第二十九話 和平を結んだ二つの国で火が上がった
王都の倉庫と魔王領の穀物庫が、同じ夜に燃えた。
知らせが届いたのは夜明け前だった。
二つの火事は国境を挟んで遠く離れている。
それなのに、火がついた時刻はほとんど同じだった。
「偶然か?」
俺が尋ねると、ヴォルマは首を振った。
「偶然と決めるには早いですが、二つの倉庫には共通点があります」
「何だ?」
「どちらも、来週の共同輸送に使う予定の麦を保管していました」
リリスは魔王領の被害報告を読んだ。
「村の備蓄が半分焼けています。冬を越せない家が出る」
「王都側も同じだ」
ゾイドが拳を握った。
「王国軍の倉庫が燃えたなら、魔族を疑う声が出る」
「魔王領では人間の仕業だと騒いでいる」とグレン。
二人は同時に口を閉じた。
相手を責めれば、火をつけた者の望み通りになる。
俺たちはまず、両方の現場を調べることにした。
だが距離がある。
俺は王都へ、リリスとグレンは魔王領へ向かった。
「別行動は危険だ」と言うと、リリスは笑わなかった。
「危険だからこそ、同じ日に調べる必要があります。証拠を消される前に」
王都の倉庫には、黒く焦げた柱が残っていた。
役人たちは魔族の仕業だと騒ぎ、衛兵が近くの魔族商人を拘束していた。
「証拠は?」
俺が尋ねると、衛兵は煤だらけの布を差し出した。
「魔族の紋章がついています」
「誰が見つけた?」
「通報者です」
「名前は?」
衛兵は答えられなかった。
俺は布を裏返した。
縫い目が粗い。
峡谷の襲撃現場で拾った偽物の外套と同じだった。
「この布だけで人を捕らえるな。商人を解放して、証言を取れ」
「ですが、民衆が納得しません」
「納得してもらうために、事実を隠すのか」
衛兵は渋々鍵を開けた。
倉庫番の老人が、焼け残った壁を指した。
「火は内側から出た。外から投げ込まれたなら、あの扉が先に燃えるはずだ」
扉には煤が少ない。
内側の油壺が割られ、そこから火が広がったらしい。
「倉庫の鍵を持っていた者を調べよう」
スーシャが台帳を開いた。
鍵の受け渡しには、見覚えのある略号があった。
ヴェルナー商会の帳簿で見つけた、軍の補給監督官のものだ。
昼、魔王領から伝令が来た。
リリスたちも、同じ種類の油壺と偽物の王国軍外套を見つけたという。
さらに、焼けた穀物庫の番人が、火事の直前に「王都からの緊急監査」と名乗る男を通していた。
「両方の倉庫に入れる人物がいる」
ヴォルマは地図に二つの印をつけた。
「輸送路を知り、軍の通行証を持ち、商会の荷札を使える者です」
俺はその三つを見つめた。
「商会と軍と役所をつなぐ人間か」
「少なくとも、組織が必要です」
夕方、王都の広場で騒ぎが起きた。
「魔族が倉庫を焼いた!」
「人間が魔王領を焼いた!」
二つの噂が同時に広がっていた。
人々は互いを睨み、石を握る。
俺は広場の中央に立った。
「まだ犯人は分かっていない。分かっているのは、両方の国で同じ夜に麦が焼かれたことだ」
「だから敵の仕業だろう!」
「敵は、俺たちをまた戦わせたい者かもしれない」
俺は焼けた布と油壺を見せた。
「どちらの現場にも、同じ偽物が残されていた。犯人を決めつける前に、これを調べてほしい」
群衆はすぐには静まらなかった。
それでも、石を投げる者はいなかった。
夜、リリスが戻ってきた。
外套は煤で汚れ、指先に火傷を負っていた。
「向こうの村は?」
「子供たちを先に避難させました。麦は半分しか残りませんでした」
俺は彼女の手に包帯を巻いた。
「こちらも同じだ。今ある麦を分け合うしかない」
「互いに余裕がないのに、分けられるでしょうか」
「分けなければ、また奪い合うことになる」
火事の調査では、双方の代表が証拠を持ち寄ることになった。
王都側の役人は最初、魔王領の立会人を倉庫へ入れたがらなかった。
「軍の施設です。部外者は困る」
「共同調査と協定に書いてある」とゾイド。
「ですが、機密が……」
「燃えた麦の量は機密ではない。国民が食べるものだ」
火災現場の調査では、同じ油の匂いが二つの村で確認された。
ただし油だけで犯人は決まらない。
運搬経路と購入記録を照合する必要があった。
グレンは魔王領でも同じ問題が起きたと報告した。
「うちの兵も王国の監査官を追い返そうとした。俺が許可を出した」
「互いに疑っているから、立会人が必要なんだ」と俺は言った。
スーシャは焼け残った帳面を机に並べた。
王都の倉庫では火事の前日に鍵が一つ増え、魔王領の穀物庫でも臨時の鍵が作られていた。
「同じ手口です。内部に入れる者がいなければできません」
ヴォルマは倉庫番の勤務表を指した。
「火事の日、二人とも急に休みを命じられています。代わりに来たのは、輸送監督の名で派遣された人間です」
「名前は?」
「偽名でしょう。ただ、筆跡が似ています」
俺たちは筆跡だけで犯人を決めず、命令書の紙を調べた。
どちらも同じ製紙工房の透かしが入っていた。
「王都の軍用紙だ」とゾイド。
「これで王国軍の犯行と決まるわけではない」とグレン。
「分かっている」とゾイドは答えた。
「だが、紙を持ち出せる者は絞れる」
その日の夕方、焼けた倉庫の前に配給を待つ人々が集まった。
俺は被害を隠さず、残った量を掲示した。
「足りないのは分かっている。でも、数をごまかせば次の輸送が組めない」
誰かが不安そうに尋ねた。
「明日は食べられるのか」
「明日の分はある。その次は、今調べている」
答えながら、俺は自分の無力さを感じた。
魔王を倒したとき、世界は変わると思った。
今は麦の袋を数え、一日先の食事を約束するのが精いっぱいだった。
リリスが隣に立った。
「一日先を守ることが、今の私たちの仕事です」
俺は頷いた。
火の消えた倉庫には、焦げた穀物の匂いが残っていた。
村人たちは互いの顔を確かめ、誰が無事で誰が行方不明かを紙に書き出した。
俺は剣を握る代わりに、その紙を押さえた。
失った物を数えるのは苦しい。
だが、数えなければ取り戻すための手立ても決められない。
そのとき、スーシャが急いで入ってきた。
「補給監督官が行方不明です。今朝、王都を出た記録があります」
「行き先は?」
「旧王国軍の北部駐屯地です」
ゾイドの顔色が変わった。
「そこには、停戦命令を拒んだ部隊が残っている」
俺は地図を開いた。
北部駐屯地から国境へ続く道には、まだ修理されていない橋がある。
火事は、ただの嫌がらせではなかった。
輸送を止め、飢えを広げ、軍を動かすための準備だったのだ。




