第二十八話 英雄百人の名を騙る男が、救済金を集めていた
王都東門の広場に、『百人の英雄公認・孤児救済募金』
と書かれた旗が立っていた。
「大将軍ガイア様も、大聖女セーラ様も支援されています!」
募金箱の前で、上等な外套を着た男が叫ぶ。
花売りの老婆が銅貨を入れると、男は大げさに頭を下げた。
通りかかったライアンは、旗の紋章を見て足を止めた。
ガイアの軍旗に似ているが、剣の向きが逆だ。
「集めた金は、どこの子供に届くんだ?」
「正式な団体です。証明書もありますよ」
男は紙を振って見せた。
遠目には立派しかし、署名は読めない。
「受領証を一枚もらえるか」
「寄付しない人に渡すものではありません」
老婆が不安そうに財布を閉じた。
ライアンはそれ以上、広場で言い争わなかった。
ここで偽物だと叫べば、証拠を消されるかもしれない。
何より、善意で寄付した人が責められていると感じるのが嫌だった。
屋台の主人に聞くと、募金は三日前から始まっていた。
初日は病気の子供、昨日は戦災孤児、今日は王都の食堂のためだと説明が変わっている。
ライアンはその日のうちにマリナを訪ねた。
「この団体を知っているか」
マリナは登録簿を開き、顔を曇らせた。
「名前はある。でも所在地が空き家。登録に使われた紹介状も、うちの書式を真似たものね」
ガイアの署名は偽造、セーラの印章は廃止された古い型だった。
「兵を出す」
とガイアが言う。
「捕まえるだけじゃ足りない」
とライアンは答えた。
「誰が、どれだけ預けたか。まずそれを残そう」
調査員は寄付者から日時と金額を聞き取った。
靴屋は一か月分の利益を渡していた。
花売りの老婆は冬の薪代を削っていた。
「騙されたと分かったら、みんな笑うだろうね」
老婆は目を伏せた。
「笑う人がいたら、俺が怒るよ」
とライアンは言った。
「子供を助けようとした気持ちは、何も間違っていない」
一方、男は募金箱ごと姿を消した。
男の名はオルド。
以前、救済倉庫の臨時職員だった。
調査員が借りていた事務所を調べると、寄付金で買ったとみられる高価な衣服の領収書が見つかった。
港へ向かう荷車でオルドを発見したとき、ガイアは周囲の通行人を下がらせた。
箱を押収し、金額を立会人の前で数える。
「俺だって孤児を助けた!」
オルドの隣にいた少年が叫んだ。
「この人、僕にパンをくれたんだ。仕事もくれた!」
少年は荷物持ちとして雇われていた。
オルドが募金の行き先を偽っていたことは知らない。
ライアンは少年の目線までしゃがんだ。
「パンをくれたことは本当だ。それと、人のお金を盗んだことも別に確かめる。お前が信じたことを責めたりしない」
「僕も捕まるの?」
「何を知っていたか、ちゃんと話せばいい。知らないことを知っていたふりをする必要はない」
少年は震えながら、荷車に乗せた箱の数を話した。
事件の裁判では、オルドが募金の一部を私物に使った事実が認定された。
しかし押収金だけでは寄付総額に足りない。
すべて返せると約束することはできなかった。
マリナは返還窓口を設け、残った受領記録と寄付者の証言を照合した。
証明書のない人には、寄付した日時や場所、同席者を聞く。
申告額が食い違うものは保留にし、決めつけずに再確認する。
花売りの老婆の番が来た。
「返してもらったら、私は欲張りになるかね」
「いいえ」
とマリナは答えた。
「誰に渡すかは、あなたが決めることです」
老婆は戻った銅貨を握りしめた。
「今度は薪を買うよ。春に余裕があったら、また寄付する」
「それがいい」
とライアンは言った。
「あなたが凍えたら、子供たちも悲しむ」
事件のあと、広場の募金箱に近づく人は減った。
