第二十六話 魔王の娘を処刑せよ
「魔王の娘を処刑せよ!」
王都の広場に、その文字が掲げられた。
評議会の入口には数百人が集まり、リリスの名を叫んでいた。
戦争で家族を失った者もいれば、顔を布で隠した男たちもいる。
リリスは立ち止まった。
「私が入れば、会議が混乱します」
「だからといって逃げるのか」
「逃げません。でも、あなたが私を守るために誰かを傷つけるのは嫌です」
俺は聖剣のない腰に手をやった。
折れた剣は宿に置いてある。
ここで必要なのは、剣を抜かずに彼女の話を聞いてもらう方法だった。
評議会の採決前、スーシャはリリスの資料を読み直していた。
「この地図に印をつけたのは、いつですか」
「父の軍が北へ進んだ年です。私は当時、道の幅と水場を調べていました」
「その後の襲撃を知ったのは?」
「半年後です。人間の村が焼けたと聞きました。でも、地図が使われたかどうかは分かりません」
スーシャは日付を二つ書き、別々の欄に記録した。
「分かっていることと、まだ調べることを分けます。あなたの責任を消すためではありません」
「分かっています」
「事実を混ぜてしまえば、被害者にもあなたにも不公平です」
リリスは深く頭を下げた。
俺はその場で、自分が魔王城へ突入したときの命令書を提出した。
敵兵を一律に討伐対象とした古い命令だ。
「俺も調査を受ける。魔王を倒したから、何をしても許されるわけじゃない」
ゾイドが書類を受け取った。
「この場で罪を決めるな。証言を集め、反論の機会を設ける。それが裁判だ」
広場の怒号を聞きながら、俺は王国の最初の裏切りを思い出した。
あの夜、宰相ベルガンは証拠があると言い、俺に反論の機会を与えなかった。
今度は、俺たちが同じことをしてはならない。
評議会では、貴族の代表が請願書を掲げた。
「ゼルガディスの娘を王都に置くなど、遺族への侮辱だ。和平の条件として身柄を引き渡せ」
「誰に?」とゾイドが尋ねた。
「王国の裁判所に決まっている」
「罪状は?」
「魔王の血を引いている」
ゾイドは机を叩いた。
「血筋だけで処刑する法律は、今の評議会にはない」
貴族は顔を赤くした。
「将軍は魔族に寝返ったのか!」
「私は王国の兵士だ。だからこそ、証拠のない処刑を認めない」
リリスが立ち上がった。
「私の父の軍が人間の村を襲ったことは知っています。私自身が関わった作戦も、調べてください」
会場がざわついた。
「関わったのか?」
「補給路の地図を描いたことがあります。その道を使った部隊が何をしたのか、私はまだすべてを知りません」
彼女は自分の記録を差し出した。
「私に責任があるなら、逃げません。ただ、父の娘だからという理由だけで殺されることには同意できません」
俺は彼女の横顔を見た。
父の罪をなかったことにしない。
自分に都合の悪い資料も隠さない。
勇気とは、剣を振ることだけではないのだと思った。
そのとき、広場から悲鳴が上がった。
窓の外で人の波が押し合い、子供が転んでいた。
門の前にいた男が叫ぶ。
「魔族が中にいる! 門を破れ!」
衛兵が槍を構えた。
押し寄せる人々を止めようとすれば、誰かが刺される。
「槍を下げろ!」
俺は階段を駆け下りた。
ゾイドが衛兵に盾だけを持たせる。
リリスも後を追ってきた。
広場では、昨日まで配給に並んでいた母親が子供を抱えて泣いていた。
怒号の中に、何かを投げる音が混じる。
「皆、聞いてくれ!」
俺の声は届かなかった。
石が飛び、衛兵の盾を叩いた。
群衆の後方で、同じ外套を着た男たちが一斉に叫んでいる。
「処刑だ! 処刑だ!」
自然に集まった怒りの中へ、誰かが言葉を流し込んでいる。
リリスが俺の袖を引いた。
「前に出ます」
「危険だ」
「分かっています。でも、私が隠れたままでは、あの人たちは何も確かめられません」
彼女は階段の最上段に立った。
額には、村で石を受けた傷がまだ残っていた。
「私はリリスです。ゼルガディスの娘です」
広場が一瞬だけ静かになった。
「父を憎む人がいることは知っています。私も、父を殺した勇者を許してはいません」
人々が俺を見た。
「それでも、今は同じ荷車を押しています。戦争を続ければ、皆さんの子供がまた飢えるからです」
「綺麗事を言うな!」
老人が叫んだ。
「息子を返せ!」
リリスは目を伏せた。
「返せません」
その言葉に、広場の空気が変わった。
「私には返せない。だから、せめてこれ以上、同じ悲しみを増やしたくありません」
誰かが泣き始めた。
怒りが消えたわけではない。
だが、石を握った手のいくつかが下がった。
その隙に、ゾイドの兵が転んだ子供を助け出した。
広場の端で、リリスに石を投げようとしていた青年が手を下ろした。
彼は謝らなかったし、リリスも礼を求めなかった。
ただ、衛兵が人々を押し返す必要はなくなった。
俺はその小さな変化を見逃したくなかった。
怒りが残ったままでも、明日の話し合いへ進める。
その道を閉ざさないことが、今の俺の役目だった。
評議会は被害者の証言を聞く窓口も設けた。
リリスの言葉が誠実でも、それだけで失われた家族は帰らない。
怒りを裁判の外へ追いやらないことが、次の暴動を防ぐ第一歩だった。
夕方、評議会はリリスの身柄引き渡しを否決した。
ただし、戦時中の行動について共同調査に応じることが条件となった。
リリスは署名した。
採決の直後、評議会の階段で貴族の代表が俺に近づいた。
「君は魔族を守っているつもりかもしれん。だが遺族は納得しないぞ」
「納得しなくていい。調査の結果を見て、それぞれが判断する」
「それでは国が割れる」
「嘘で一つにまとめれば、また誰かを処刑することになる」
貴族は苦い顔で去った。
リリスは階段の手すりに手を置いた。
「父が生きていたら、私はここへ来られなかったかもしれません」
「どうして?」
「父の娘であることに守られて、何も知らずに済んだからです」
彼女は広場を見た。
「今は知らないままでいるのが怖い。自分のしたことも、父のしたことも」
俺は何も言わず隣に立った。
慰めの言葉で消せる恐れではなかった。
「怖くなかったのか」
「怖かったです。今も足が震えています」
彼女は立ち止まった。
「でも、あの老人に『息子を返せ』と言われたとき、何も返せない自分が一番怖かった」
俺は答えられなかった。
魔王を殺した俺にも、彼女の父を返すことはできない。
「明日も荷車を運ぶか」
「はい。今日、石を投げた人の村にも」
その夜、評議会の門に新しい紙が貼られた。
『魔王の娘を守る者も、反逆者である』
俺の名が、また大きく書かれていた。




