第六話 父さんと呼ばれた雪の夜
雪が降り始めたのは、子供の人数が百人に達した翌日の夕方だった。
ライアンは屋根を見上げた。
梁の継ぎ目から落ちる水滴を受けるため、床には桶が三つ並んでいる。
昼間のうちに修理したかったが、荷運びの仕事が長引き、釘を買う銅貨も残らなかった。
「雪が積もれば、穴が塞がるかも」
ノアが言った。
「積もった雪の重さで屋根が落ちるかもしれない」
ガイアは梁を見た。
二人の言葉はどちらももっともだった。
ライアンは子供たちを広間から奥の部屋へ移すことにした。
けれど奥には百人が眠れるだけの場所はない。
小さな子を優先すると、年長の子たちが廊下に並ぶことになる。
「俺たちは平気だよ」
ガイアは言った。
「平気な顔をしているのと、寒くないのは違う」
ライアンは毛布を数え直した。
五十二枚。
二人で一枚使っても足りない。
火を焚けば薪が減る。
薪を節約すれば、風邪をひいた子が悪化する。
選べるものが少なすぎた。
ライアンは倉庫の鍵を手にした。
商人ガストンから預かった余剰の麻袋がある。
勝手に使えば信用を失う。
けれど今夜、子供たちを凍えさせるわけにはいかなかった。
「借りに行く。断られたら、ほかを探す」
「僕も行く」
ガイアが立ち上がった。
「ここに残ってくれ。小さい子が不安がっている」
「父さんだけが外へ行くのは、ずるい」
ライアンは驚いた。
ガイアは怒っていた。
守られるばかりの自分が悔しいのだ。
「分かった。二人で行こう。ただし、雪が強くなったら引き返す」
出発前、マリナが二人に小さな紙を渡した。
必要な麻袋の枚数と、借りた場合に返せる仕事の内容が書かれていた。
「お願いだけじゃ、相手も困るでしょ」
「そうだな」
ライアンは紙を胸にしまった。
ガストンの店に着くころ、雪は膝の下まで積もっていた。
店の灯りは消えかけていたが、事情を聞いたガストンは倉庫を開けた。
「麻袋は持っていけ。ただし、屋根はどうする」
「明日、直します」
「明日まで持たなかったら?」
ライアンは黙った。
ガストンは帳場から古い地図を出した。
店の裏に、使われなくなった荷馬車の待機所があるという。
石造りで屋根は頑丈だが、長く掃除されていない。
「一晩なら貸せる。火の始末だけは厳守しろ」
「百人全員ですか」
「数は聞いた。だから言ってる」
ライアンは深く頭を下げた。
帰り道、ガイアはずっと無言だった。
雪の中で立ち止まったのは、家が見える角を曲がる直前だった。
「俺、さっきまで父さんを責めてた」
「何を?」
「また子供を増やして、食べ物も寝る場所も足りなくしたって」
「それは責められても仕方ない」
「でも、俺だって橋の下の子を置いて帰れなかった」
ライアンはガイアの肩に積もった雪を払った。
「一人で抱えるのは間違いだった。お前が言ってくれなければ、気づくのがもっと遅かった」
ガイアは唇を結び、やがて頷いた。
家に戻ると、子供たちは既に移動の準備を始めていた。
ノアが人数を数え、セーラが幼い子の手をつなぎ、マリナが帳簿と薬を布に包んでいた。
「百人、ちゃんといる?」
ライアンが尋ねると、ノアは首を振った。
「九十九人。エルがいない」
部屋の空気が凍りついた。
双子の姉エマは泣きながら言った。
ライアンはその声を聞きながら、人数の確認をガイアに任せた。
自分が屋根の下へ戻れば、外で震える子を見落とす。
外へ走れば、倒れた子のそばを離れることになる。
一人で両方はできない。
助けを頼むのは敗北ではなく、全員を数え終えるための方法だった。
「さっきまで隣にいたのに」
ライアンは全員を待機させ、ガイアと屋内を探した。
台所、物置、階段の下。
どこにもいない。
裏口の閂が半分だけ外れていた。
外へ出ると、小さな足跡が雪に残っていた。
足跡は薪小屋へ続いている。
ライアンが扉を開けると、エルが丸くなっていた。
腕には、破れた小さな人形を抱えている。
「どうしてここに?」
「お人形、置いてきちゃった」
エルの声は震えていた。
「前のおうちでも、急いで逃げたの。戻ったら、もう誰もいなかった。だから……」
ライアンは傷の残る手を膝の上で握り、明日からの仕事の分担を考えた。
安全な場所へ移ると説明したつもりだったが、エルには再び捨てられる夜に聞こえたのだ。
「ごめんな。ちゃんと話してなかった」
「みんな、いなくなる?」
「一緒に行く。エマも、ほかの子も。誰もここに置いていかない」
「本当に?」
「一緒に数えよう。百人、全員だ」
ライアンはエルを抱き上げた。
小さな体はひどく冷えていた。
子供たちが外へ出た直後、広間の屋根が重い音を立てて崩れた。
雪と木片が、さっきまで寝床のあった場所に落ちる。
