第四十四話 少年ルカに、再び勇者の命令が届いた
ルカ・アルディアが暮らす保護施設へ、神殿の使者が来た。
使者は白い封筒を差し出し、少年に頭を下げた。
「勇者ルカ。王国防衛のため、神殿へ出頭してください」
ルカは封筒を受け取らなかった。
「僕は、もう勇者じゃないって言われた」
「非常時です。召喚紋を持つ者には協力義務があります」
その場に居合わせた職員が、使者の前へ立った。
「この子は未成年です。保護者と本人の同意が必要です」
「国家の命令です」
職員は退かなかった。
俺が駆けつけたとき、ルカは廊下の隅で膝を抱えていた。
「ユリウスさん」
「怖かったな」
「僕が行かなかったら、誰か死ぬの?」
俺は答える前に、彼の隣へ座った。
「誰かが困っているのは本当だ。でも、それを君一人の責任にしてはいけない」
ルカは封筒を見た。
「勇者なのに?」
「勇者という言葉が、人を無理やり動かすために使われるなら、俺はその言葉に従いたくない」
彼はしばらく黙った。
「でも、僕も役に立ちたい」
「何ができると思う?」
「召喚紋の光り方を覚えてる。あれが痛くなる前に、耳鳴りがするんだ」
俺は顔を上げた。
「それは大事な情報だ。君が話したいなら、聞かせてほしい」
ルカは頷いた。
スーシャが来て、彼の手の甲を診た。
召喚紋は薄く光っていたが、熱はない。
「神殿へ行かなくても、ここで調べられます」と彼女。
ルカはようやく肩の力を抜いた。
午後、施設の庭で検査を始めた。
魔石を近づけると、ルカの紋様が弱く反応する。
だが、王宮の鐘が鳴ると、反応が急に強まった。
「神殿の中継点が、召喚紋を持つ人に命令を送っている」
オルフェンが言った。
「命令って、頭の中に声がするんですか」
ルカが尋ねる。
「人によります。耳鳴りや痛みとして感じる者もいます」
「僕、戦うのが嫌だって思ったとき、一番痛かった」
スーシャは記録を取る手を止めた。
「拒否すると痛みが増すように作られているのかもしれません」
俺は息を呑んだ。
勇者の意思を確かめるどころか、拒否を罰する仕組みまであったのか。
ルカは俺の袖を引いた。
「僕がこれを話したら、ほかの勇者も助かる?」
「助かる方法を探せる」
「じゃあ、全部話す」
彼は小さな声で、召喚された日のことを話し始めた。
光の輪。
知らない大人たち。
剣を持たされた手。
『泣くな』と言われたこと。
俺は途中で遮らなかった。
夕方、神殿から二度目の使者が来た。
今度は武装した護衛を連れている。
「勇者ルカを引き渡せ」
施設の門前に、ゾイドが立った。
「未成年者の強制連行を認める法的根拠を示せ」
使者は命令書を掲げた。
ゾイドは封蝋を確かめ、静かに言った。
「これは旧王国の戦時特例だ。停戦後、失効している」
護衛の兵士が戸惑った。
「命令に従えと言われています」
「命令書の有効性を確認しろ。それが兵士の仕事だ」
長い沈黙のあと、護衛は剣を収めた。
使者たちは引き返した。
ルカは門の陰からその様子を見ていた。
「僕、逃げなくてよかったんだ」
「そうだ」
「でも、明日はまた来るかもしれない」
「そのときも、一人で決めなくていい」
ルカは頷いた。
その夜、彼が描いた召喚紋の図を見て、オルフェンが青ざめた。
「この形は……帰還門の鍵と同じです」
夜、ルカは食堂でスープを飲みながら、俺に尋ねた。
「ユリウスさんは、最初から強かったの?」
「全然。剣の持ち方も知らなかった」
「でも魔王を倒した」
「仲間がいたからだ。帰ってこられなかった仲間もいる」
ルカは匙を置いた。
「僕も、誰かを守れるようになりたい」
「剣を持たなくてもできる」
「たとえば?」
「今日、君は召喚紋のことを話してくれた。それで俺たちは仕組みを一つ知った」
彼は考え込んだ。
「それも、助けたことになる?」
「なる」
「じゃあ、明日は記録を手伝いたい。字なら書けるから」
俺は頷いた。
「ただし、疲れたら休むこと。大人たちに言われたからじゃなく、君がそうしたいときだけだ」
ルカは笑った。
「分かった。僕、明日は自分で決める」
翌日、ルカは自分で作った小さな表を持ってきた。
「耳鳴りがした時間を書いたんだ」
朝、昼、夕方。
痛みの強さまで、丸の数で記してある。
スーシャは表を見て驚いた。
「これなら神殿の鐘と照合できます」
「僕、役に立った?」
「とても」と彼女。
ルカが「嫌だ」と言える場所を作るため、スーシャは神殿の代表を同席させなかった。
子供が大人の顔色を見ずに答えられるようにする。
それが最初の対策だった。
ルカは嬉しそうに笑ったが、すぐに真顔になった。
「でも、ほかの子に同じことをさせないでほしい」
「もちろんだ」と俺。
「怖いのは、僕だけでいい」
「それも違う。君だけが我慢する必要はない」
俺が答えると、ルカは考え込んだ。
「じゃあ、怖いって言っていいんだね」
「ああ。怖いと言えることも大切だ」
午後、オルフェンが古い召喚術の図を持ってきた。
ルカの紋様と重ねると、線がぴたりと一致した。
「鍵として選ばれた可能性が高い」と彼は言った。
ルカは俺の顔を見た。
「鍵って、僕がいないと開かないってこと?」
「まだ分からない。でも、君を道具にするつもりはない」
「僕が嫌だって言ったら?」
「別の方法を探す」
俺は即答した。
オルフェンも頷いた。
「契約を終わらせるために、また誰かの意思を無視したら意味がありません」
ルカは長く息を吐いた。
「じゃあ、考える時間をください」
「もちろん」
その夜、彼は初めて自分から施設の友達と遊びに出かけた。
俺は窓からその姿を見送った。
勇者としての仕事より先に、少年として過ごす時間を取り戻してほしかった。
施設の庭では、ルカが同じ年頃の子供たちと木の棒で遊んでいた。
「勇者ごっこ?」と俺が尋ねる。
「違うよ。橋を作る遊び」
子供たちは棒を地面に並べ、小さな川に見立てた溝を渡している。
「ここが落ちるんだ」とルカ。
俺は一緒にしゃがみ込んだ。
「支えを増やしたら?」
「それだ!」
皆が棒を運び、橋が完成した。
ルカは満足そうに笑った。
「勇者じゃなくても、できることがあるんだね」
「たくさんある」
「でも、僕が勇者だったことは消えないよね」
「消えない。消さなくてもいい」
ルカは少し考えた。
「じゃあ、僕は勇者だったことを、いつか友達に話す。怖かったことも」
俺は頷いた。
彼が自分の言葉で話せる日が来るまで、誰にも急がせたくなかった。
俺が施設を出るとき、ルカは庭から手を振った。
剣ではなく木の棒を持っている。
今日はそれで橋を作るらしい。
その姿を見て、少しだけ安心した。
ルカは戦うためだけに呼ばれたのではない。
契約の本体を動かすための鍵として、選ばれていた可能性があった。




