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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第三十八話 王女が父さんの古い靴を買いたいと言い出した

「金貨百枚で譲ってください」

エレナ王女が指さしたのは、玄関の修繕箱に入った古靴だった。

右の踵には三枚の革が重ねられ、左の紐は色が違う。

雨に濡れて乾いた跡が、靴底の縫い目を白く浮かび上がらせていた。

「こんなものをどうするんだ」

「記念館に展示します。百人の孤児を育てたライアンの靴として」

ライアンは靴を片方持ち上げた。

「片方の底は、荷運びのときに剥がれた。もう片方は、冬に薪を拾いに行って破れた」

「だからこそ価値があるんです」

「その価値は、誰のものだろうな」

エレナは答えられなかった。

彼女はライアンに育てられた百人の一人だった。

王女となった今も、父の苦労を国中に伝えたいと思っている。

だがライアンは靴を箱に戻した。

「一度、グレンのところへ行こう」

グレンは王都の外れで靴を修理する老人だった。

ライアンの靴を何度も直した職人でもある。

工房の棚には、修理待ちの子供靴が並んでいた。

「最近は、片方だけ持ってくる子もいるんです」

グレンが言った。

「もう片方は?」

「捨てたんじゃありません。穴が開いた靴を履いて働き、帰り道でなくしたんです」

エレナは一足を手に取った。

小さな靴底には、石を踏んだ傷が無数にあった。

「修理代は?」

「銅貨二枚。でも、それを払えば夕飯がなくなる家もあります」

王女は、用意してきた展示計画書を開いた。

絹張りの展示台、金箔の銘板、常駐の警備兵。

その費用で何足の靴を直せるか、彼女は計算したことがなかった。

「記念館の予算を、修理に回します」

「全部を?」

ライアンが尋ねる。

「……そうすれば、父さんは喜びますか」

ライアンは首を振った。

「俺を喜ばせるために決めるな。靴を直す人と、履く人に聞いてくれ」


翌日、エレナは工房へ修理を頼みに来た人たちを招いた。

ある母親は無料の修理を望み、別の父親は、安くても代金を払いたいと言った。

「ただでもらうと、次から頼みにくくなるんです」

少年は、修理が終わるまで履く靴がないと訴えた。

グレンは職人の立場から反対した。

「無料にしたら、材料代を誰が出すんです。若い職人が続けられなくなる」

エレナは予定していた演説をしまい、三人の言葉を紙に書いた。

翌週、試験的な修繕所が開いた。

代金を払える人には通常料金を、払えない人には補助を出す。

補助額は店側へ直接支払い、修理を引き受ける職人が損をしないようにした。

修理中に履くための貸し靴も用意した。

しかし初日から問題が起きた。

「この靴は、直せません」

若い職人が言った。

底の革が裂け、縫い付ける場所が残っていない。

靴の持ち主の少女は、俯いた。

「じゃあ、帰ります」

エレナが新しい靴を渡そうとすると、少女は首を振った。

「大きすぎる。走ると脱げる」

グレンは少女の足を測り、棚から小さな靴型を出した。

「今夜までに一足作ろう。新しい靴が必要な子もいる。修理だけでは足りないんだ」

エレナは修繕所の記録に『修理不能』

という欄を加えた。


翌月、修理に来た人の数、直せた靴の数、交換が必要だった靴の数が掲示された。

数字を見た町の靴職人たちが、次々と協力を申し出た。

一方で、記念館の担当官は不満を口にした。

「王女殿下。歴史的な靴を展示しないのは、国の損失です」

エレナはライアンの古靴を見つめた。

「展示はしたい。でも、持ち主が断っているのに奪うわけにはいきません」

「代わりになる品が必要です」

ライアンが話し始めた。

「俺の靴じゃなくて、グレンの道具を展示したらどうだ。誰が直したか分からない靴でも、誰かの足を守ってきたんだ」

グレンは慌てた。

「こんな古い針を?」

「その針に、俺たちは何度も助けられた」

展示室には、古い修理針と、継ぎ当ての見本が並んだ。

横には靴を直す実演台が置かれ、子供たちは自分の靴紐を結び直す方法を教わった。

ライアンの靴は、玄関の修繕箱に残った。

ある夕方、エレナが訪ねると、ライアンはその靴を履こうとしていた。

「父さん、まだ履くの?」

「今日は庭までだ。歩けるうちは、歩きたい」

エレナは膝をつき、ほどけた紐を結び直した。

「小さい頃は、父さんが私の靴を結んでくれた」

「覚えているのか」

「覚えてます。私、毎回わざとほどいていたんです」

ライアンは声を上げて笑った。

「道理で、いつまでたっても結べなかったわけだ」

エレナは紐の結び目を確かめた。

百枚の金貨で買えなかったものが、今、自分の手の中にあった。

それは古靴そのものではない。

ライアンは話し合いのあとも席を立たなかった。

黙っていた者が最後に小さく手を挙げたからだ。

急いで結論を出していたら、その声は聞けなかっただろう。

靴の修理を終えたあと、エレナは城へ戻らず、ライアンと市場を歩いた。

王女の姿に気づいた商人たちが頭を下げる。

エレナは立ち止まり、靴職人の店先に並ぶ小さな靴を見た。

「こんなに小さい靴でも、値段は高いのですね」

「子供の足はすぐ大きくなる。買い替える余裕がない家もあるさ」

ライアンは昔、百人分の靴をそろえられなかった冬を思い出した。

底の抜けた靴に布を詰め、交代で外へ出したこともある。

エレナは自分の足元を見つめた。

「私、古い靴を記念品にしたかった。でも、父さんが本当に残したかったのは、靴そのものじゃないのね」


翌週、王都の工房に小さな注文が入った。

成長した子供の靴を修理し、次の子へ渡すための棚を作るという。

エレナは自分の名を前面に出さず、靴職人たちに運営を任せた。

完成の日、最初の棚には一足だけ靴が置かれた。

かかとはすり減っていたが、底は丁寧に直されていた。

ライアンが尋ねた。

「百枚の金貨より、安く済んだか?」

「ええ。でも、こっちのほうが、ずっとたくさんの足を守れそう」

エレナは笑い、棚の横に『次の子へ』と小さく書いた。

エレナは靴を預けた子供たちに、棚の決まりを一つだけ尋ねた。

「何があれば、使いやすいと思う?」

小さな少年が答えた。

「返すとき、怒られないこと」

靴を汚したり、破いたりしたら叱られると思っていたのだ。

エレナは靴職人と相談し、修理が必要なときも気軽に持ち込める約束を掲示した。

古い靴を大切にするとは、傷を隠させることではなかった。

靴棚ができて一月後、グレンの工房に少年が駆け込んだ。

借りた靴の底が剥がれ、返せなくなったという。

「叱られると思った?」とエレナが聞くと、少年は黙って頷いた。

グレンは修繕台に靴を載せた。

「使ったから壊れた。使ってくれてよかったよ」

エレナは金貨百枚を入れたままだった袋を取り出し、修繕費の帳簿に必要な分だけ預けた。

残りは次の月まで使わない。

善意の大金があっても、続けられる仕組みがなければ棚は空になる。

ライアンは修理の終わった靴紐を結び、「よし、また歩けるな」と笑った。

あの日、何度でも膝をついてくれた父に、今度は自分が膝をつける時間だった。

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