第三十話 平和を望まない者たち
北部駐屯地へ向かう道には、荷車の轍が何本も残っていた。
麦を運ぶはずの荷車が、今は武器を運んでいる。
ゾイドは地面に膝をつき、車輪の幅を測った。
「軍の大型輸送車だ。少なくとも六台」
「停戦命令を拒んだ部隊に武器を渡すのか」
「それだけならまだいい。問題は、誰が命じたかだ」
俺たちは森の中に馬を隠し、駐屯地を見下ろす丘へ登った。
広場には、王国軍の旗が掲げられていた。
だが旗の下で動く兵士たちは、正規の点呼をしていない。
武器を受け取り、荷車へ積み替えている。
「戦争の準備だ」とグレン。
「まだ断定するな」とゾイドが言った。
「お前も見ただろう」
「見た。だからこそ、証拠を持って帰る」
二人のやり取りに、俺は小さく頷いた。
かつてなら、敵の砦を見つければ突入した。
今はそれをすれば、停戦を破ったのが俺たちになってしまう。
夜、駐屯地から使者が出た。
俺たちはその後を追い、森の小屋で会談を盗み聞いた。
「王都の倉庫は予定通り燃えました」
聞こえてきた声に、背筋が冷えた。
「魔王領も同じです。民衆は互いを疑っています」
別の男が答えた。
「だが、勇者が余計なことをしている。配給帳まで公開しやがった」
「なら、次は兵を動かす。国境で一発撃てば、停戦など終わりだ」
窓の隙間から、会議の席が見えた。
ヴェルナー商会の会頭がいた。
その向かいに座るのは、軍服を着た中年の男。
ゾイドが息を呑んだ。
「補給監督官、ローデン……」
「知っているのか」
「戦時中、北部の補給を任されていた。兵を飢えさせなかった男だ」
ローデンは机を叩いた。
「王都の評議会は軍を縮小するつもりだ。何千人もの兵士が職を失う。あいつらはその責任を取るのか」
会頭が答える。
「戦争が戻れば、軍需契約も戻る。兵士は仕事を失わず、商会も生き残る」
「民が死ぬぞ」と別の男が言った。
「戦争なら死者は出る。だが、平和の名で軍を捨てれば、国はもっと多くを失う」
俺は拳を握った。
兵士の失業は本当の問題だ。
だが、だからといって村を焼き、子供を飢えさせていいはずがない。
リリスが囁いた。
「彼らの恐れは本物です。でも、選んだ方法が間違っています」
会談は続いた。
「明後日、国境の旧見張り台から矢を放て。魔族の旗を使うんだ」
「反撃が来なければ?」
「こちらからも撃て。両軍に死者が出れば、もう止まらん」
俺たちは顔を見合わせた。
残された時間は二日。
そのとき、足元の枝が折れた。
小屋の扉が開き、兵士が飛び出してくる。
「誰だ!」
俺は剣に手を伸ばしかけ、止めた。
ここで斬れば、相手は勇者の襲撃だと叫ぶだろう。
「走れ!」
グレンが俺たちを先導し、ゾイドが最後尾を守った。
矢が木に刺さる。
リリスは倒木の影から小さな光を放ち、追手の視界を奪った。
森を抜けたところで、俺たちは馬に飛び乗った。
「証拠はあるか?」
「会話を聞いただけでは足りない」とゾイド。
リリスが外套の内側から紙を取り出した。
「窓辺に置いてあった命令書の写しです。魔法で文字を写しました」
そこには旧見張り台の位置、偽装する旗、襲撃の時刻が記されていた。
「これで止められる」
「まだだ」とゾイド。
「部隊が命令を受け取っているなら、証拠を見せても撃つ者がいる」
夜明け、王都の評議会へ戻ると、ヴォルマが別の報告を持って待っていた。
「北部の兵舎で、給与の支払いが三か月止まっています。家族を抱えた兵士が多い」
俺は地図と給与台帳を並べた。
「ローデンは不安を利用している。でも、兵士たちには本当に明日の食事がない」
「なら、どうする?」とグレン。
「反乱の命令を止める。同時に、兵士が剣を置いても暮らせる道を作る」
ゾイドが静かに頷いた。
「軍の縮小と復興工事をつなげる。橋も道路も足りない。兵士には技術がある」
「商会の輸送網も、悪事に関わっていない者なら使える」とヴォルマ。
「だが、時間がない」とリリス。
俺は旧見張り台を指した。
「まずは二日後の矢を止める。話はそれからだ」
駐屯地から戻る途中、ゾイドは一度だけ馬を止めた。
「ローデンには、借りがある」
「どんな?」
「十年前、冬の戦線で補給が途絶えた。あいつは自分の食料を削って、兵を飢えさせなかった」
「だから信じたいのか」
「信じたかった。だが、今見たものをなかったことにはできん」
黒幕の名前を知ったからといって、反乱が止まるわけではない。
命令が届くより先に兵が動けば、和平はまた血で塗り直される。
俺たちは連絡役を三方向へ走らせた。
ゾイドは古い軍章を取り出した。
「兵士が職を失う恐れは本物だ。評議会はそこを軽く見ていた。ローデンが不安を集める前に、俺たちが話を聞くべきだった」
「それでも村を焼いた罪は消えない」
「分かっている。だから、あいつを止める」
俺はゾイドの横顔を見た。
かつて王の命令に従って俺を追った将軍が、今は古い仲間を止めるために走っている。
王都では、復興仕事の相談所に元兵士が並んでいた。
橋を架けられる者、井戸を掘れる者、馬を世話できる者。
仕事はある。
だが、給与を払う財源が足りない。
ヴォルマは評議会へ提案書を出した。
「軍の余剰倉庫を復興資材の保管庫へ転用します。不要になった軍馬は輸送隊へ貸し出す。兵士には希望者から工事の訓練を受けてもらう」
「それで全員が暮らせるのか」と役人。
「いいえ。だから、給与の未払いも先に調べます」
俺はその答えが気に入った。
何でも解決すると言わないことが、今は信頼につながる。
リリスは魔王領の職人組合へ連絡を出した。
「向こうでも、兵士の仕事がなくなっています。国境の橋を一緒に直せば、両方の職人が働けます」
「敵同士だった者が同じ現場で働けるか?」
「最初は喧嘩になるでしょう。でも、マルクとカイを見てください」
二人は今、橋の補強材を巡って口論している。
それでも手を止めない。
俺は笑った。
「喧嘩しながらでも、橋は架かるか」
「はい。壊さない喧嘩なら、続けられます」
出発前、俺はルカに会った。
少年はパン屋で粉だらけになっていた。
「また戦争になるの?」
「そうさせないために行く」
「僕も行ったほうがいい?」
「君はここでパンを焼いてくれ。戻った人たちが食べられるように」
ルカは真剣な顔で頷いた。
「分かった。焦がさないようにする」
「前より上手くなったか?」
「昨日は一つしか焦がさなかった」
俺は笑った。
小さな日常を守るために、今夜の矢を止めなければならない。
その日の午後、国境から急報が届いた。
旧見張り台に、予定より早く武装兵が集まり始めているという。
ローデンは、俺たちに計画を知られたことに気づいたのだ。
「明後日じゃない。今夜、始めるつもりかもしれない」
ゾイドが立ち上がった。
俺は窓の外を見た。
広場では、人間と魔族の子供が一緒に荷車を押している。
その光景を、もう一度戦火に戻すわけにはいかない。
「行こう。まだ間に合う」
俺たちは国境へ馬を走らせた。
和平を望まない者たちの名前は分かった。
だが、彼らが放とうとしている最初の矢は、まだ止まっていなかった。




