第二十三話 昨日まで敵だった兵士たち
「同じ鍋から食えだと?」
王国兵のマルクが匙を置いた。
向かいの魔族兵、カイも立ち上がる。
「俺の弟は王国軍の矢で死んだ。こっちだって願い下げだ」
共同輸送隊の野営地で、夕食が始まる前から険悪な空気が漂っていた。
停戦協定は護衛を双方から出すよう定めた。
だが、一緒に歩くことと、一緒に食べることは違う。
荷車を挟んで二つの焚き火ができ、見張りの交代さえ口頭ではなく札で伝えていた。
ゾイドは俺に言った。
「命令で敵意を消すことはできん。だが、夜襲に備えるなら互いの声を知らねばならない」
グレンも頷いた。
「戦場では声で敵味方を判断した。今はそれが邪魔になる」
俺は一つの鍋を二つに分けようとしたが、リリスに止められた。
「分ければ、明日も分けることになります」
「無理に一緒に座らせても喧嘩になる」
「なら、まず仕事を一緒にしましょう」
彼女は荷車の車輪を指した。
片側の留め具が緩み、軸がずれている。
「このままでは坂道で外れます。直せる人は?」
マルクが手を挙げた。
「親父が車大工だった」
カイも言った。
「俺は鉱山で金具を作ってた」
二人は顔を見合わせ、嫌そうに工具箱を開いた。
最初の十分は無言だった。
マルクが木の楔を削り、カイが鉄輪を温める。
だが楔が太すぎて入らない。
「それじゃ割れる」とカイ。
「分かってる。木目を見てるんだ」
「木目なら反対側だ」
マルクが睨んだ。
「口だけなら誰でも言える」
カイは自分の短剣を抜き、木の表面を薄く削った。
マルクの手が剣へ伸びる。
俺も立ち上がったが、カイは短剣を柄から差し出した。
「試せ。こっちから削れば割れない」
楔はぴたりとはまった。
「……腕は悪くないな」とマルク。
「お前もな」
それだけだった。
和解ではない。
ただ、壊れた車輪が直った。
夜半、見張りの鐘が鳴った。
丘の上に火が三つ見えた。
輸送隊の合図ではない。
「襲撃か!」
兵士たちが武器を取る。
マルクは王国式の陣形を命じ、カイは魔族の弓兵を斜面へ動かそうとした。
命令がぶつかり、荷車の前で兵が立ち往生する。
俺は叫んだ。
「荷車の守りを優先しろ! 右の斜面はマルク、左はカイ!」
「俺の指揮下に魔族を入れるのか」とマルク。
「俺の部下に王国兵の命令を聞けと?」とカイ。
「二人で決めろ。火は待ってくれない!」
二人は歯を食いしばり、短く相談した。
右斜面に王国兵の盾、左斜面に魔族の弓。
荷車の間には子供と負傷者を集めた。
ところが、丘から現れたのは襲撃者ではなかった。
避難民だった。
松明を掲げた十数人が、暗い道を逃げてきたのだ。
「助けてくれ! 村が焼かれた!」
男の背中には幼い娘がいた。
娘の靴は片方しかない。
マルクは剣を収め、避難民を囲む盾の列を開いた。
カイは焚き火の鍋を運んできた。
「水を先に飲ませろ」とマルク。
「熱い粥もある」とカイ。
「それは兵士の分だぞ」
「兵士は一食抜いても走れる」
二人は同時に言い、顔をしかめた。
避難民の話では、夜のうちに武装した男たちが倉庫に火をつけたという。
男たちは村人に「魔族の仕業だ」と叫んで逃げた。
だが村人の一人は、王国式の軍靴を見た。
「また偽物の軍服か」と俺が言う。
ゾイドは記録係に命じた。
「証言はそのまま書け。推測を足すな」
夜が明けるころ、避難民の娘が目を覚ました。
鍋を囲むマルクとカイを見て尋ねる。
「おじちゃんたち、敵なの?」
二人は答えに詰まった。
「昨日まではな」
カイが鍋から粥をよそった。
「今日は荷車を守る仲間だ。明日は知らん」
マルクが先に匙を渡した。
避難民の中には、魔族の兵士を見ただけで泣き出す老人もいた。
俺たちは野営地の中央に簡単な仕切りを作り、眠る場所を分けた。
「結局、別々にするのか」とマルクが言った。
「眠れることが先だ」とカイが答えた。
「同じ鍋で食うのと、隣で眠るのは違う」
マルクとカイは、見張り札の文字を互いに読めるよう書き直した。
どちらの軍でも使う短い言葉を選ぶ。
それだけで、暗闇の中の誤解を一つ減らせた。
意外な言葉だった。
カイは自分の毛布を、熱を出した避難民の子供へ渡していた。
俺は二人に、翌朝の護衛の順番を相談した。
「今まで通りなら、王国兵が先頭だ」とマルク。
「だが、先頭は地雷や落とし穴を最初に踏む」とカイ。
「お前たちが危険を引き受けると言いたいのか」
「そうじゃない。交代にしようと言ってる」
マルクは少し驚いた顔をした。
「お前、そんなことも言えるんだな」
「何だと」
「褒めてるつもりだ」
二人はまた睨み合ったが、今度は俺が止める必要はなかった。
夜明け前、娘を背負っていた男が俺を訪ねた。
「村を焼いた連中は、火をつける前に穀物庫の鍵を探していました」
「麦を奪ったのか」
「いいえ。麦は燃やさず、荷車へ積んで持っていったんです。家にだけ火をつけた」
襲撃者は食料を手に入れ、村人を逃がし、魔族の仕業だと叫んだ。
何のために?
俺は地図を開いた。
逃げてきた村と、前日に襲われた峡谷の間には、古い商道が通っている。
「同じ荷車を使った可能性があるな」とグレン。
「まだ分からない。でも、車輪の跡を比べられる」
マルクが自分の工具を持ってきた。
「車輪の幅なら、俺が測れます」
カイも立った。
「鉄輪の継ぎ目の形も残る。工房ごとに違う」
二人は松明を持って道へ出た。
戦争中なら、相手の工夫を知るために近づいた二人だった。
今は同じ轍を調べるために並んで歩いている。
俺は彼らの背中を見送った。
小さな変化だ。
だが、あの少女の言う通り、明日も続けられれば意味がある。
娘は不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ、明日も守ればいいのに」
誰も笑わなかった。
翌朝の点呼で、マルクはカイに見張りの交代表を渡した。
カイは自分の名を署名し、返した。
マルクは見張り表の余白に、小さく弟の名前を書いた。
戦場で死んだのはカイの弟だけではない。
彼にも、二度と帰らない友人がいた。
互いにその話をするには、まだ早かった。
それでも、隣の男が夜の寒さに震えていると分かれば、薪を一本渡すことはできる。
その日の夕食、二人は同じ焚き火を囲んだ。
ただし二人はまだ、鍋の反対側に座っていた。
俺はそれで十分だと思った。
信頼は命令で作るものではない。
昨日より一歩近い場所に座れるかどうか、その積み重ねだった。
次の交代表には、二人の名が同じ欄に書かれた。
どちらも消そうとはしなかった。
互いの傷を消せなくても、同じ荷車と人々を守ることはできる。




