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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第二十九話 百人の英雄が集まっても、救えなかった命

冬の冷たい雨が続いたある日、王都の外れで古い長屋が崩れた。

住民の多くは、工事が始まるまで住み続けるしかない貧しい人々だった。

知らせを聞いたガイアが現場を封鎖し、ノアが瓦礫を支え、セーラが負傷者を治療した。

百人の英雄の力が集まれば、どんな危機も乗り越えられる。

そう信じたい人々が、現場を取り囲んでいた。

しかし、最後に救い出された老人は助からなかった。

セーラは何度も治癒術を使った。

脈は戻らない。

彼女の手が震えた。

「もう一度……」

「セーラ」

ライアンが静かに呼んだ。

「もう十分だ」

「十分じゃない! 私は大聖女なのに!」

セーラは手を伸ばしたまま止まった。

周囲にはまだ負傷者がいる。

救えなかった一人から目を逸らしたくない。

それでも、待っている人の治療を止めるわけにはいかなかった。

彼女は助手に次の患者を呼ぶよう頼み、震える手を洗った。

老人の娘が、毛布を握りしめていた。

セーラは彼女へ頭を下げた。

「ごめんなさい」

娘は首を振った。

「助けようとしてくれたのは分かっています。でも……父は帰ってこない」

それを聞いて、誰も返せなかった。

現場の調査で、長屋には数年前から亀裂があったと分かった。

住民は役所へ修理を願い出ていた。

だが所有者が不明確で、誰も費用を負担しなかった。

「事故じゃなく、放置の結果ね」とマリナ。

ガイアは拳を握った。

「こんなことが起きる前に、なぜ知らせなかった」

住民の一人が怒鳴り返した。

「何度も知らせたさ! 誰も聞かなかったんだ!」

ガイアは返す言葉が見つからなかった。

力が足りなかったのではない。

声が届く道がなかった。

葬儀の日、ライアンは老人の娘の隣に座った。

慰めの言葉を探したが、何も見つからない。

「父はね、毎朝、私にパンを一つ置いてくれたんです」

娘はぽつりと話し始めた。

「自分は食べたと言って。でも本当は、食べていなかったと思う」

ライアンは目を伏せた。

昔の自分と重なった。

「もっと早く、引っ越していれば……」

「あなたが悪いんじゃない」

「でも、何かできたはずです」

「俺たちも、そう思ってる」

ライアンは謝った。

立派な約束はしなかった。

二度と誰も死なないとは言えない。

ただ、同じ危険を放置しないと誓った。

英雄たちは古い建物の調査を始めた。

住民が匿名でも危険を知らせられる窓口を設け、緊急修繕のための基金を作る。

所有者が不明な場合の応急措置も法に定める。

「こんな仕組み、もっと早く作れたのに」とノア。

「今から作るしかない」とライアン。


数週間後、同じような亀裂のある家が見つかった。

調査員が補強を勧め、住民は一時的な宿へ移った。

その翌日、古い壁が崩れた。

けが人は出なかった。

報告を受けたセーラは、しばらく書類を見つめた。

「一人も死ななかったんだね」

「ああ」とライアン。

「でも、あのおじいさんは戻らない」

「戻らない。だから忘れないんだ」

老人の娘は、新しい住まいの窓辺に小さな花を飾った。

英雄たちからの見舞金は受け取ったが、感謝の言葉は言わなかった。

それでよかった。

悲しみに、礼を求めるべきではない。

夜、百人の英雄は食堂に集まった。

誰も勝利を祝わなかった。

ライアンは一つ空いた椅子を見つめた。

「俺たちは、誰かを救えなかった日のことも覚えていよう」

ガイアが頷いた。

剣を振るえば敵を倒せる。

魔法を使えば傷を癒せる。

それでも、失われた時間は戻らない。

英雄たちはその夜、初めて自分たちの強さに限界があることを認めた。

そして、その限界を隠さないことから、次の仕事を始めた。

老人を運び出した担架のそばに、割れた湯飲みが落ちていた。

救助隊員が拾おうとすると、娘が首を振った。

「父のものです。私が持ちます」

セーラはその場で初めて、目の前の人が『救助対象の一人』

ではなく、誰かと毎朝茶を飲んでいた一人の父親なのだと思い知った。

