第五十一話 王国中の救済所が閉じた朝、父さんは鍋を百個集めた
夜明け、救済所の扉には赤い封印が貼られていた。
昨日までそこで粥を食べていた子供たちが、空の椀を抱えて立っている。
「今日は、どこへ行けばいいの?」
ライアンはすぐには答えられなかった。
封印を破れば建物へ入れる。
けれど、それでは炊き出しに協力する人たちまで罰を受けるかもしれない。
マリナが役所で確認した結果、停止命令は救済所の運営に対するもので、別の場所で行う緊急の食事提供まで一律に禁じる文面ではなかった。
「広場で炊き出しをする。必要な届出と衛生の確認は私が進めるわ」
ライアンは頷いた。
「じゃあ、まず今日の昼飯だ」
ガイアの兵站庫から大型の鍋が二十個、商会の倉庫から三十個、町の宿や食堂から五十個。
合わせて百個。
だが広場へ運び込まれた鍋を見て、マルタがため息をついた。
「鍋を並べても、火は勝手につかないよ」
薪、水、食材、調理する人、配る人、食べ終わった椀を洗う人。
百個の鍋を使うには、百個以上の仕事が必要だった。
「兵士を百人連れてきた」
ガイアが胸を張る。
マルタは腕を組んだ。
「そのうち何人が、粥を焦がさずに炊けるんだい?」
兵士たちが顔を見合わせた。
「……まず十人を厨房へ」
ガイアが言い直すと、ライアンは笑った。
広場の店主たちは、通路が塞がると抗議した。
「客が来られなくなる!」
「煙が洗濯物につくんだよ!」
ライアンは一軒ずつ話を聞き、火を使う時間と灰の片づけ方を決めた。
「子供のためだから何でも許してくれ、とは言わない。明日もここで商売をしてもらわなきゃ困るからな」
店主の一人が、しばらく考えてから言った。
「だったら、うちの裏の水場を使いな。通りの真ん中で椀を洗うよりいい」
最初の鍋に火が入った。
しかし昼前、列の最後にいた少年が言った。
「妹は来られない。足が悪いんだ」
ライアンは配給表を見た。
列に来られない人の欄がない。
「これじゃ、来られる人だけの食事になるな」
マリナは配達係を設けた。
家まで運ぶ人数を記録し、受け取ったことを確認する。
ただし、字を書けない人には署名を強制しない。
配達係の少女が戻ると、困った顔で報告した。
「妹さんの椀にひびが入ってて、粥が漏れちゃった」
ライアンは自分の椀を見た。
「鍋の数ばかり考えて、椀を忘れてた」
次の便には、蓋つきの小鍋と予備の椀を積んだ。
午後、役人のトルムがやってきた。
「許可のない配給は混乱を招く」
マリナは提出済みの届出と、広場の使用に関する確認書を示した。
「必要な手続きは進めています。運営停止中の救済所の建物も使っていません。衛生上の問題があれば、その場で直します」
トルムは書類を読み、鍋を見た。
「食中毒が出たらどうする」
セーラが答えた。
「調理と配膳の場所を分け、手洗いと水の確認を行っています。体調を崩した人の相談先も掲示します」
「食料の横流しは?」
「仕入れと受領を別の担当者が記録する。誰でも確認できるよう、集計を掲示します」
トルムは長いあいだ黙っていた。
「……監査をする側にも、明日の食事が必要な家族がいる」
ライアンが言った。
「だったら、間違いがあったら教えてくれ。俺たちだけじゃ見落とす」
トルムは頷き、掲示の字を一か所訂正した。
『受領数』
の下に、『配達数』を加えたのだ。
夕方、百個目の鍋に火が入った。
だがライアンは、その数を誇る気になれなかった。
広場の外には、まだ来られない人がいる。
食料の備蓄も、永遠には続かない。
マリナが計算したところ、現在の量で約三日分だった。
「明日もある?」
列の最後の少女が尋ねた。
ライアンは少し迷った。
「明日の分はある。明後日からの分は、今、みんなで集めている」
