第19話 闘い
師団長の闘い
三組、六人の姿が平原から消えた。
王国軍と魔王軍だけが残される。
互いに武器を構え、魔法使いたちはいつでも障壁を展開できるよう杖を握っていた。
そんな両軍の間で、魔王は一人、悠然と踵を返した。
「さて我は城に帰っておるとするか」
王国軍がざわめく。
魔王は振り返り、両軍をゆっくりと見渡した。
「皆、動くでないぞ」
魔族たちが一斉に頭を下げる。
続いて魔王は王国軍へ視線を向けた。
「人間どももじゃ。動くでない」
王国兵たちは顔を見合わせた。
「双方に、できるだけ犠牲が少ない方がよい」
それだけ告げると、魔王の周囲に黒い光が集まった。
「ではの」
次の瞬間。
魔王の姿は消えていた。
あとに残されたのは、平原で睨み合う二つの軍勢。
誰も剣を振らない。
誰も魔法を放たない。
ただ三つの戦いの決着を待つ奇妙な静寂が平原を包んだ。
師団長が転移させられたのは、荒涼とした岩場だった。
草木はほとんどなく、巨大な岩がいくつも大地から突き出している。
その正面。
一人の魔族が立っていた。
武器はない。
だが、その両拳を覆うように凄まじい闘気が立ち上っていた。
「……楽しみにしていたぞ」
幹部が拳を握る。
「魔族にも人間にも闘気を扱う者はいる。だが、貴様ほど自在に扱う人間は珍しい」
師団長は答えなかった。
ただ腰から二本の斧を抜く。
右手に一振り。
左手に一振り。
「無口だな」
幹部が笑った。
師団長の身体からも闘気が立ち上る。
「言葉を交わすために来たわけではない」
「そうか」
幹部の笑みが深くなった。
「ならば拳で語るとしよう!」
地面が弾けた。
二人が同時に踏み込む。
師団長の斧。
幹部の拳。
真正面から激突した。
ガァァァン!!
金属同士を叩きつけたような轟音。
闘気と闘気がぶつかり、衝撃波が周囲の砂埃を吹き飛ばした。
「ぬっ!」
「くっ!」
互いに弾かれる。
師団長が後方へ着地。
幹部も数歩後退した。
ほんの一瞬。
二人は再び地面を蹴った。
今度は師団長が先に間合いへ入る。
右。
左。
右。
左右の斧が猛烈な速度で繰り出された。
だが幹部は避けない。
闘気をまとった両拳で真正面から迎え撃つ。
ガキィン!
ガキィン!
ガキィン!
斧と拳が激突するたびに火花が散った。
師団長が右斧を振り下ろす。
幹部が左拳で弾く。
その隙を狙って左斧を横薙ぎ。
今度は右腕で受け止められた。
「悪くない!」
幹部が笑う。
直後。
師団長の腹へ右拳。
ドゴォッ!!
「ぐっ!
師団長の身体が浮いた。
そのまま凄まじい勢いで吹き飛ぶ。
ドガァァン!!
背中から岩へ激突。
岩に亀裂が走った。
「がっ……!」
師団長の口から息が漏れる。
腹部に激痛。
呼吸するだけで脇腹が痛む。
肋骨がいかれたか。
だが、考えている暇はなかった。
幹部が歩いてくる。
「この程度ではあるまい?」
師団長が身体を起こそうとする。
間に合わない。
幹部が目の前まで来た。
「もっと楽しませろ!」
拳が振り下ろされた。
ドガッ!
「ぐっ!」
さらに。
ドガッ! ドガッ! ドガッ!
「がっ!
ドガドガドガドガドガドガッ!!
拳の連打。
顔。
胸。
腹。
肩。
師団長の身体が何度も揺れる。
最後の一撃が胸へ入った。
ドンッ!!
師団長が地面へ崩れ落ちた。
動かない。
幹部が息を吐く。
「……ふん」
倒れた師団長を見下ろす。
「楽しみにしていたがこんなものか」
幹部は背を向けた。
戦いは終わった。
そう判断した。
「魔王様」
誰もいない空間へ向かって告げる。
魔王がこの戦いを見ていることを知っていた。
「終わりました」
その時。
「まだだ」
幹部の足が止まった。
「……何?」
振り返る。
師団長が立っていた。
身体はふらついている。
口元から血が流れ、鎧もところどころへこんでいた。
それでも。
二本の斧を握っている。
「ほう」
幹部が笑った。
「やれるのか? その身体で」
「…………」
師団長は答えない。
次の瞬間。
ドンッ!!
脚へ闘気を集中。
一気に間合いを詰めた。
右斧を振る。
ガキィン!