ガイアが立ち止まりかけたが、ライアンはその背を押した。
「振り返るな。百人全員で、先へ行こう」
誰か一人でも捜索が遅れていたら、間に合わなかった。
ライアンはエルの冷えた手を握り直した。
荷馬車の待機所へ移る道のりは、短くても容易ではなかった。
年長の子が年少の子の手を引き、歩けない子を荷車に乗せた。
ルクスと助産師マルタも駆けつけ、熱のある子の様子を確かめた。
ノアは入口で一人ずつ名前を呼んだ。
返事のない子がいれば、列を止めた。
数だけ合わせても意味がないと、帳簿を見ながら確認した。
避難先は一つの建物では収まりきらなかった。
馬車置き場と隣の工房に分かれるため、ノアは名簿に避難先を書き込み、移動する子の名前に印をつけた。
誰かが勝手に別の建物へ移れば、人数が合っていても安心できない。
ライアンは各建物の大人に名簿の写しを渡した。
最後の子が入ったとき、ノアは声を張った。
「百人。全員いる」
ライアンは壁にもたれた。
足の感覚がなかった。
けれど、子供たちの息遣いが聞こえる。
その音だけで胸がいっぱいになった。
夜更け、建物の外で大きな音がした。
ライアンとガイアが戸を開けると、遠くで屋根が雪の重みで崩れる音がした。
自分たちがいた家の方角だった。
ガイアは何も言わず、ライアンの袖を握った。
朝、雪が弱まると、ライアンは一人で元の家を見に行った。
広間の屋根は落ち、寝床があった場所には折れた梁が刺さっていた。
もしあのまま眠っていたら、何人が下敷きになっただろう。
ライアンは崩れた家の前で立ち尽くした。
助けたつもりで、危険な場所に住まわせていた。
そこへガストンがやって来た。
ライアンの顔を見て、事情を察したらしい。
「今度は屋根のある家を探すんだな」
「百人も住める場所があるでしょうか」
「一軒でなくてもいい。町の人間に聞いてみる」
「これ以上、迷惑は」
「迷惑かどうかは、頼まれた相手が決めることだ」
ライアンはしばらく黙り、深く頭を下げた。
待機所へ戻ると、子供たちは朝食の支度をしていた。
寄付された麦を炊いた薄い粥だった。
エルは人形を抱いたまま、エマと並んで座っていた。
「父さん」
エルが呼んだ。
ライアンは足を止めた。
百人の子供たちの一人が、初めてためらわずにそう呼んだのだ。
「おかえり」
「……ただいま」
言葉はそれだけだった。
それでもライアンには、崩れた家の前で感じた恐怖が少しだけ和らぐのが分かった。
守ると約束したからには、守り方を学ばなければならない。
愛情だけでは屋根は直らない。
働くだけでも、百人分の暮らしは支えられない。
ライアンはマリナの帳簿を開いた。
食料、薬、寝具、そして新しい住まい。
必要なものを書き出すと、頁はすぐに埋まった。
ガイアが隣に座った。
「俺も手伝う。何から始める?」
「まずは、町の人に相談しよう」
「誰から?」
「大工だ。屋根の危ない場所を見てもらう。次に教会へ、冬の間だけ借りられる部屋がないか聞く」
ガイアは頷きかけ、ライアンの手を見た。
荷運びで擦り切れた指には、まだ血の滲む傷があった。
「父さんは明日、仕事を減らせる?」
「減らしたら食費が足りない」
「倒れたら、もっと足りない」
ライアンは返す言葉が見つからなかった。
百人の暮らしを一人で背負おうとすることが、かえって百人を危うくする。
翌日の相談には、ガイアとマリナも同席することにした。
修理の話し合いでは、屋根を直せばすぐ戻れるという意見も出た。
だが大工は、壁の土台まで湿っていると指摘した。
ライアンは思い出の残る廃屋に戻りたかったが、子供たちを危険に戻すわけにはいかない。
建物は専門家の確認が済むまで使わないことにした。
ガイアは頷き、帳簿の新しい頁に「協力してくれる人」
と見出しを書いた。
ガストン、パン屋、薬師ルクス、助産師マルタ。
「百人の名前を書いたんだ。今度は、その子たちを支える大人の名前も増やそう」
ライアンは筆を受け取った。
空欄はまだ多い。
修繕の見積もりを見たマリナが、寄付だけでは春までの食費を削ることになると指摘した。
「建物を直しても、食べ物がなくなったら意味がないよ」
ガイアは教会の空き部屋を使える期間を確かめ、ノアは火を使える場所と使えない場所を図に分けた。
ライアンは、全員を同じ屋根に集めることにこだわっていた自分に気づいた。
「離れて泊まる日があっても、家族じゃなくなるわけじゃないな」
セーラは頷いた。
「どこで寝るかより、明日も会えるって分かるほうが大事だよ」
それを聞いて、ライアンは初めて肩の力を抜いた。
帳簿の空欄を埋める仕事は、雪がやんだあとも続いた。
子供たちを守るのは、ひと晩の決断ではなく、翌日からの暮らしを整えることだった。




