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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第百二話 雨の日だけ開くパン屋

雨の日、サラのパン屋には無料のパンを求める人が並んだ。

店の軒先で待っていた少年は、手のひらを何度も擦っていた。

濡れた服から水が落ち、石畳に小さな水たまりができている。

「今日は、もうないの」

サラは最後の一個を渡しながら言った。

「明日も雨なら来ていい?」

「……うん」

そう答えたものの、サラは翌日の小麦を買う金が足りないことを知っていた。

閉店後、帳簿を開くと、売上の横に無料配布の数だけが増えていた。

薪代と職人の賃金は、先月から支払いを待ってもらっている。

「困っている人を断りたくないの」

ライアンが訪ねると、サラは俯いた。

「でも、このままじゃ店を閉めるしかない」

ライアンは帳簿を見た。

「無料で渡したことが悪いんじゃない。渡し続けられる方法を、一緒に考えよう」

次の朝、マリナがやってきた。

帳簿を三つに分け、売ったパンの収入、無料配布にかかった費用、賃金と薪代を書き出した。

「最初に守るのは、働く人への支払いよ」

サラは頷いた。

パンを焼く若い職人には、家で待つ子供がいる。

善意のために賃金を遅らせれば、別の家の食卓からパンが消える。

三人で考えたのは、先払いのパン券だった。

余裕のある客が一枚買うと、その代金でパン一個分の材料と作業賃を確保できる。

必要な人は名前を告げずに券を使える。

「雨の日だけじゃなくてもいい?」

サラが尋ねた。

「困る日を天気で決めるのは、変だから」

ライアンは微笑んだ。

「その通りだ」

店の札は『雨の日の無料パン』

から『必要な人のためのパン券』に変わった。

最初の日、券は十枚売れた。

だが使われたのは三枚だけだった。

「誰も受け取りたがらないのかな」

サラが心配すると、職人が言った。

「人前で券を頼むのは、恥ずかしいんじゃないでしょうか」

サラは考えた末、店の奥に小さな箱を置いた。

使う人は券を一枚取って、普通の買い物と同じように渡せる。

店側は番号だけを記録し、名前も理由も尋ねない。

次の日、雨は止んだ。

昨日の少年が店の前を通り、札を見上げた。

「今日は晴れだけど、もらえる?」

「もちろん」

少年は箱から券を取り、パンを一個受け取った。

「お母さんの分も、ほしい」

サラは一瞬迷った。

券の数には限りがある。

後ろにも待つ人がいる。

「今日は二枚使えるよ。明日以降も必要なら、配給所の人に相談できるようにするね」

サラは配給所の場所を書いた紙を添えた。

自分の店だけで全員を支えるのではなく、ほかの支援と繋ぐことにしたのだ。

その週、券の売れ行きは良かったが、材料費が上がった。

サラは値段を据え置くか迷い、店の壁に収支を掲示した。

「こんなにお金がかかるのか」

常連客が驚いた。

「だから、買ってくださる方が必要なんです」

「なら、今月は二枚だけ買うよ。無理はできないけど」

サラはその二枚を大切に受け取った。

月末、賃金は期日どおりに払えた。

無料のパンも、決めた数だけ配り続けられた。

ライアンが店を覗くと、サラは帳簿を閉じていた。

「父さん。全部の人にパンを渡せたわけじゃない」

「そうだな」

「でも、来月も開けられる」

「それが大事だよ」

サラは窓の外を見た。

空は晴れていた。

それでも店の奥には、明日誰かが使えるパン券が残っていた。

その翌週、パン券の箱の前で、小さな言い争いが起きた。

「昨日も取っただろう」

常連客の男が、帽子を目深にかぶった少年を指さした。

少年は券を戻し、店を出ようとした。

サラは急いでカウンターから出た。

「待って。券を使った人を責める決まりはないの」

「でも、同じ人が何度も取ったら足りなくなるぞ」

「足りなくなることはあるわ。だから配る数を決めて、ほかの支援にもつなぐ。でも、ここで誰かをさらし者にはしない」

