第二話 六人分のパンと空っぽの椀
廃屋の戸口に、五人の子供が並んでいた。
いちばん前に立つガイアは、まだ九歳ほどなのに、ほかの四人を背に隠すように腕を広げている。
「ここに入ったら、何をさせる」
「まず靴を脱いでもらう。床が濡れるからな」
ライアンが答えると、ガイアは眉を寄せた。
「そういうことじゃない」
「わかってる。働かせて金を取ったりはしない。ただ、俺にも食わせられる量には限りがある。そこは隠せない」
少年の目が揺れた。
甘い約束をする大人より、できないことを先に言う大人のほうが珍しかったのだろう。
室内ではセーラが暖炉の火を見守っていた。
知らない子供たちを見て、彼女は棚の前へ駆け寄った。
明日の朝のパンが一つ置いてある。
「ライアン、これ……」
「大丈夫。勝手に配ったりしない。どうするか、一緒に考えよう」
セーラはパンを両手で持ったまま、五人の顔を順番に見た。
いちばん小さな男の子が唇を舐めた。
「……半分なら」
「ありがとう。でも半分じゃ、六人には足りないな」
ガイアがほかの四人を守ろうとする姿を見て、ライアンは『信じてくれ』と言いかけた。
だが言葉を飲み込んだ。
信じるかどうかは、子供たちがこれからの暮らしを見て決めることだ。
ライアンはパンを戻させ、鍋に水を張った。
昨日もらった玉ねぎの皮と、親方が分けてくれた干し豆が少し残っている。
「薄い汁になる。うまいとは言えないぞ」
「じゃあ、鍋の底に残った麦を先に量ろう」ガイアは言った。
「誰かが多く食べたと疑わなくて済む」
ライアンは木匙を置いた。
客として迎えた子に配分を任せるのは早いかもしれない。
それでも、疑いを生まない工夫なら今夜から始められる。
「温かければいい」
ガイアが即座に答えた。
ライアンは鍋を火にかけながら、名前を聞いた。
ガイアの隣にいるのは、七歳のノア。
物静かで、話すより先に部屋の壁や窓を観察している。
その後ろのマリナは小さな革袋を握り、袋の中には銅貨が二枚。
双子のエマとエルは、片方が咳をするたび、もう片方が背中をさすっていた。
「その銅貨、どこで手に入れた?」
ライアンが尋ねると、マリナは袋を胸に抱いた。
「盗んでない。荷車の下に落ちてたのを、店の人に届けた。お礼でもらった」
「そうか。疑って悪かった」
謝ると、マリナは驚いた顔をした。
「大人が謝るの、初めて見た」
ライアンは返す言葉を見つけられなかった。
汁が煮えるころ、六つの椀を並べた。
ライアンの分はなかった。
欠けた椀が五つと、取っ手のない木杯が一つ。
数だけは合った。
子供たちは誰も手を伸ばさない。
ガイアが全員の椀を見比べている。
「お前の分は?」
「俺はさっき食べた」
嘘は、あっさり見抜かれた。
「食べた人の腹は、そんな音しない」
ガイアが言った瞬間、ライアンの腹が鳴った。
エマが小さく笑い、エルもつられて笑った。
セーラまで口元を押さえた。
ライアンは肩をすくめる。
「参ったな」
ガイアは自分の椀を持ち上げた。
「俺はいい。下の子に」
「それも駄目だ」
ライアンは鍋をもう一度火に戻した。
水を少し足し、豆を木匙で潰す。
「六人分を七人で食べる。薄くなるが、誰も抜かない」
「俺は慣れてる」
「慣れなくていい。お前が食べなきゃ、明日、みんなを守る力も出ないだろう」
ガイアは何か言い返しかけ、黙った。
しばらくしてから椀を受け取った。
ライアンは七つ目の器として、使い古した金属の計量杯を出した。
取っ手は曲がっているが、穴は開いていない。
薄い豆の汁を飲み終えたころ、ノアがぽつりと言った。
「煙突、詰まってる。煙が逆に来る」
「わかるのか」
「風がこっちから吹くときだけ、部屋が煙くなる。上に鳥の巣があるかも」
ライアンは煙突を見上げた。
大人が気づかなかったことを、少年は入ってすぐ見抜いていた。
「明るくなったら親方に梯子を借りる。教えてくれて助かった」
ノアは照れたように目を伏せた。
翌朝、ライアンは夜明け前に目を覚ました。
食料袋は空だ。
今日の荷運びは昼からで、賃金が出るのは夕方。
六人を連れて市場へ行っても、手持ちの銅貨ではパン二つが限界だった。
戸口を開けると、ガイアが外で待っていた。
「仕事、手伝う」
「子供を荷車の間に入れるわけにはいかない」
「じゃあ、俺たちはどうやって食う」
その問いに、ライアンはすぐ答えられなかった。
善意だけで子供を連れ帰った事実が、朝の冷気より鋭く胸に刺さった。
「まず親方に相談する。食料を分けてもらえる仕事がないか聞く。それでも足りなければ、施療院の炊き出しを頼る」
「施しを受けろって?」
「俺も一緒に並ぶ。腹を減らしたまま格好をつけるよりいい」
ガイアは唇を噛んだ。
「俺は、みんなの役に立ちたいだけだ」
「知ってる。だから、危なくない仕事を一緒に探そう」
その言葉に少年はようやく頷いた。
市場へ向かう前、ガイアは配る前のパンを数え直した。
