第四十七話 百人の英雄が救済本部を包囲したが、父さんは剣を抜かせなかった
夜明け前、救済本部の四つの門にガイアの兵が配置された。
裏門から連れ去られた九歳のリオ。
廃鉱山で見つかったフィルの妹ネル。
さらに、所在の分からない子供たち。
建物の中には、その行き先を記した帳簿があるはずだった。
「門を破れば五分です」
副官の声に、ガイアは地下搬入口の図面を示した。
「その五分で人質が移されたらどうする」
マリナは証拠保全の許可状を掲げた。
調査対象は搬送記録と会計帳簿。
建物の職員全員を罪人として拘束する命令ではない。
「正面から、責任者に提示しましょう」
しかし正門は閉ざされたままだった。
中から叫ぶ声がした。
「近づけば書類を燃やす!」
ガイアの手が剣の柄に触れた。
そのとき、病室にいるライアンから伝令が届いた。
『子供の居場所を先に。
剣を抜く前に、出口を確かめろ』
ガイアは苦笑した。
「父さんらしいな」
彼は剣帯を外し、門の前へ進んだ。
「書類を燃やしても、子供を運んだ事実は消えない。
中にいる職員は一人ずつ退去していい。武器を持たず、持ち出す物を記録する。それだけだ」
しばらく返事はなかった。
やがて小さな通用口が開き、調理係の女性が出てきた。
「私は命じられて食事を作っただけです」
「それなら、食事を運んだ場所を教えてくれ」
女性は震える指で地下の図面を指した。
「この階段の先に、閉じた部屋があります。でも昨夜、荷車の音がしました」
ガイアは女性を保護し、証言を別の記録係にも確認させた。
その間、裏門には豆を積んだ荷車が着いた。
「包囲中だ。通すな」
兵が止めると、御者が叫んだ。
「病院の炊き出しに届ける豆だ!」
ガイアは荷札と行き先を確かめた。
「中身を確認して通せ。証拠の押収と食料の遮断を一緒にするな」
副官が尋ねた。
「逃走路に使われたら?」
「御者の名前と車輪の特徴を記録する。護衛も付ける。食べ物を止める理由にはならない」
昼過ぎ、責任者が裏口から逃げようとした。
持っていた箱には、子供の移送番号が記された控えがあった。
立ち会いのもとで箱を保全し、責任者は事情聴取のため連行された。
控えには、昨夜出た三台の荷車が載っていた。
行き先は北の国境。
人数欄には『三十』。
マリナは『三十』を指で押さえた。
「荷車三台の合計人数なのか、今も乗っている人数なのかは分からない。リオとネルの名前も、この控えにはない」
ガイアは追跡班へ命じた。
「発見した人数と名簿の数字を混ぜるな。救出した子の名前を確かめるまでは、行方不明者を減らすな」
「三十人……」
マリナが息を呑む。
ガイアは馬を用意させたが、兵をすべて連れてはいかなかった。
「ここには証拠を守る者を残す。調理係や掃除係の話も聞け。知っていたことと、知らなかったことを分けて記録しろ」
それから、ライアンへ短い報告を書いた。
『剣は抜かなかった。
三十人の行き先が分かった。
これから追う』
夕暮れ、病室で報告を読んだライアンは、セーラに紙を渡した。
「いい判断だと思うか?」
「ええ。でも、まだ帰ってきていない子がいる」
「そうだな」
ライアンは窓の外を見た。
門を破ることはできた。
しかし、門を破るだけでは子供は帰らない。
ガイアたちは、雪の降り始めた北街道へ馬を走らせていた。
宿場に戻った伝令から、道標の設置場所を記した紙が届いた。
エルはそれを何度も読み返した。
「帰り道の印が一つでも消えたら、追跡班は戻れなくなる」
エマは手袋をはめ直した。
「分かってる。だから私が最後尾を見る」
「先頭へ走りたいんじゃなかったのか」
「走りたいよ。でも、後ろの人を置いていくわけにはいかない」
双子は短く視線を交わした。
幼いころ、二人は同じ毛布の端を奪い合っていた。
今は、互いが無事に帰るために役割を分けている。
ガイアは横転した荷車に近づき、車輪の下から聞こえた声へ呼びかけた。
「聞こえるか。今、板を外す。体のどこかが挟まれているか?」
「……足が、動かない」
「分かった。無理に引っ張らない。名前は言わなくていい。声だけ聞かせてくれ」
エマが膝をつき、外套で火の粉を遮った。
「私がここにいる。怖かったら、何でも話して」
「お姉ちゃんが……先に、連れていかれた」
エマの指が止まった。
「どっちへ?」と聞きたくなった。
だが、目の前の子の呼吸は浅い。
「その話は後で聞く。まず君を外へ出す」
エルが支え木を差し込み、ガイアが板を少しずつ持ち上げた。
火は荷台の端まで迫っていたが、消火班の水桶が間に合った。
三人で少年を毛布に移したとき、エマはようやく息を吐いた。
「追跡は?」
ガイアは雪原の向こうを見た。
帰還の時刻が近づいていた。
「今日はここまでだ。少年が見たことを聞けるようになれば、明日につながる」
エマは悔しさを隠さず頷いた。
「今日見つけた一人を、明日まで守る。それも捜索なんだね」
門の内側から出てきた若い事務員は、両手を高く上げていた。
「僕は帳簿をつけただけです。誰も傷つけていません」
マリナは一歩前に出た。
「あなたの仕事を確認するために来ました。ここで罪を決めるためではありません」
事務員は震える指で地下の倉庫を示した。
「搬送記録の写しが、そこに……」
ガイアは兵を走らせかけ、思いとどまった。
「まず建物の出口を確認しろ。人を閉じ込めない」
その命令を聞いて、事務員は初めて腕を下ろした。
本部の門前に集まった兵士たちは、命令を待ちながら互いの顔を見た。
かつての仲間が中にいるかもしれない。
ガイアは剣帯を外し、副官に渡した。
「俺が先に話す。相手が降伏を申し出たら、通り道を空けろ」副官は眉をひそめた。
「危険です」「危険だからこそ、子供の前で最初に剣を見せたくない」門の向こうから、何かを引きずる音がした。
マリナは許可状を掲げたまま叫ぶ。
「帳簿を守りたいなら、今ここで封印して立ち会って。燃やせば、あなたたちの言い分も確かめられなくなる!」しばらくして、門の隙間から白い布が差し出された。
ガイアは兵を止め、布を持つ手が子供のものではないかを確かめさせた。
夜、宿場の救護所で少年が目を覚ました。
名前はカイ。
年上の姉とは荷車を乗り換えるときに離されたという。
「置いてきたんじゃないよ」
エマが言うと、カイは首を横に振った。
「僕が遅かったから」
「違う。君を連れていった大人が悪い。君が悪いわけじゃない」
カイはしばらく黙っていた。
やがて毛布の下から、ちぎれた青い糸を取り出した。
「姉ちゃんの袖。これがあれば、見つけられる?」
エマは受け取らず、手のひらを差し出した。
「一緒に特徴を記録しよう。これは君が持っていていい」
カイは糸を握り直した。
翌朝の捜索地図には、前日にはなかった印が一つ増えた。
『カイの姉・青い袖。
行き先未確認』
まだ見つからない三十人の名前を、誰も勝手に消さなかった。