誰もが、もう一度騙されるのを恐れていた。
マリナは新しい募金の仕組みを提案した。
箱は二人以上で開け、数えた額をその日のうちに記録する。
食料や薪の購入記録は公開する。
ただし、支援を受けた子供の名前は載せない。
「公開すれば、全部安心なの?」
と少年が尋ねた。
「それでも間違いは起こる」
とマリナは答えた。
「だから質問できる場所も作るの」
初めての公開日に、靴屋が台所へ来た。
食材の受領票と鍋を見比べ、首をかしげる。
「小麦の袋数は分かった。でも、食事の数が帳簿より多いぞ」
調理係が説明した。
「昨日は寄付された野菜で、いつもより薄いスープを多く作りました。ここに追加分を書き忘れています」
マリナはその場で記録を訂正した。
間違いを見つけられたことを、誰も恥とは呼ばなかった。
夕方、オルドに雇われていた少年が食堂を訪れた。
入口の掲示板をしばらく見てから、ライアンに聞く。
「ここで働いたら、僕にも帳簿を見せてくれる?」
「もちろん。まずは字の読み方から一緒にやろう」
少年は頷いた。
マリナは机の上に二種類の紙を並べた。
一つは役所に残る正式な記録、もう一つは現場で働く人の手控えだった。
数字が違うからといって、すぐに誰かを罪人にはできない。
書かれた日付と、実際に仕事が行われた日を確かめる必要があった。
「紙が正しいことと、人が救われたことは別なのね」と手伝いの少女が言う。
「そう。だから両方を見るの」
帳面を読む若い職員が、同じ欄を何度も指でなぞっていた。
間違いを見つけたのに、上役へ伝えるのが怖いのだという。
マリナは紙を奪わず、「一緒に確認しましょう」と椅子を引いた。
誰かを責めるためではなく、次に困る人を減らすための確認だった。
職員は小さく頷き、消さずに残していた数字の横へ、訂正した理由を書き添えた。
話が終わると、ライアンは立ち上がらず、相手が続きを言い出すのを待った。
言葉にしにくい不安ほど、急かすと消えてしまう。
しばらくして、最初には出なかった名前が一つ挙がった。
夜になっても、机の上には未処理の書類が残った。
ライアンは全部を終わらせようとするマリナに、温かい茶を置いた。
「お前が倒れたら、明日の相談を聞く人がいなくなる」
マリナは苦笑し、急ぐものと朝まで待てるものを分けた。
父が百人を育てた頃、休むことを知らなかったのを思い出したからだ。
「父さんにも、同じことを言いたかったわ」
知らせを聞いた人々の間には、噂が先に広がった。
誰かの名前が挙がるたび、別の誰かが不安そうに口を閉じた。
ライアンは皆を集めて「分かっていること」と「まだ調べていること」を分けて話した。
答えが出ないことに苛立つ声もあった。
それでも彼は、確かめていないことを断言しなかった。
かつて根拠のない噂だけで仕事を失った親たちを、何人も見てきたからだ。
募金箱の横に、新しい札が掛かった。
『使い道を知りたい方は、遠慮なくお尋ねください』
ライアンはその札を見て、ようやく息をついた。
英雄の名前を信じなくても、確かめられる。
そういう場所なら、善意はもう一度歩き出せる。
募金の被害者を集めた席で、老婆は「私が騙されたせいで、本当に困っている子まで疑われる」と俯いた。
マリナは首を振った。
「確かめられる仕組みを作らなかった側にも責任があります」
返金の申請書は難しい言葉だらけだったため、ライアンは役人に頼み、必要な欄を減らしてもらった。
名前を書くのが苦手な人には、係が読み上げ、本人の確認を受けて記録した。
男を捕まえただけでは終わらない。
善意を寄せた人が、もう一度安心して誰かを助けられるようにする。
それが事件の後始末だった。




