(第二章)第二十一話 戦争が終わったのに、荷車が襲われた
(第二章) 終わらない戦争と和平の代償 ~剣を捨てた勇者の新たな戦い~
国境の橋を越えて三日目、最初の共同輸送隊が襲われた。
知らせを持ってきたのは、片腕を吊った王国兵だった。
夜明け前、峡谷の曲がり角で荷車が止められ、護衛二人が負傷したという。
「積み荷は?」
「麦十二袋と薬箱三つです。金貨には手をつけていません」
「食料だけか」
兵士は頷いた。
「襲撃者は王国軍の外套を着ていました。ですが、顔を隠していて……」
俺はリリスと目を合わせた。
停戦の最初の取り決めは、食料と薬を通すことだった。
その荷車が狙われた。
グラディ村では、修理途中の屋根に朝露が光っていた。
ダグ村長が帳面を開く。
「次の麦が届かなければ、冬の種まで食べることになる」
「種を食べれば、春が来ても畑は空だ」
リリスが静かに言った。
トトは木桶を抱えたまま、俺を睨んだ。
「戦争は終わったんじゃなかったのかよ」
「停戦の命令は出た。でも、従わない者がいる」
「じゃあ、また父ちゃんみたいに誰かが死ぬのか」
答えられなかった。
俺は村の倉庫を確認し、残った麦を数えた。
三十二袋。
住民の人数からすれば、節約しても十日ほどしかもたない。
「次の輸送隊は俺が護衛する」
「勇者様がいれば安心だな」とダグが言いかけた。
「安心はできない。道と襲撃の理由を調べる。俺が一人で荷車全部を守れるわけじゃない」
そう告げると、村長は黙って帳面に新しい欄を作った。
誰が護衛に出るか、どの村に何袋届くか。
英雄の名前より、その数字が必要だった。
昼過ぎ、ゾイドとグレンが国境の見張り小屋に集まった。
二人は同じ机の反対側に立ち、襲撃地点を指した。
「王国側の通行証が使われている」とゾイド。
「魔王領の古い抜け道を知っている者もいる」とグレン。
「双方の内通者か?」
「まだ分からん。決めつければ相手の思うつぼだ」
俺たちは現場へ向かった。
峡谷の道には、折れた車軸が転がっていた。
荷車の側板には矢が刺さり、泥の上に黒い布切れが落ちている。
布を拾ったリリスが眉をひそめた。
「王国軍の外套です。でも、この縫い目……軍の工房で作ったものじゃありません」
「なぜ分かる?」
「父が捕虜交換のときに、双方の制服を見分ける方法を教えてくれました。偽物の外套は、裏地の糸が違うんです」
彼女は布を握りしめた。
父の知識が、今は父を殺した俺の役に立っている。
その事実を俺たちは口にしなかった。
矢を調べたグレンが言う。
「鏃は王国式だ。だが羽根の付け方が雑すぎる。見せかけの可能性がある」
「つまり、王国軍が襲ったように見せたい者がいる」
「逆かもしれん。魔族の工作だと思わせるために、わざと粗末な偽物を使ったのかもな」
互いを疑い始めれば、荷車は一台も通らなくなる。
そのとき、崖の下から小さな声がした。
「……助けて」
崩れた土砂の陰に、十歳ほどの少年がいた。
王国側の運搬係の見習いだという。
脚を挟まれ、夜から動けなかったらしい。
「名前は?」
「エド。母さんが……町で待ってる」
俺が岩を持ち上げ、グレンが少年を引き出した。
スーシャに教わった応急処置を思い出し、傷口を布で押さえる。
リリスは自分の水筒を差し出した。
エドは角のある彼女を見て怯えたが、水を飲んだ。
「襲った人たちを見たか?」
少年は首を振ったあと、震える指で道の先を示した。
「顔は見えなかった。でも、荷車を燃やすなって言ってた。『次も使う』って」
俺たちは黙った。
奪うだけなら、荷車を残す必要はない。
「ほかに聞いたことは?」
「『帳面の通りだ。麦だけ取れ』って……」
帳面。
輸送日と積み荷の種類を知っている者がいる。
ゾイドは唇を引き結んだ。
「輸送計画は評議会と両軍の連絡所にしか渡していない」
「誰かが情報を流しているのか」
「それを確かめるまで、誰も犯人扱いするな」
グレンの声は低かった。
夕方、俺たちは代わりの荷車を用意した。
麦は村から持ち出した備蓄の一部だ。
襲われれば村も飢える。
それでもダグは鍵を差し出した。
「次の村にも子供がいる。ここだけ助かっても、橋はまた閉じる」
翌朝の出発に備え、俺たちは護衛の配置を組み直した。
以前は王国兵が前、魔族兵が後ろを歩いていた。
どちらかが襲われれば、もう一方は背後から攻撃されたと勘違いしかねない。
「旗を三色にしよう」とリリスが提案した。
「赤は停止、白は負傷者、青は道が安全という合図です。どちらの軍旗とも違う色にすれば、誤認を減らせます」
荷車の護衛を増やすだけでは、麦は増えない。
俺たちは翌日から、輸送路の安全確認と並行して各村の残量を毎朝報告することにした。
数字が間違えば、飢える村を見落とす。
ゾイドは紙に書き込み、グレンは実際に旗を掲げて見え方を確かめた。
霧の深い場所では青が灰色に見える。
そこで旗の形も変えた。
赤は四角、白は三角、青は細長い二股。
色が見えなくても判別できる。
「こんなことを、戦争中に考えていればな」とゾイドが呟いた。
「戦争中は、相手を見分けるために旗を使っていた」とグレンが返した。
「今は一緒に生き残るために使う。目的が違う」
俺はエドの話を記録係に繰り返させた。
少年は最初、襲撃者の人数を五人と言ったが、後には七人だったかもしれないと話した。
「分からないところは、分からないでいい」と俺は言った。
「怒らない?」
「怒らない。無理に思い出して、違う人を犯人にしたくない」
エドは安堵したように息を吐いた。
「でも、声は覚えてる。荷車を動かすとき、あの人たちは『隊長』じゃなくて『親方』って呼んでた」
軍人ではなく、運送人の言葉だ。
俺は帳面にそのまま書き加えた。
「親方という呼び方だけでは、商人とは決められませんね」とリリス。
「そうだな。先に答えを決めない」
見張り小屋を出ると、負傷した王国兵が左手で敬礼した。
右手は包帯で動かない。
「俺は魔族の護衛に助けられました。背中を引きずってくれたんです」
「名前は?」
「分かりません。角が折れていたことしか」
俺はグレンに尋ねた。
彼は少し考え、部下の名を挙げた。
「礼を言いたい」と兵士。
「次の輸送で本人に言え」とグレンは答えた。
兵士は戸惑ったが、頷いた。
礼を言うためにも、次の荷車を通さなければならない。
リリスが輸送先を読み上げ、人間と魔族の護衛が交互に署名した。
出発直前、エドが俺の袖をつかんだ。
「勇者様。襲った人が最後に言ったんだ。『和平は高くつく』って」
金のために戦争を続けたい者がいるのか。
それとも、和平で失う何かを守ろうとしているのか。
俺は折れた車軸を荷車に積んだ。
証拠を残すためだ。
橋の向こうで、朝と同じ風が吹いていた。
「リリス、行こう」
「はい。今度は荷車を一台も置いていきません」
その言葉に頷きながら、俺は気づいていた。
魔王を倒すより難しい戦いが、もう始まっている。