幹部が拳で弾く。
さらに右斧。
ガキィン!
また右。
ガキィン!
「どうした!」
幹部が拳を振るう。
師団長の顔面へ直撃。
ドゴッ!!
師団長の身体が大きくのけぞった。
「……っ」
だが倒れない。
顔を戻す。
口元から流れた血を、手の甲で乱暴に拭った。
そしてまた踏み込む。
右斧。
ガキィン!
右。
ガキィン!
また右。
ガキィン!!
幹部が眉をひそめた。
先ほどまで二本の斧を自在に操っていた男が、いつの間にか右の斧しか使っていない。
だが。
気にするほどのことでもない。
すでに師団長は満身創痍。
幹部の拳が飛ぶ。
師団長は右斧の刃を拳へぶつける。
ガンッ!
拳の軌道をわずかに逸らした。
頬の横を拳が通過する。
師団長の右斧が返ってくる。
幹部が左拳で弾く。
拳。
斧。
拳。
斧。
ガキィン! ガンッ! ガキィン! ガァン!!
火花が散り続ける。
「素晴らしい!」
幹部が叫んだ。
「その身体で、まだこれほど動けるとはな!」
右拳。
師団長が右斧で弾く。
左拳。
身体を捻ってかわす。
右斧を振る。
拳で止められる。
「だが!
幹部が一歩踏み込んだ。
師団長より速い。
懐へ。
「これで終わりだ!」
蹴り。
ドゴォッ!!
師団長の腹へ直撃した。
「ぐっ!
身体が宙を舞う。
地面を何度も転がり、ようやく止まった。
「……がはっ」
血が地面へ落ちる。
師団長は片膝をついた。
呼吸が荒い。
身体中が痛む。
それでも。
右手には斧。
そして左手にも。
師団長が小さく呟いた。
「……もう充分だ」
「何?」
幹部には聞こえなかった。
師団長が立ち上がる。
二本の斧を構えた。
幹部も拳を構える。
「まだ来るか!」
師団長の足へ闘気が集まった。
大地を蹴る。
ドンッ!!
一瞬。
間合いが消えた。
「なに
師団長が目の前にいる。
だが。
右斧ではない。
これまでほとんど使われなくなっていた――
左。
左手の斧を大きく振りかぶっていた。
幹部はそれを見て、呆れたように笑った。
「何をするかと思えば!」
避けない。
全身を覆う闘気。
これまで師団長の斧を何度も弾き返した防御。
今さらまともに振り下ろしたところで。
「効くわけがないだろう!」
師団長の左斧が振り下ろされた。
ズガッ!!
「っ!?」
幹部の目が見開かれた。
斧が。
闘気を貫いていた。
左肩へ深々と食い込んでいる。
「ぐわぁぁぁぁっ!!」
初めて幹部の絶叫が岩場へ響いた。
師団長が斧を引き抜く。
血が飛ぶ。
幹部が肩を押さえながら後退した。
「な……なぜだ……」
信じられないものを見る目で、師団長を見る。
「なぜ……我の闘気を……!」
師団長は静かに左斧を構え直した。
「答える気はない」
「ま、待てーー
さっきまで余裕を崩さなかった幹部が、初めて後ずさる。
師団長が踏み込む。
左斧を振りかぶった。
「やめろ!!」
振り下ろす。
ドンッ!!
