第四十三話 廃鉱山の奥で見つけた、名前を奪われた子供たち
廃鉱山の入口には、新しい鉄の錠が掛かっていた。
入口から少し離れた斜面には、古い荷車の轍が残っていた。
雪が降ったのは昨夜だ。
その上に新しい足跡があるということは、坑道が今も使われている証拠だった。
ガイアは部下に周囲を調べさせたが、突入の命令は出さなかった。
ここにいるのは敵兵だけではない。
暗闇の奥で助けを待つ子供たちを、戦場の勝ち方で救うことはできない。
「まず声が届く道を探す。俺たちが来たことを知らせよう」
兵士の一人が首を傾げた。
「逃げられませんか」
「逃げる大人は追える。でも、怯えた子供が坑道の奥へ走ったら追えない」
ガイアは自分の兜を外した。
子供たちの前で最初に見せるのは剣ではなく、顔であるべきだった。
ガイアは剣を抜かなかった。
坑道の支柱は古く、壁を壊せば中の人間まで埋まるかもしれない。
「ノア、空気の通り道を見てくれ。セーラ、外に救護所を」
「分かった」
ノアが換気坑を調べると、奥へ続く細い道が見つかった。
そこから声がした。
「誰だ!」
子供の声だった。
ガイアは兜を外した。
「助けに来た。外へ出られる道を作っている」
「名前を言うと叩かれる!」
「言わなくていい。名前を聞くために来たんじゃない」
しばらくして、小さな手が暗闇から伸びた。
少年はフィルと名乗った。
頬はこけ、袖には煤がこびりついている。
「妹はネル。青い襟の服を着てた。別の荷車に乗せられた」
ガイアはその特徴を手帳に書いた。
「必ず見つける、とは今は言えない。でも探す。君の話を無駄にしない」
少年は唇を噛んだ。
「俺だけ出たら、ネルが罰を受ける」
「ここを出ることは、妹を見捨てることじゃない」
坑道の奥では、監督役の男が「正式な雇用だ」
と叫んでいた。
だが提示された契約書には、子供本人の署名も年齢もない。
ガイアは証拠を保全するよう兵に命じ、法に基づく保護の手続きを進めた。
ノアが崩れかけた天井を補強すると、救出路が開いた。
出てきた子供は二十三人。
救護所では、出てきた順番に番号を振った。
ただし、番号は本人の名前の代わりではない。
セーラは記録係に指示した。
「同じ子を二度数えないための番号よ。本人が名前を話せるようになるまで、無理に聞かないで」
ガイアは坑道の見取り図に救出済みの区画を塗り、未確認の奥の通路を残した。
二十三人が出たことと、坑道に誰も残っていないことは同じではなかった。
誰も歓声を上げなかった。
外の光を怖がる子もいた。
作業道具を離さない子もいた。
セーラは一人ずつ診察し、毛布と温かい水を渡した。
「今日はもう働かなくていいの」
少女が尋ねた。
「ご飯を食べたら、また中へ戻るの?」
「戻らないわ」
「でも、食べた分は働いて返せって……」
「ここでは返さなくていい」
少女は椀を受け取ったが、パンを袖に隠した。
看護師が注意しかけると、セーラは首を振った。
「隠してもいいの。明日も食べられると分かるまで、待ちましょう」
夕方、救護所で名前の確認が始まった。
一人の少年は、聞かれるたびに違う番号を答えた。
「名前は?」
「十七番」
セーラは記録用紙を伏せた。
「今は答えなくてもいい。ここでは番号で呼ばないから」
少年は長いあいだ黙っていた。
やがて小さく言った。
「母さんは、レンって呼んだ」
「レン。教えてくれてありがとう」
セーラはそれ以上尋ねなかった。
別の少女は、渡された名札を見て首を振った。
「また誰かが決めるの?」
「自分で決めていいわ。今日は空白のままでも」
少女は名札を裏返し、枕の下へしまった。
ガイアは外で、フィルから聞いた青い鳥の印を描いていた。
「下手だな」
フィルが言った。
「絵は苦手なんだ」
「それじゃ鳥じゃなくて、変な魚だ」
少年が初めて笑った。
ガイアはその笑いを聞いて、胸が詰まった。
かつて自分も、ライアンからパンを渡されるまで、笑う余裕などなかった。
「ネルを探すとき、この印を使う。間違ってたら直してくれ」
フィルは鉛筆を受け取り、鳥の翼を描き直した。
夜、救護所の扉には鍵を掛けなかった。
警備兵は廊下に立ち、子供たちの寝台から離れた場所を守った。
翌朝、パンを袖に隠していた少女は、机の上にパンを置いたまま眠っていた。
誰も奪わなかった。
セーラはその小さな変化を見つめ、毛布を掛け直した。
救出は、坑道から出した瞬間に終わるものではない。
自分の名前を選び、自分の食事を信じられる日まで。
救護所に運ばれた子供たちは、同じ質問に違う答えを返した。
「名前は?」
「番号で呼ばれてた」
「家は?」
「帰ると怒られる」
セーラは記録係に、質問をいったん止めるよう頼んだ。
無理に聞き出せば、子供は大人が望む答えを探し始める。
「今は温かいものを食べよう。話したくなったら、あとで聞く」
一人の少年が椀を二つ持とうとした。
「もう一つは妹の分だ」
「妹さんはどこにいるの?」
少年は首を振った。
坑道の奥で別れたきりだという。
ガイアはすぐに隊を戻そうとしたが、ノアが坑道の見取り図を広げて止めた。
「夜は換気が弱くなる。灯りを増やせば空気が悪くなる。戻るなら別の通気口を確保してからだ」
「待っている子がいるかもしれない」
「だからこそ、生きて戻れる道を作るんだ」
ガイアは拳を握り、それから頷いた。
戦場なら突破を選んだだろう。
だが、今必要なのは一人でも多くの子を生きたまま外へ出すことだった。
翌朝、鍛冶職人が持ち込んだ細い鉄棒で、崩れた通気孔の石を少しずつ取り除いた。
少年は救護所の窓から作業を見つめていた。
「妹は暗いところが嫌いなんだ」
セーラは彼の隣に座った。
「見つかったら、何て声を掛けたい?」
「遅くなってごめんって」
「あなたが謝ることじゃないわ」
「でも、手を離したんだ」
少年の指は、毛布の端を強く握っていた。
セーラはその手に自分の手を重ねず、そっと近くに置いた。
触れられるのを怖がる子もいる。
午後、捜索隊から報告が届いた。
奥の小部屋に人のいた痕跡があり、床に子供用の靴紐が落ちていた。
生存の確認はまだできない。
ガイアは報告書の『発見』という文字を『痕跡確認』に直した。
少年に期待だけを与えて、また奪うわけにはいかなかった。
「探すのをやめない」とだけ、ガイアは約束した。
少年は長い間黙り、最後に小さく頷いた。
救出された少年が、薄い毛布の端を指で折り続けていた。
ガイアが水を置くと、少年はまず戸口を見た。
「鍵は、かけないの?」「ここでは外から閉じ込めない」ガイアは扉を少し開けたまま椅子に座った。
「話したくなければ話さなくていい。名前も、今すぐ決めなくていい」少年は水を一口飲んだあと、小さく尋ねた。
「あそこにいた子を、悪い子だと思わない?」ガイアは首を横に振った。
「生き延びるために命令を聞いた子を、俺は責めない」少年の指が毛布から離れた。
ガイアはその変化を報告書には書かなかった。
彼にとって大切なのは、少年が自分の意志で次の一言を選べることだった。
彼らの明日を守る仕事は、ようやく始まったのだった。