「三日目は?」
「まだ約束できない。でも、集まった量は毎日ここに書く。足りなくなりそうなら、隠さずに知らせる」
少女は頷き、椀を両手で受け取った。
夜、兵士の一人が鍋を焦がした。
「申し訳ありません!」
マルタは焦げた底を見て言った。
「火が強すぎるんだ。次は私が教えるから、隣で見ておいで」
兵士は黙って頷き、薪を一本抜いた。
ライアンはそれを見ていた。
百個の鍋より大切なのは、明日も火をつけられる人がいることだ。
その夜、食堂へ戻ったライアンは、壁の二十七枚の紙を見上げた。
国境で行方の分からない子供たちの捜索は続いている。
ガイアからは、翌朝に北の宿場へ向かうとの連絡が届いていた。
セーラが父に尋ねた。
「百人も育てて、どうして今も知らない子を助けるの?」
ライアンは少し考えた。
「お前たちが百人になったから、百一人目を見捨てていい理由にはならんだろ」
セーラは父の腕を取った。
昔は自分がその腕にしがみついていた。
今は、父が倒れないように歩幅を合わせる。
翌朝、広場には百個の鍋と、調理を習い始めた人たちが待っていた。
ライアンは最初の火を、若い兵士に任せた。
「今日は、お前がやってみろ」
兵士は薪の量を確かめてから、静かに火をつけた。
配膳を始めて間もなく、鍋の前で老人が倒れた。
兵士が抱え起こそうとすると、マルタが制した。
「熱い鍋のそばから離して。まず呼吸を見ておくれ」
セーラの見立てでは、空腹と脱水が重なっていた。
ライアンは行列の最後尾にいる子供たちを見た。
まだ何十人も待っている。
「体の弱い人から先に渡そう」
すると列の中から「昨日も待ったんだぞ」と声が上がった。
ライアンは列を離れず、待ち時間と残りの食数を黒板に書くよう頼んだ。
順番を変える理由を見えるようにすると、怒っていた男が自分の前にいた老婆へ椅子を譲った。
百個の鍋があっても、皆が納得できる一杯を作るには、まだ知恵が足りなかった。
炊き出しの最初の列で、年配の女性が配給札を出そうとして手を止めた。
「昨日までの札は、もう使えないんだろう?」
マリナは広場の机に立ち、はっきり答えた。
「今日の食事に札は要りません。並んだ人から順にお渡しします」
すると列の後ろから声が上がった。
「一人で何杯ももらう人が出たら、後ろの子が食べられない!」
マルタは鍋を見た。
確かに、初日から全員分の量を正確に見積もるのは難しい。
「まず一人一杯。足りるのを確かめてからお代わりにしよう」
ライアンは子供たちの列と大人の列を分ける案を退けた。
家族が離れれば、小さな子が不安になる。
代わりに、体の弱い人が座って待てる場所を作った。
昼過ぎ、最初の鍋が空になった。
兵士が焦った声を上げる。
「まだ列があります!」
「二番目の鍋を持っておいで。焦げていないか先に見せな」とマルタが言う。
兵士は走ったが、鍋を運ぶ前に火を落とした。
昨日教わったことを覚えていたのだ。
広場の隅では、洗い場の水が足りなくなっていた。
エマとエルは水を運ぶ荷車の通り道を確保し、空の桶と洗った桶を置く場所を分けた。
「鍋が百個あっても、洗う水がなければ明日は続けられないね」とエマが言った。
ライアンは頷いた。
「今日の成功は、明日も同じように食べられることだ」
夕方、広場を掃除していた女性が申し出た。
「私、明日も手伝えます。前の救済所では食事をもらう側だったけど、野菜を切るくらいなら」
マルタは包丁を渡さず、まず手を洗う場所を案内した。
「助かるよ。じゃあ、朝一番に来ておくれ」
女性は笑った。
閉ざされた扉の代わりに、広場には新しい仕事の入口ができていた。
鍋の下で、小さな炎が育ち始めた。




