよう」
リリスが水筒を差し出した。
少年は彼女の角を見て、少しだけ手を引いた。
「魔族は悪い人だって聞いた」
「私も、人間はみんな敵だと教わりました」
リリスは水筒を床に置いた。
「飲むかどうかは、あなたが決めて」
少年はしばらく考え、自分で水筒を拾った。
その小さな動作に、俺は胸を締めつけられた。
少年にとって、選ぶということ自体が初めてなのかもしれない。
警報が鳴り、壁から回収用の鎖が伸びた。
『勇者器の離脱を確認。
強制回収を開始』
グレンが扉を支え、リリスが闇魔法で鎖を絡め取る。
スーシャは記録の写しを胸に抱えた。
「証拠は?」
「王命書と帳簿、勇者たちの名前もあります」
「よし。西の整備路へ!」
地下水路は狭く、少年は何度もつまずいた。
俺が抱き上げようとすると、彼は首を振った。
「歩ける。自分で歩きたい」
「分かった。疲れたら言え」
俺たちは速度を落とした。
追っ手の足音が近づくたび、グレンが最後尾で盾を構える。
それでも誰も、少年を置いて走ろうとは言わなかった。
地上へ出ると、王都の市場には手配書が貼られていた。
俺が魔王を倒した日に花を投げてくれた少女が、その前に立っている。
少女の母親は俺たちに気づき、子供を抱き寄せた。
「近づかないでください」
「分かりました。怖がらせてすみません」
少女が母親の腕から顔を出す。
「勇者様、悪い人になっちゃったの?」
「それを、これからみんなに確かめてもらうんだ」
俺はそう答えた。
近くでは兵士がパン屋の主人を殴っていた。
主人が手配書を剥がしたからだという。
止めに入ろうとした俺を、主人は手で制した。
「俺のことより、本当のことを言ってくれ。息子は戦争で死んだ。何のために死んだのか、知りたい」
その問いを抱えて、俺たちは大鐘楼へ向かった。
鐘楼には各地の神殿へ声と映像を送る通信魔法陣がある。
王国が戦勝を宣言するための装置を、王国の秘密を明かすために使う。
スーシャは王命書を握りしめた。
「公開すれば、私の家族も反逆者の家族と呼ばれます」
「無理はするな。俺だけでも話せる」
「いいえ。私が黙ったせいで、あなたは罠にかかった。今度は自分の言葉で証言します」
リリスも頷いた。
「私の言葉を信じない人もいるでしょう。でも、魔族にも話す権利があると示したい」
少年は鐘楼の陰から俺たちを見ていた。
「僕も話さなきゃいけない?」
「いいや。君のことは、君が決めていい」
彼は安堵したように肩を下ろした。
魔法陣に光が走り、遠くの神殿を示す点が一つずつ灯る。
「俺は勇者ユリウス。魔王を倒した翌日、国家反逆罪で指名手配された男だ」
広場に人が集まった。
「俺の言葉を信じろとは言わない。王宮の記録を見てほしい。帳簿の日付を調べてほしい。消された勇者たちの名前を確かめてほしい」
俺は石板の写しを掲げた。
「王宮は歴代勇者を追放し、その一部を新たな敵として利用してきた。戦争が終わる前に、次の戦争のための金が動いていた」
スーシャが前へ出た。
「私は聖女スーシャ。王宮に虚偽の証言を求められ、拒んで投獄されました。これが命令書です」
リリスも隣に立つ。
「私は魔王ゼルガディスの娘です。父を殺した勇者と、今は共にいます。互いの子供を、もう戦争に送らないためです」
広場から罵声が飛んだ。
「魔族の言葉を信じるな!」
「だったら帳簿を見せろ!」
兵士たちが階段を駆け上がってきた。
先頭にいたゾイド将軍が言った。
「放送を止めろという王命だ」
俺は剣を抜かなかった。
「止めるのか?」
将軍は広場を見下ろした。
石を投げる者、記録を写す者、黙って泣く者が同じ場所にいる。
「……証拠を確認するまで、誰も動くな」
兵士が足を止めた。
鐘楼の下では、パン屋の主人が血のついた口元を拭っていた。
彼は怒鳴る群衆に混じらず、スーシャの示した日付を何度も書き写している。
俺はその姿を見て、声を張り上げた。
「今すぐ信じなくていい。だが、調べることまで禁じられないでくれ」
王国の旗が風に鳴った。
その旗を守ってきた将軍が、剣を抜かずに立っていた。
放送が終わると、俺の手は震えていた。
魔王と戦ったときより怖かった。
剣なら相手の動きを読める。
言葉は届いたあと、誰のものになるか分からない。
鐘楼を降りると、古い軍服の男が帳簿の番号を隣の人へ読み上げていた。
一方で、少年を指さして「偽物の勇者だ」と叫ぶ声もあった。
俺は少年の前に立った。
「彼は何も選んでいない。責めるなら俺にしてくれ」
少年の肩が震えた。
告発のために連れ出したのは俺だ。
彼が今ここに立っているだけで、また王国に狙われるかもしれない。
「ここから離れてもいい。証言は俺たちだけで続ける」
少年はしばらく俯き、それから首を横に振った。
「今は、まだ話せない。でも……僕がいたことまで、なかったことにしないで」
「約束する」
少年がそっと俺の袖を引いた。
「僕も、いつか自分で話せるかな」
「ああ。話したくなったときでいい」
王国の手配書は、その夜も剥がされなかった。
宰相は記録を偽物だと声明で否定した。
それでも各地の神殿には、王宮の数字と消された名前が届き始めていた。
リリスが隣で呟いた。
「少なくとも、もう知らなかったことにはできません」
俺は頷いた。
真実を伝えることは、戦争を終わらせることとは違う。
だが、終わらせるための最初の一歩にはなる。
俺たちは公開した文書の写しに、検証できる日付と保管場所を添えた。
信じろと叫ぶだけでは、王国が繰り返してきた命令と変わらない。
疑う者にも確かめる道を残す。
それが、今の俺にできる告発だった。
王都の小さな印刷工房では、告発を見た若い写字工が、王宮から配られた布告と神殿の記録を机に並べていた。
父親は王国軍で戦死した。
布告には「魔族による虐殺」とある。
だが公開された輸送帳簿には、その日の王国軍の命令番号が残っていた。
「父さんが何のために死んだか、俺は知りたい」
写字工は窓の外を見た。
王宮の巡回兵が通り過ぎる。
紙を一枚隠すことはできる。
だが、それではまた誰かの父親が、都合のいい言葉に埋もれる。
彼は二枚の文書を写し、どちらも同じ壁に貼った。
「どっちが本当か、自分の目で確かめてくれ」
最初に立ち止まったのは、王宮の布告しか読んだことのない隣家の老人だった。
老人は一行目を読み、次の行へ視線を落とした。
写字工は、その間、紙を剥がさなかった。