治癒術を使い尽くした手は、何も持たずに震えていた。

古い長屋の調査では、役人だけでなく住民が建物の状態を記録することになった。

壁のひびを紙に写し、雨漏りの場所を印で示す。

小さな変化に気づくのは、そこに暮らす人たちだ。

ノアは魔法の測定器を作ったが、数字だけを見て安心しないよう注意書きを添えた。

「音や匂いがおかしいと感じたら、すぐ知らせてください」

セーラは亡くなった老人の名を、施療院の会議録に残した。

患者の秘密を守るため詳細は書かず、救えなかった事実と改善点だけを記す。

若い治療師が「聖女様の失敗として残ってしまいます」と言った。

セーラは首を振った。

「残さなければ、次の人が同じ場所で立ち止まる」

父が自分の空腹を隠していた頃、彼女は気づけなかった。

今は見えない痛みを、少しでも見えるようにしたかった。

老人の娘は、父が使っていた古い椅子を新しい家へ運んだ。

脚の一本が少し短く、座ると小さく揺れる。

修理しようかと聞かれたが、彼女は首を振った。

「この音を覚えていたいんです」

セーラは頷いた。

悲しみを消すことが、救うこととは限らない。

長屋の住民は、避難先での生活にも困っていた。

仕事場から遠くなり、子供の学校も変わる。

ライアンは役人へ言った。

「安全な場所に移せば終わりじゃない」

通勤のための荷車を手配し、学校へ通える道を調べた。

避難する人の暮らしが壊れないようにするには、家以外のことも考えなければならない。

セーラは若い治療師たちへ、助からなかった患者のことを話した。

奇跡の術を持っていても、治せない傷がある。

だから術の訓練だけでなく、危険を早く見つける勉強をしてほしい。

「間に合わなかった人のために、間に合う人を増やそう」

治療師たちは頷いた。

葬儀の帰り、ガイアは父に尋ねた。

「俺たちは強くなったのに、なぜまだ救えない人がいるんだ」

ライアンは長く考えた。

「強くなることと、全部できることは違うからだろう」

ガイアは答えに納得できなかった。

それでも、納得できないまま働き続けるしかない日があると、少しだけ理解した。

ライアンは亡くなった老人の家族へ、制度の変更内容を知らせに行った。

娘は書類を受け取り、長い間黙っていた。

「父が生きているときにしてほしかった」

ライアンは頷いた。

「その通りです」

娘は泣かなかった。

ただ、最後に一つだけ頼んだ。

「ほかの家にも、ちゃんと知らせてください」

ライアンは約束した。

新しい制度を作っても、知らなければ使えない。

彼は帰り道、掲示板だけでなく、訪問して説明する人手が必要だと考えた。

崩れた長屋の跡には、花が一輪供えられていた。

亡くなった老人の娘が置いたものだった。

セーラは足を止めた。

謝罪を重ねれば許されると思っていたわけではない。

それでも何を言えばいいか分からない。

「父は、朝に温かいお茶を飲むのが好きでした」

娘がぽつりと言った。

「助けられなかった人、ではなく、そういう人だったって覚えていてください」

「……はい」

セーラは老人の名前と好きだったものを手帳に書いた。


翌日、セーラは老人の娘に、名前を公の記録に載せてよいか尋ねた。

娘は首を振り、「名前は家族の中に残したい」と答えた。

セーラは手帳を閉じ、事故報告には再発防止に必要な事実だけを記した。

覚えておくことと、公表することは同じではなかった。

報告書の公開版には事故の経緯と補修の期限だけを記した。

セーラは控えを娘へ渡し、内容に誤りがあれば知らせてほしいと伝えた。

救えた人数だけを数えていた自分に、初めて見えてきたものがあった。

事故の数日後、セーラは現場の前を通りかかり、花束の横に置かれた欠けた湯呑みに気づいた。

娘が父のために置いたものだと知り、手を合わせた。

だが、そこに「救えなかった命を忘れない」と大きく掲示する案には賛成しなかった。

遺族の悲しみを誰かの教訓として勝手に飾りたくなかったからだ。

代わりに、崩落の危険がある家を調べる担当と期限を役所に確認した。

セーラができる償いは、立派な言葉を残すことではない。

同じ夜に、別の家族が瓦礫の下に取り残されないよう働くことだった。

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