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魔王を倒した翌日、勇者の俺が世界から指名手配された ~裏切った王国を追われたので、魔王の娘と戦争を終わらせます~  作者: レモンティー


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第五話 王国軍一万人、魔王領への侵攻を開始する

東の峡谷に向かう前、俺は兵站の帳簿を確認した。

王国軍一万人を養う補給馬車が、地図の上で長い列を作っていた。

俺はその列の末尾に指を置いた。

「前衛を倒しても、ここから次の兵が来る。止めるべきは剣じゃなく、進軍そのものだ」

「だから、道を塞ぐのか」

ヴォルマが尋ねた。

「そうだ。ただし、退路は残す。行き場を失った兵は死に物狂いで突撃してくる」

「敵に逃げ道を与えるとは」

グレンが不満を漏らした。

「退路があれば、帰るという選択肢ができる」

俺は地図に三本の線を引いた。

第一線は峡谷の入口、第二線は避難民の移動路、第三線は万一突破された場合の後退地点だ。

「民間人の避難が終わるまで、俺たちは時間を稼ぐ」

「勇者が一人で一万を止めるつもりか?」

「一人では無理だ。見張り、伝令、医療班、道案内が必要だ」

俺の返事に、グレンは少し意外そうな顔をした。

勇者は何でも一人で解決すると、誰もが思っている。

だが俺は、旅の仲間がいなければ魔王城にたどり着くことすらできなかった。

出発前、サフィアが布袋を渡してきた。

中には止血薬と清潔な包帯が入っている。

「使う相手を選ばないでください」

「敵兵にも?」

「治療が必要な人に、です」

俺は袋を受け取った。

「約束する」

峡谷では、最初の矢が放たれるまでに何度も交渉を試みた。

白旗を持った伝令を送り、避難民の存在を告げ、食料の搬出が終わるまで待つよう求めた。

しかし、伝令は追い返された。

王国軍の前列には若い徴募兵が多い。

盾を握る手が震え、後ろから押されるように進んでいた。

「彼らも戦いたくないのでは」

リリスが言った。

「そう見える」

「それでも攻めてくる」

「命令を拒めば、彼らの家族に罰が及ぶのかもしれない」

俺がかつて所属した軍でも、脱走兵の家族が財産を没収されたことがあった。

あのときは軍規を守るためだと説明された。

今になって、その仕組みが何を生むのか分かる。

石壁を作る直前、俺は聖剣を地面に当て、岩盤の亀裂を探った。

三年の旅で学んだ地脈術は、地面に残る水の筋や緩んだ土を探る小さな術だ。

加護を持たない旅の仲間にも教わった技で、聖剣の力がなくても使える。

ただし、山を動かせるような万能の魔法ではない。

峡谷を丸ごと崩せば簡単に軍を止められる。

しかし、それでは馬車も兵も埋まる。

俺が狙ったのは道の幅を狭める岩棚だけだった。

「みんな下がれ。落石がある!」

魔族の伝令が走った。

兵士たちが安全な位置へ退く。

俺は深く息を吸い、聖剣に魔力を流した。

轟音とともに岩がせり上がった。

先頭の馬が驚いて後退し、盾兵が地面に伏せる。

石壁は彼らの数歩手前で止まった。

「止まった……」

誰かが呟いた。

「進軍を止めただけだ。まだ終わっていない」

俺は見張りに指示を出し、崖の上に青い布を掲げさせた。

避難民の最後尾が、第一の退避地点に着いた合図だ。

だが全員の避難が終わったわけではない。

歩けない負傷者を乗せた馬車が、まだ山道に残っていた。

そのころ、王国軍の後方では補給馬車が渋滞していた。

馬を休ませる場所もなく、兵士たちは水を求めて騒ぎ始めている。

「飲み水を届ける」

俺の提案にグレンが目をむいた。

「敵に塩を送るようなものだぞ」

「水を飲んだ兵士が、必ず俺たちを斬りに来るとは限らない」

俺たちは桶を積んだ荷車を、白旗とともに前線へ送った。

最初は弓を向けられたが、やがて数人の兵士が水を受け取りに来た。

若い兵士が小さく頭を下げる。

「……ありがとうございます」

「村には近づかないでくれ」

「命令が出たら、逆らえません」

彼は水を抱えて戻っていった。

その背中を見送りながら、俺は戦争の厄介さを思い知った。

敵も味方も、個人の意思だけで動いているわけではない。

峡谷の見張り台からは、王国軍の野営地がよく見えた。

