35話
エレスチャレ子爵の館に着くと、予想と違い問題なく館の中へ通された。
ただ、門を開けたのも、案内したのもいつもの子爵家の使用人ではなく、見たことない鎧姿の騎士たちだった。
人気のない廊下を私とスピネル君、アンバー先生の三人が騎士の後をついていく。
シルバートは先にスマラルダスの元に戻っているはず。
たしか、この先はエレスチャレ子爵の執務室だ。
今はガーネットちゃんのお母さん、リビアンさんが使っているはずだ。
「スピネル君、この人達は…」
「ええ、王妃の親衛隊です」
「……こんなエレスチャレまで、まさか」
「おそらく、王妃本人が来ている可能性があります」
王妃がスマラルダス自身に危害を加えるのは困難だと、シルバートもアンバー先生も言った。
でも、雪原で、私はスマラルダスの選択をただ待つのは良しとせず、スピネル君やアンバー先生に諌められつつもここまでソリを飛ばしたのだ。
(王妃が…。これは、もしかして)
前を歩いていた騎士は執務室の扉を開き、私たちを室内へと促した。
執務室へと一歩入ると、そこには金の髪のスマラルダスが立っていた。
その顔を見たとたん、私をグラリと揺れるような錯覚が襲い、そしてそれを弾くようなパキンという高い音が耳の奥で聞こえた。
(……なんだ、今の)
その現象に軽く呆然としたが、アイアンディーネ、というスピネル君の気遣う声に我に返った。
「大丈夫ですか?」
「ああ、うん。だいじょうぶ…ではない…かな?」
私は室内にいる数名の騎士がこちらに抜き身の剣を向けていることに気が付きそう答えた。
スマラルダスの近くにはシルバートが不機嫌に控え、その奥の応接用のソファには本来この部屋の主であるリビアンさんが蒼白の顔で座っていた。
その後ろにはやはり騎士がいて、リビアンさんの隣には白髪の初めて見る顔のおじいさんがいた。
「ジャスパーさん…?」
私のその問う声に彼はこちらに視線を寄越す。
侍従と聞いていたが、まるで古戦場の戦士のような鋭い目だ。
ジェダイトやガーネットちゃんの話から想像していた好々爺と言ったイメージと大きくかけ離れている。
怖気づきそうな自分を奮い立たせる。これだけは言わなければ。
「…ジェダイト様とガーネットさんは無事です」
その言葉にリビアンさんが顔を覆い、よかった、と言ってソファに屑折れた。
それを見て、私はこの事態を引き起こした人間を許せないと感じた。
怒りが足元から湧き起こる。
そんな私に冷や水を浴びせるような声が聞こえた。
「誰が発言を許しましたか」
一人がけ用ソファに、もう一人居たことに気がつく。
女の人--だ。
「アイアンディーネ・フロウライトですね。これは、都合のいいこと。捕まえる手間が省けました。飛んで火にいる夏の虫、とはよく言ったこと」
誰だ、と誰何する前にシルバートが言った。さも嫌そうに。
「ジュエルランド王妃、ジェムシリカだ」
「え…!」
「……ええ。そうですよ。アイアンディーネ。では、自分の立場を認識したら口は挟まず そこにおいでなさい。私の大事な人質として」
シルバート(王家代々の魔剣様)には口をきくなと言わんのか、と突っ込み入れることはさすがに憚られた。
この状況、どう見ても、スマラルダスを脅迫中ですよね。
「さて、役者も揃いました。エメラルディン。今日こそ王宮に来てもらいますよ」
手に持つ扇をパンと閉じ、彼女は言った。
年の頃は三十歳後半。美人だがやや太め。
口元が笑うと歪むのが気になる。
アイドルみたいに綺麗に笑うのって実は難しいのよね、と つい女ならではの意地悪な審美眼を働かせてしまった。
私とスピネル君は並んで座らされています。
スピネル君がまるで猫の毛みたいに神経逆立たせている。
そりゃそうだ。さっきから、私の首に剣を突きつけている騎士がいるんだもの。
さすがにちょっと動いたくらいではかすりはしないが、スマラルダス…、エメラルディン王子を脅すには充分だろう。
いやはや、ごめんね。アイアンディーネは見事に足を引っ張っています。
(正直、本気出せば王妃とこの騎士は瞬殺できそう…)
丁度私の魔剣の範囲内なのだ。
(でも、それをやったら人生終わりだしな~)
人間刺すのはちょっとな~、とも思う。正当防衛ならまだしも、まだそこまでの危機ではない。
万能盾を装備していたら、もっと安心だったけどそれは頭から抜け落ちていた。
私もやはり、平静ではいなかったのね。ハハハ。
いや、ふざけてません。ただ、これくらいは、余裕あるんだな。
…アンバー先生が落ち着いていてくれているからかも。
むしろ、スピネル君とシルバートの堪忍袋の尾がいつ切れるかわからない。
だけど、二人とも動く気配がない。
なんだろう。ちょっと、謎。
そして、スマラルダスもなんかいつもと違うのだ。
なにが、とは言えない。
金髪のスマラルダス…、認識阻害を解除したエメラルディン王子の姿は森番小屋でも見たはずなのに、なにか気配が違うのだ。
その姿を目にするとクラリと軽い眩暈とその都度、耳の奥で硬質の高い音がする。
なんぞ、これ?
