第四十六話 歴代魔王の墓に残された手紙
誓約の谷へ向かう前に、リリスが寄りたい場所があると言った。
魔王領の北端、歴代の魔王が眠る墓地だった。
「父の墓にも、まだ行けていません」
俺は頷いた。
魔王ゼルガディスを倒したのは俺だ。
彼の墓の前に立つ資格があるのか、分からなかった。
墓地は岩山の斜面にあった。
石碑には王の名前ではなく、生きていた年月と、守ろうとした土地の名が刻まれている。
グレンが先導した。
「ここには、魔王と呼ばれた者だけが眠っているわけではない。戦争で死んだ兵も、村人もいる」
リリスは父の墓の前で足を止めた。
石碑には『ゼルガディス』とだけ刻まれていた。
俺は一歩下がった。
「ここで待っている」
「いいえ。あなたにも聞いてほしいことがあります」
彼女は石碑の裏にある小さな窪みを探り、金属の筒を取り出した。
「父が死ぬ前に、ここへ預けたものです。開けるのが怖くて、ずっと来られませんでした」
筒の中には、折りたたまれた手紙があった。
リリスはゆっくり読み始めた。
『リリスへ。
これを読むとき、私はもういないだろう。
お前に王の座を継げとは言わない。
私の過ちまで受け継ぐ必要はない』。
彼女の声が震えた。
『私はかつて勇者だった。
召喚を止めようとしたが、王国の軍と戦う道を選んだ。
守れた命もある。
奪った命もある。
お前には、その両方を知ってほしい』。
俺は目を閉じた。
『私を倒した者を憎むなとは言わない。
ただ、憎しみだけで自分の人生を決めるな』。
リリスは読み終え、手紙を胸に押し当てた。
しばらく誰も話さなかった。
風が石碑の間を通り抜ける。
「父は、私があなたと一緒にいることを知ったら怒るでしょうか」
彼女が尋ねた。
「分からない」
俺は答えた。
「俺は彼を殺した。君の父親だったことも、あとから知った。許してほしいとは言えない」
「許していません」
リリスははっきり言った。
「でも、今のあなたが何をしようとしているかは、見ています」
「ありがとう」
「礼を言われることでもありません」
彼女は少しだけ笑った。
墓地の奥には、さらに古い石碑が並んでいた。
その一つに、勇者の召喚紋と同じ印が刻まれている。
「これは?」とスーシャ。
グレンが答えた。
「初代魔王の墓だ。伝承では、彼も別の世界から来たと言われている」
石碑の裏には、短い文章があった。
『門を閉じる鍵は、門を開く者の手にある。
ただし、その手を縛ってはならない』。
オルフェンは文字を写し取った。
「これは古い契約の注記かもしれません」
「どういう意味だ」と俺。
「召喚された者が、自分の意思で契約を終わらせる手順があったのかもしれない」
リリスは手紙を丁寧に折りたたんだ。
「父は、その手順を探していたのでしょうか」
「可能性はある。でも、確かめよう」
俺たちは墓地を出た。
途中、リリスは一度だけ振り返った。
「父さん。私は、あなたができなかったことをやってみます」
その言葉は祈りではなく、彼女自身の決意だった。
墓地を出るとき、グレンは小さな石を一つ拾った。
「姫様。昔、ゼルガディス様は戦が終わったら、この墓地へ木を植えると言っていました」
「木を?」
「戦死者の名を覚えるために、毎年一本ずつと」
リリスは石を見た。
「植えられなかったんですね」
「戦が終わらなかったからな」
俺は口を挟めなかった。
リリスは石を元の場所へ戻した。
「今度、苗木を持ってきます。王国の村で育った木も、魔王領の木も」
グレンは深く頭を下げた。
「喜ばれると思います」
「父がどう思うかは、もう分かりません。でも、ここへ来る人が少し休める場所にはできます」
俺はその言葉を聞きながら、墓地の外に広がる荒れた土地を見た。
戦争で焼けた地面にも、いつか木が根を張るのだろう。
墓地の近くの小屋で、俺たちは夜を明かした。
リリスは父の手紙を何度も読み返していた。
「眠れないのか」
「はい。父が謝っているようにも、言い訳しているようにも読めてしまって」
「どちらか一つに決めなくてもいいんじゃないか」
彼女は俺を見た。
「あなたは、父を憎んでいましたか」
「戦っているときは、憎んでいた。仲間を殺されたからな」
「今は?」
「憎んだことは消えない。でも、知らなかったことが増えた」
リリスは手紙を畳んだ。
「私もです。父を愛していたことも、父が人を殺したことも、どちらも消えません」
俺は頷いた。
「それでいいと思う」
墓の前でリリスは長く黙っていた。
父のしたことを責める声も、父を慕う声も、どちらも彼女の中に残っている。
その両方を持ったまま歩くのだ。
外では、グレンが火の番をしていた。
彼は小屋の入口から顔を出した。
「姫様。明日は墓地へ苗木を運ぶ手配をします」
「ありがとうございます」
「ただ、王国側の苗木を混ぜると反対する者もいるでしょう」
「話をしましょう。誰もがすぐ賛成するとは思いません」
グレンは頷いた。
翌朝、リリスは父の墓へ戻り、小さな石を一つ置いた。
「父さん。まだ許せないこともあります。でも、私が進む道は私が決めます」
俺は少し離れて待った。
彼女が戻ってきたとき、表情は悲しそうだった。
それでも、昨日よりまっすぐ前を見ていた。
小屋を出たあと、俺はリリスに尋ねた。
「手紙の写しは取るか」
「取ります。でも、全部をすぐ公開するつもりはありません」
「どうして」
「父が友を失った話は、その友の家族にも関わります。誰かの悲しみを、父の名誉のために使いたくないんです」
俺は頷いた。
リリスは手紙を外套へしまった。
「あなたが父を殺したことも、隠しません」
「それでいい」
「でも、私たちが今、一緒にいることも隠しません」
俺は彼女を見た。
「簡単に説明できる関係じゃないな」
「簡単に説明しなくていいと思います」
リリスは少し笑った。
墓地の向こうで、朝日が岩山を照らしていた。
俺たちは言葉を増やさず、並んで歩いた。
墓地の管理人が、入口の壊れた水桶を指さした。
「ここへ来る旅人のために、水場を直したいのですが」
「人間が使ってもいいですか」とリリス。
管理人は父の墓を見上げ、しばらく考えた。
「水を飲むのに、どちらの国かは関係ありません」
俺は帰還後に職人を紹介すると約束した。
今は誓約の谷で、召喚の契約を止めなければならない。
墓地の入口に、誰かが小さな花を供えていた。
王国の花か、魔王領の花かは分からない。
リリスはその花を踏まないように歩き、俺も後に続いた。
谷へ続く道の先では、青白い光が雲の下を走っていた。
契約は、少しずつ目を覚ましていた。




