第3話 勇者と魔物
ゴオオオオオォォォッ!!
森全体を震わせるような咆哮が響き渡った。
『……っ!』
悠斗は思わず肩を震わせる。
ついさっきまで静かだった森が、一瞬で張り詰めた空気へ変わっていた。
鳥たちは一斉に空へ飛び立ち、小動物たちは草むらへ逃げ込む。
まるで森そのものが、近づいてくる”何か”を恐れているようだった。
ドスン。
地面が揺れる。
ドスン。
また揺れる。
一定の間隔で響く重低音。
それは足音だった。
『何か来る……。』
悠斗の声は震えていた。
美咲の表情も険しい。
先ほどまで再会を喜んでいた少女とは別人のようだった。
勇者。
その肩書きに相応しい鋭い眼差しで森の奥を見据えている。
『悠斗』
『私の後ろにいて。』
『え?』
『絶対に前へ出ちゃダメ。』
美咲はそう言うと、一歩前へ出る。
腰に下げていた杖を静かに握り締めた。
木漏れ日を受けた杖の先端に、小さな緑色の宝石が埋め込まれている。
『風よ……。』
小さく呟く。
その瞬間。
サァァァ……
周囲の風が杖へ集まり始めた。
落ち葉が舞う。
草が揺れる。
目には見えない風が、確かに美咲の周囲へ集まっている。
(これが……魔法。)
悠斗は思わず息を呑む。
ゲームでも漫画でも何度も見た光景。
でも、本物は違う。
空気そのものが生き物のように動いている。
『来る!』
美咲が叫ぶ。
次の瞬間だった。
バキィィィッ!!
太い木が根元から折れた。
その向こうから姿を現したのは、一頭の巨大な魔物。
『なっ……。』
悠斗は言葉を失う。
イノシシ。
そう見えた。
しかし普通のイノシシではない。
全長は三メートル近い。
肩までの高さだけでも悠斗の身長を超えている。
口からは四本の巨大な牙が突き出し、一本一本が剣のように鋭い。
全身を覆う灰色の体毛は毛ではなく、まるで鋼鉄の針。
光を受けるたび鈍く輝いている。
赤黒い瞳が二人を捉えた。
『ブゴォォォッ!!』
咆哮。
吐き出された息だけで木の葉が吹き飛ぶ。
『アイアンボア……。』
美咲が小さく呟いた。
『悠斗。』
『絶対に近付かないで。』
『こいつは普通の人じゃ勝てない。』
悠斗は何も言えず頷いた。
足が動かない。
恐怖で体が固まっていた。
美咲は深く息を吸う。
『風よ。』
杖を前へ向ける。
『我が声に応え――』
詠唱が始まる。
だが。
『ブゴォォォッ!!』
アイアンボアは待ってくれなかった。
ズドォォォン!!
地面を抉りながら突進してくる。
『速っ!!』
悠斗の叫びと同時に、美咲が飛び込んできた。
『避けて!!』
悠斗の腕を掴み、そのまま横へ飛ぶ。
ゴォォォォッ!!
巨大な体が目の前を通り過ぎる。
牙が頬をかすめる。
ほんの数センチ。
もし一歩でも遅れていたら、二人とも串刺しだった。
『うわぁっ!』
地面を転がる悠斗。
土と落ち葉にまみれながら、何とか起き上がる。
その直後。
ドゴォォォォン!!
凄まじい衝撃音。
アイアンボアは勢い余って巨大な樫の木へ激突した。
直径一メートルはある大木。
普通なら魔物の方が止まる。
しかし。
ミシ……。
ミシミシミシッ!!
木が悲鳴を上げる。
次の瞬間。
バキィィィィィン!!
大木が根元から真っ二つに折れた。
ゆっくりと倒れていく。
ドォォォォン!!
地面が再び揺れた。
『う、嘘だろ……。』
悠斗の顔から血の気が引く。
あんな怪物と戦うのか。
人間が?
勝てるわけがない。
『まだ終わってない!』
美咲が叫ぶ。
アイアンボアは首を振りながら体勢を立て直していた。
さすがに木へ激突した衝撃は効いたようだ。
わずかに動きが鈍っている。
『今しかない!』
美咲は杖を腰のホルダーへ戻す。
代わりに背中の剣を一気に抜き放った。
銀色の刀身が陽光を反射する。
『はぁっ!』
地面を蹴る。
まるで風そのものになったかのような速さだった。
『すごい……。』
悠斗は目を見張る。
さっきまで笑っていた幼なじみ。
今は本当に勇者だった。
一直線にアイアンボアの背後へ回り込む。
狙うは首。
一撃で仕留める。
美咲は高く跳び上がり、両手で剣を振り下ろした。
『これで――!』
その瞬間だった。
ブワッ!!
アイアンボアの全身を覆っていた灰色の体毛が、一斉に逆立つ。
『……え?』
美咲の表情が凍り付く。
それは毛ではなかった。
鋼鉄の針。
無数の針が、生き物のように美咲へ向かって伸び始めた――。
第2話 前編(後半)へ続く。