そして、シルバートやスピネル君、アンバー先生が軽くこちらを伺うのがわかる。
私、なにかおかしいことしている?
だが、この場で変わらず平静なのはエメラルディン王子だ。
王妃がドヤ顔でも、彼はそれをまるで意に介していない。
だが王妃はそれを諦めと感じたのか、扇を手に彼に迫る。
「エメラルディン。どうです? 王宮に来てわたくしの養子となり王位継承権のレースに出なさい。アイアンディーネ・フロウライトになにかあれば護衛対象も守れなかったと貴方たちの評判など地に落ちます。あの己が利に敏いばかりの豪商のオニキスなど簡単に貴方を見放すでしょう。そうなれば卑しい孤児院の何でも屋など誰が相手にしましょう。下級貴族の夜会などに出て仕事を請うなど、貴方に相応しい立場ではありません!」
それにエメラルディンが苦笑した。
「私に国王など とても務まりません。王妃様は私を過大評価していらっしゃる」
「いいえ。わたくしの目は確かです。あの女の子供に王位を渡したらこの国はトパーズ公爵の思うままです」
「トパーズ公爵は私の目から見て公明正大な方だ。本来サファイア王子の前にあの方が即位すべきだと思います。娘の側妃様の教育には失敗したようですが。それも王妃様の仕業ではないのですか?」
彼らの会話に知らない事実がチラホラ…。
エメラルディンはトパーズ公爵推しか! 意外でした。
「彼女はもともと不安定な女性でした。そこを少し背中を押したまで。国王陛下が貴方の母親と若い頃から愛し合っていたのは嘘ではありませんよ。わたくしは気にならなくても側妃は気にしたようですね。ただ国王陛下が側妃をかばったのは意外でした」
彼女は遠い目をする。
いや、視点が定まっていないだけ?
エメラルディンは椅子に肘をつき、頬杖つく。
「当たり前です。国王陛下の嫡男として正式に認められているのはサファイア王子だけ。その母たる彼女にあの父が情を移さぬはずがない。おかげで私はひどく苦しい立場になりましたよ。いい迷惑だ。孤児院の人間に手を出させたのも王妃様の入れ知恵ですか」
「おほほ。貴方には未練を残させたくなかったのですよ。母としての試練です」
(…ろくでもないな!)
思わず暴言が出る。
なんと、側妃すらこの王妃の手のひらの上とは。
だけど、なんだろう。この違和感。この場を支配しているのは王妃のはずなのに。
「このまま国王陛下が亡くなれば貴方にチャンスがなくなります。幸い、フロウライト伯爵夫人がエレスチャレ子爵になにか画策していたようなので便乗したまで。ねえ、ジャスパーとやら。お前ならわかるでしょう? お前も姪に爵位を与えたいがために、わたくしの甘言に乗ったのですから」
その言葉にあの古戦士のようなジャスパーがどう反応するかと伺ったが彼は額に手を当て苦しそうだ。
(あれぇ? 体調悪いのかも…? いや、まてまて、周囲を見るのよ、アイアンディーネ!)
そう、ふと気づくと私に向いていた騎士の剣が方向を変えている。
それは、彼だけでなく、王妃の近衛は皆、その切っ先をいつの間にか変えていた。
己が主の王妃の方へ。




