第四十七話 勇者を必要とする人々
誓約の谷へ向かう街道には、人が集まっていた。
俺たちを歓迎するためではない。
「勇者召喚をやめるな!」
「次に魔族が攻めてきたら、誰が守るんだ!」
人々は看板を掲げ、道を塞いでいた。
俺は馬を下りた。
先頭にいたのは、片足を失った元兵士だった。
「勇者ユリウス。あんたのおかげで俺の村は助かった。だからこそ言う。勇者がいなくなったら、次は誰が助けてくれる?」
「今いる人たちで守る方法を作りたい」
「きれいごとだ!」
男は杖で地面を叩いた。
「俺たちには魔王を倒せる力なんてない!」
「そうだ。俺にも、橋を一人で架ける力はない」
男は黙った。
「それでも橋はできた。村の防衛も同じように、皆で準備できる」
「準備している間に襲われたら?」
俺は答えに詰まった。
その心配は、間違っていない。
リリスが前へ出た。
「魔王領にも、勇者がいなくなることを恐れる人がいます。人間の軍が攻めてきたら、誰が止めるのかと」
群衆がざわめいた。
「魔族の言葉を信じろというのか!」
「信じなくても構いません。だから、双方が確認できる仕組みを作りましょう」
彼女は停戦監視団の記録を掲げた。
「国境の見張りは両国の兵が交代で担当しています。補給の数字も公開しています。疑いがあれば、現地で調べられます」
元兵士は紙を見た。
「そんなもの、破ろうと思えば破れる」
「その通りです」とリリス。
「だから、破られたときに誰か一人の英雄へ頼らず、知らせて止める手順を増やします」
俺は頷いた。
「勇者を呼べるから安心だと考え続ければ、誰かが危機を作って勇者を呼ぶこともできる」
ローデンがしたことを思い出した。
戦争が必要だと思わせるために、村を焼こうとした男。
「でも、今すぐ全部なくすとは言わない。召喚された人たちの帰還方法を残し、国境の防衛計画を整えてから止める」
群衆の後ろから声がした。
「それなら、俺たちにも計画を見せてくれ」
農夫らしい男が手を挙げた。
「村の避難路は、俺たちが一番知ってる」
別の女性が続いた。
「薬の備蓄なら、うちの診療所で数えられる」
元兵士はしばらく黙っていた。
「俺にできることはあるか」
「経験を教えてほしい」とゾイド。
「どの道が危険か、どの砦が使えるか。君は戦場を知っている」
男は杖を握り直した。
「勇者を呼ぶより、地味だな」
「地味なほうが、毎日続けられる」
俺が答えると、彼は少し笑った。
群衆はすぐには解散しなかった。
だが、怒鳴り声は質問へ変わった。
その日の昼過ぎ、街道沿いの村で防衛会議が開かれた。
避難路、見張り、備蓄、伝令。
誰が担当するか、村人自身が決めた。
俺は議事録の隅に名前を書いただけだった。
会議が終わると、ルカから手紙が届いた。
『僕は勇者じゃなくても、困っている人を助けたいです。
でも、呼ばれた世界に帰りたい人の気持ちも忘れないでください』。
俺は手紙を何度も読んだ。
「忘れないさ」
誓約の谷は、もう目の前だった。
谷へ続く道の入口には、古い碑文が立っていた。
『守護を求める者は、代償を知れ』。
俺たちはその言葉を読み、足を止めた。
会議のあと、元兵士は俺を呼び止めた。
「俺の名前はダグだ。昔、白狼砦で補給を担当していた」
「ローデンを知っているのか」
「知っている。あの人に命を救われたこともある」
彼は杖を握り直した。
「だから、裁判で有罪になったと聞いたとき、腹が立った。でも、村を焼く命令書を見たら、何も言えなかった」
「過去の功績が消えるわけじゃない」
「そう言ってもらえると助かる」
ダグは谷へ続く道を見た。
「俺は戦えない。でも、避難路なら知ってる。地図を描かせてくれ」
「頼む」
彼は嬉しそうではなかった。
ただ、やるべき仕事を見つけた人の顔をしていた。
俺はそれで十分だと思った。
集会のあと、俺たちは街道沿いの村の仮設教室へ立ち寄った。
教室では、人間と魔族の子供が同じ机で地図を描いていた。
「国境はどこ?」
一人の子が尋ねると、教師は川を指した。
「ここです。でも、橋ができたから行き来できます」
「じゃあ、橋を壊されたら?」
教師は少し考えた。
「直す方法を知っている人がいれば、また架けられます」
子供たちは競うように橋の絵を描き始めた。
俺は廊下でその様子を見ていた。
ダグが隣に来た。
「子供に戦争のことを教えるべきか、迷ってる」
「隠さないほうがいいと思う。でも、怖がらせるためだけに話したくない」
「そうだな」
彼は杖をついた。
「俺は戦場で片足を失った。だけど、子供に覚えてほしいのは、誰を憎むべきかじゃない。どうすれば逃げられるかだ」
「避難訓練を手伝ってくれないか」
ダグは驚いた顔をした。
「俺が?」
「道を知っているだろう」
彼は少し笑った。
「なら、やってみるか」
翌日の午後、子供たちはダグの案内で避難路を歩くことになった。
誰も剣を持っていない。
それでも、守るための準備はできる。
俺はその光景を胸に刻んだ。
その日の夕方、街道の集会に戻ると、反対の声がまだ残っていた。
「俺は勇者召喚をやめることに賛成できない」
年老いた農夫が言った。
「分かった」と俺。
「それでも、意見を記録してくれるのか」
「もちろんだ。反対する人の不安を無視したら、また同じことになる」
農夫は驚いた顔をした。
「勇者なら、皆を従わせると思っていた」
「従わせるために勇者になったんじゃない」
俺は答えた。
「それに、俺だって怖い。召喚を止めたあと、誰かを守れなくなるかもしれない」
「怖いのか」
「ああ」
農夫はしばらく黙り、杖を握り直した。
「なら、一緒に考えるしかないな」
全員が賛成したわけではない。
それでも、反対する人が会議に残ってくれたことを、俺は大切にしたかった。
その夜、村の宿では防衛計画の話が続いた。
見張りに立つ者の交代、子供の避難先、負傷者を運ぶ荷車の数。
ダグは杖で地図を指し、「雨の日はこの道が使えない」と教えた。
若い農夫が別の道を提案し、二人で確かめに行くことになった。
俺は机の端で、その決定を書き留めた。
誰も俺の命令を待っていなかった。
話し合いが終わるころには、皆が自分の役割を覚えていた。
翌朝、谷へ続く道を進みながら、俺は反対者の名前も残した議事録を読み返した。
賛成者だけの名簿ではない。
その事実が、これからの国には必要なのだと思った。
勇者を呼ぶことの代償を、今まで誰が払ってきたのか。
その答えが、谷の奥にある。