昨夜と同じ数なのに、昨日より少なく見える。
誰かが食べるたびに、残りが目に入るからだ。
「俺が見張ってないと、なくなる」
ライアンはパン籠をガイアの前に置いた。
「見張るのは一緒にやろう。でも、食べた子を責めるのはやめよう。足りないのは、あの子のせいじゃない」
ガイアはしばらく籠を睨み、やがて一番小さなパンを自分の皿に取った。
荷運び場では、親方ガストンが六人を見て絶句した。
「この前は一人だったろう!」
「今は六人です」
「この先、何人になるんだ!」
「それは俺にもわからない」
親方は額を押さえた。
それから、積み荷の脇に置かれた割れた木箱を指さした。
「市場の野菜屋へ持っていけ。箱を直して返す約束をすれば、売り物にならない野菜を分けてくれるかもしれん。だが、子供を働かせるなよ」
「俺が直す。ガイアたちには釘を数えてもらう」
「それならいい」
市場で最初に声をかけた店は断られた。
二軒目では、腐った野菜だけを押しつけられそうになった。
三軒目の店主は木箱を見て、首をかしげた。
「本当に直せるのか」
「試させてください。駄目なら、何もいりません」
ライアンは店先で箱の板を組み直した。
ガイアが釘を数え、マリナが曲がった釘と使える釘を分ける。
ノアは割れ目に沿って板を当てる順番を教えた。
昼の鐘が鳴るころ、箱は荷物を載せられる形に戻った。
「上出来とは言えんが、使える」
店主は泥のついた人参と小さな芋を袋に入れた。
さらに、昨日の売れ残りの硬いパンを三つ添える。
「代金じゃない。仕事の礼だ」
ライアンは深く頭を下げた。
帰り道、マリナが袋の重さを確かめながら言った。
「釘を分けるだけでも、役に立つんだね」
「大助かりだった」
「じゃあ、明日もできる?」
「明日はまず学校みたいに、字と数を覚える時間を作ろう。働くためだけに生きてほしくないからな」
子供たちは顔を見合わせた。
字を習うことが、自分たちの明日の予定に入るなど、誰も考えたことがなかった。
夕方、鍋には人参と芋の煮込みが入った。
昨日より少しだけ濃い匂いがする。
ライアンが椀を並べると、ガイアは自分の分を受け取ってから、最後に残った計量杯を指さした。
「父さん……じゃなくて、ライアンの分はそれ?」
「そうだ」
「俺の椀と交換しようか」
「必要ない。量は同じだ」
ガイアは照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「なら、明日も七つ並べろよ」
マリナが食器の数を指で追った。
「椀は六つしかないのに?」
「計量杯も器だろう」
ガイアが言うと、ノアが首を振った。
「熱い汁を入れると持ち手が熱くなる。布を巻かないと危ない」
ライアンは計量杯を持ち上げ、確かに指先が熱くなるのを確かめた。
「明日は器も探そう。割れたものを使って怪我をしたら、節約にならない」
マリナは小さな革袋を押さえた。
「銅貨二枚、使っていい?」
「それはお前のお金だ。使うかどうかは自分で決めていい」
「じゃあ、まだ取っておく。困ったときのために」
ライアンは頷いた。
子供に節約を強いるのではなく、明日の選択肢を残してやりたいと思った。
ライアンは笑った。
「ああ。明日も七つだ」
その約束がどれほど難しいか、彼は知っていた。
仕事が途切れる日もある。
冬はまだ長い。
六人を守る方法など、まだ十分に整っていない。
だが、昨日は空だった鍋から、今日は七人分の湯気が立っている。
ライアンは七つ目の器を両手で包み、初めて自分の食事を後回しにせず口へ運んだ。
食べ終わったころ、戸口を控えめに叩く音がした。
外には、赤ん坊を抱いた若い母親が立っていた。
雪で濡れた髪が頬に張りつき、腕の中から細い泣き声が聞こえる。
「お願いです。今夜だけでも、この子を……」
ライアンは空になった鍋を見た。
ガイアも同じものを見た。
少年は立ち上がり、戸口へ歩いた。
「まず中に入って。外は寒いから」
ライアンはその背中を見つめた。
ガイアは戸を大きく開け、赤ん坊を抱く母親が通れるように脇へ寄った。
ライアンも立ち上がり、残っていた毛布を取りに行った。
その毛布は、今夜ガイアに渡すはずのものだった。
ガイアは何も言わなかったが、指先がかすかに震えていた。
「寒いだろう」
「寒い。でも赤ん坊のほうが寒い」
「ガイア、毛布を貸してくれてありがとう。でも、お前の分も探す。今夜は俺の上着を使え」
「ライアンが風邪をひく」
「じゃあ二人で、火から離れすぎない場所に寝床を作ろう」
誰か一人の我慢を美談にして終わらせない。
その夜、ライアンは寝具を借りられそうな家を帳面に三軒書いた。
翌朝は仕事へ向かう前に一軒ずつ訪ねるつもりだった。
新しく来た人を迎えることと、すでにいる子の寒さを見落とさないこと。
その二つを守るのが、七人で暮らし始めた家の最初の難しい決まりになった。