夜になると一万の兵の焚き火が星のように並ぶ。

夜明けには、地面の震えが先に届いた。

谷の向こうで何千もの靴底が同じ拍子を刻み、馬車の軋みが途切れない。

見張りの少年が数を数えようとして、途中で指を下ろした。

「壁を越えられたら、何分持ちますか」

「十分も持たない」とグレンは答えた。

その言葉を聞いた伝令が、避難民の列へ走る。

俺は誰にも聞こえないよう、乾いた唇を舐めた。

聖剣があっても、一万人の足音までは消せない。

その光景を見て、グレンが呟いた。

「一度突撃されれば、こちらは持たない」

「分かっている」

「それでも殺さずに済ませるつもりか」

俺は地図を折り畳んだ。

「全員を救えるとは思っていない。でも、最初から殺す計画を立てたくない」

グレンは鼻を鳴らした。

「理想で兵は守れん」

「だから、理想だけでなく退路も用意した」

俺は避難路に置いた伝令の配置を説明した。

敵が進んだら赤旗、補給路が断たれたら白旗、避難民の最後尾が通過したら青旗。

信号を間違えれば、何百人も逃げ遅れる。

グレンは黙って配置図を読み、二か所に印をつけた。

「ここは崖の陰だ。旗が見えない」

「助かった」

「礼など要らん。姫様が無茶をしないためだ」

彼はそう言いながら、自分の部下を見張りに回した。

夜半、敵陣から小さな灯りが近づいた。

一人の兵士が、負傷した仲間を背負っていた。

「水をくれ。こいつが熱を出している」

グレンは剣に手を掛けたが、俺は先に水筒を差し出した。

サフィアの薬袋も渡す。

「治療所へ運べ。国の違いで断る者はいない」

兵士は何度も頭を下げて去った。

夜明け前、東の見張り台から赤旗が上がった。

敵の斥候が、避難路へ回り込んだのだ。

俺は石壁を守る持ち場を離れ、最後尾の馬車へ走った。

車輪はぬかるみにはまり、負傷した老人が荷台で呻いていた。

聖剣で斥候の槍を折ることはできたが、馬を驚かせないよう力を抑えた瞬間、脇腹を槍の柄で打たれた。

息が止まり、膝が落ちる。

「ユリウス!」

駆けつけたグレンが俺をかばい、斥候を追い返した。

「殺さぬ戦いは、お前だけの傷では済まんぞ」

「分かっている。次は最後尾にも護衛を二人置く。お前に助けられる前に、手を打つべきだった」

俺は痛む脇腹を押さえ、馬車の車輪を引き上げた。

全員を生かしたいという願いにも、仲間の危険という代償がある。

その重さから目をそらしてはいけなかった。

夕刻、ゾイド将軍の使者が来た。

交渉の場には互いに五人だけを連れていく条件だった。

グレンが護衛を申し出たが、俺はリリスとヴォルマを選んだ。

「お前を信用していない」

グレンが言う。

「知っている。だから、俺が帰らなければ避難民を連れて退け」

「命令するな。……だが、そうする」

将軍は地図を広げ、俺が塞いだ道を睨んでいた。

「お前は王国を裏切った」

「俺が守ると誓ったのは王の椅子じゃない。そこに暮らす人たちだ」

「理屈では兵は動かん」

「なら、将軍は何のために兵を動かしている?」

ゾイドは答えなかった。

沈黙のあと、彼は撤退のための安全な道を確認した。

完全な合意には至らなかったが、兵が帰る道を話し合えたこと自体が変化だった。

会談を終えるころ、黒い太陽の旗が見えた。

ゾイドの顔色が変わる。

「あれは私の指揮下ではない」

「何者だ」

「王宮の審問隊だ。連中は捕虜を取らない」

将軍は俺の目を見た。

「逃げろ、ユリウス。あれは魔王と戦うための軍ではない。勇者を殺すために作られた部隊だ」

俺は峡谷の向こうを見た。

避難民はまだ全員が遠くへ行けたわけではない。

逃げるという選択肢は、今の俺にはなかった。

ゾイドは部下に負傷者の人数を確認させた。

撤退路を示す地図には、勇者が残した細い道が一本あった。

敵を逃がすために道を残した男を、将軍はまだ信じていない。

それでも、全軍を犠牲にしてまで討ち取る理由を、もう説明できなかった。

「将軍、審問隊に進路を譲りますか」

副官の問いに、ゾイドは地図を折った。

「負傷兵の搬送が終わるまで、我が軍の荷車を動かすな。命令の出所は私だと記録しろ」

副官は驚いた顔をしたが、やがて敬礼した。

ゾイドが選んだのは勇者への忠誠ではなく、部下を生かす責任だった。

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