男は言い返しかけ、壁の収支表を見た。

そこには職人の賃金と小麦代が、誰にでも読める字で書かれていた。

「……そういう仕組みか」

「そういう仕組みにしたいの。まだ失敗もするけど」

サラは少年に向き直った。

「今日は何個必要?」

「一個でいい。弟と半分にする」

「二人で食べるなら、二個分の券を使えるか一緒に確かめよう」

サラは箱を開き、残りの券を数えた。

余裕があるわけではなかった。

それでも少年が謝る必要はない。

「明日も来ていい?」

「来ていいよ。もし券がなくなったら、そのときは別の場所を一緒に探す」

少年はパンを胸に抱いて帰った。

閉店後、若い職人がサラに言った。

「最初は、無料のパンを焼くのが怖かったんです。給金が出なくなったら、うちの子も飢えるから」

「黙って働かせてしまって、ごめんなさい」

「今は違います。今月はちゃんと受け取れました」

職人は焼き台の粉を払った。

「だから来月も焼けます」

サラは帳簿の支払い欄に丸をつけた。

誰かを助けるために、別の誰かの暮らしを壊してはいけない。

父が何度も言っていた言葉が、ようやく自分の仕事の中で形になった気がした。


翌朝、サラは無料配布の券を受け取った人の数を確認した。

帳簿の数字は合っている。

だが、同じ家から何人も来られない事情は、数字だけでは見えなかった。

「足の悪い祖母の分をもらえますか」

少女が尋ねた。

サラは券の規則を指でなぞり、配給所へ確認することにした。

「勝手に決めて、あとであなたを困らせたくないから」

少女は店先で待った。

連絡を受けた配給所は、代理受け取りの手順を用意していたが、店には伝わっていなかった。

「知らないままだったら、断っていたわ」

サラは紙に書き、窓の横へ貼った。


その日の午後、職人が賃金の支払い日を尋ねに来た。

サラは帳簿を閉じずに見せた。

「無料のパンを増やすなら、材料代だけでなく、働く人の賃金も守らないと続けられません」

職人は少し黙り、それから言った。

「困っている人を助けるのは賛成です。でも、うちの子の夕飯もある」

「分かってる。だから配給所の負担分を、いつ入金してもらえるか今日確認する」

優しさを続けるには、支える人を疲れ果てさせない約束も必要だった。

次の雨の日、サラは店先に「無料」と大書きした札を出さなかった。

代わりに、誰でも使える同じ形の引換札を用意した。

券を持たない客も普通に買い物ができ、支援が必要な人は窓口で静かに相談できる。

「誰が困っているか、外から分からないほうがいい」と店員が言う。

サラは頷いた。

しかし昼過ぎ、券を持った少年が来たときにはパンが残り一個しかなかった。

サラはその場で配給所に連絡し、翌日までの食事を確保した。

売り切れを隠して希望だけを語らないことも、店を続ける責任だった。

夕食の席でその話を聞いたライアンは、すぐには褒めなかった。

「券が足りない日は、どうする?」

「配給所に連絡する。来てくれた人に、ないものをあるとは言わない」

「それで怒られたら?」

「怒られるかもしれない。でも、明日も店を開けるための決まりは守る」

ライアンは頷いた。

「それなら、店はお前の手で続いていくな」

サラは少し笑った。

昔、父が最後のパンを半分にした日のことを思い出す。

あの一度きりの優しさが、今では何人もの手で続けられる仕組みになっていた。

雨が上がった翌朝、あの少年が店の前を通り過ぎようとした。

サラが声をかける。

「今日は雨じゃないよ」

少年は立ち止まる。

「だから、来ちゃいけないと思った」

サラは店先の札を指した。

『困った日は、天気に関係なく相談できます』。

ただしパンが足りない日は、配給所と連携することも書いてある。

少年は札をゆっくり読み、頷いた。

「じゃあ今日は、仕事を探してから来る」

サラは引き止めなかった。

パンを渡すだけではなく、次に来る道を残すことが、店を続ける理由になった。

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