斧が脳天を捉えた。
幹部の身体から闘気が消えた。
両腕が力なく落ちる。
そして。
ドサッ。
地面へ崩れ落ちた。
静寂。
師団長はしばらく動かなかった。
やがて斧を下ろす。
「…………ふぅ」
その瞬間。
師団長の身体が光に包まれた。
勝者が決したのだ。
景色が消える。
平原。
王国軍と魔王軍は、いまだ睨み合っていた。
突然。
両軍の間に光が現れる。
「な、なんだ!?」
光の中から、一人の男が現れた。
二本の斧。
傷だらけの鎧。
血まみれの身体。
それでも立っている。
「師団長!!」
誰かが叫んだ。
一瞬の静寂。
そして
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
王国軍から大歓声が上がった。
「師団長が勝ったぞ!!」
「近衛師団長の勝利だ!!」
兵士たちが拳を突き上げる。
師団長は振り返らない。
片膝をつきながら、荒い息を整える。
そして周囲を確認した。
美咲はいない。
悠斗もいない。
「……まだか」
残る戦いは二つ。
魔王城。
玉座に座った魔王の前に、三つの光景が浮かんでいた。
その一つ。
すでに誰もいなくなった岩場を見つめ、魔王が目を細める。
「ほう……」
楽しそうに口元を緩めた。
「左手の斧に、闘気を溜め続けておったか」
戦いの途中。
師団長は右斧だけで戦い続けていた。
その間も左斧には、少しずつ、少しずつ闘気を送り続けていたのだ。
自分より遥かに大きな闘気を持つ相手。
全身の闘気を上回る必要などない。
ただ。
斧が触れる一点だけ上回ればいい。
「己より力ある者を、力で上回ろうとはせぬか」
魔王は小さく笑った。
「やりおるな、人間」
そして。
残された二つの光景へ視線を移した。
一つには美咲。
もう一つには悠斗。
「さて」
魔王が頬杖をつく。
「他の二人は、どうするかのう」
美咲の闘い
冷たい風が、荒野を吹き抜けていた。
美咲は剣を抜き、正面に立つ魔族を見据える。
対する幹部は、戦場とは思えないほど穏やかな表情を浮かべていた。
「勇者美咲」
その口調も丁寧だった。
「あなたの魔法は、魔法障壁を貫通すると聞いております」
美咲は答えない。
「実に楽しみですよ」
幹部が片手を広げる。
その周囲に、淡い光が次々と浮かんだ。
一枚。
二枚。
三枚。
さらにその奥にも
幾重にも重なる魔法障壁。
「もっとも
幹部が微笑む。
「私の障壁も、なかなか悪くありませんよ」
「……そう」
美咲は剣を構えた。
「だったら試してみれば?」
「ええ。そのつもりです」
直後。
幹部の前に魔法陣が出現した。
「まずはこれなどいかがでしょう」
空中に無数の氷が生まれる。
鋭く尖った氷の槍。
一斉に美咲へ向いた。
「参りますよ」
ヒュンッ!!
無数の氷槍が放たれる。
美咲が片手を前へ出した。
「障壁!」
半透明の魔法障壁が展開。
ガガガガガガッ!!
氷槍が次々と激突する。
砕け散った氷が、美咲の周囲へ降り注いだ。
「この程度?」
「もちろん違いますとも」
美咲の身体から雷光が迸る。
「じゃあ今度はこっち!」
剣を幹部へ向けた。
「雷撃!」
バリィィィィッ!!
凄まじい雷が一直線に走った。
幹部が両手を広げる。
「多重障壁」
何枚もの障壁が重なる。
雷撃が一枚目へ激突。
バリン!
突破。
二枚目。
バリン!!
三枚目。
四枚目。
五枚目
バリン! バリン! バリン!!
美咲の雷撃が、次々と障壁を破壊していく。
幹部の表情から笑みが少し消えた。
「これは……!」
まだ進む。
そして
最後の一枚。
バヂィィィッ!!
雷撃が止まった。
障壁全体に亀裂が走る。
だが。
割れない。
「……!」
美咲が目を細めた。
幹部は最後の障壁を確認し、小さく息を吐く。
それから再び、いつもの笑みを浮かべた。
「なるほど」
「…………」
「噂以上ですね、勇者美咲」
最後の障壁にも無数の亀裂が入っている。
決して余裕で防いだわけではない。
それでも防いだ。
「ですが」
幹部の頭上に巨大な魔法陣が現れる。
「止められないわけでもない」
炎が集まった。
巨大な火球。
「今度はこちらの番ですよ」
火球が落ちる。
「障壁!」
美咲が防御魔法を展開。
直後だった。
幹部が指を鳴らす。
「アンチマジック」
美咲の目が見開かれた。
「え?」
障壁が消えた。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で十分だった。
ドォォォォン!!
「きゃああっ!」
爆炎が美咲を飲み込んだ。
吹き飛ばされた美咲が地面を転がる。
「くっ……!」
すぐに起き上がる。
致命傷ではない。
だが鎧の一部は黒く焦げ、服の端から煙が上がっていた。
腕にも軽い火傷。
幹部が満足そうに微笑んだ。
「どうです?」
「…………」
「私のアンチマジックは」
美咲が焦げた袖を払う。
「……厄介ね」
「お褒めいただき光栄です」
「褒めてないけど」
「これは失礼」
幹部の指先に雷が集まった。
「では、もう一度」
バリィッ!!
雷撃。
美咲が障壁を張る。
「アンチマジック」
消える。
だが
「同じの二回も食らうか!」
美咲は大きく横へ跳んだ。
雷がすぐ横の地面へ突き刺さる。
ドォン!!
土煙が上がった。
着地。
美咲が肩で息をする。
「はぁ……はぁ……」
魔法を防げない。
いや。
正確には
防いだ瞬間を狙って消される。
障壁を使うことそのものが危険だった。
「なかなかやりますねぇ」
幹部がゆっくり歩き始めた。
「障壁が使えないと理解して、回避へ切り替えましたか」
美咲は答えない。
相手を見る。
考える。
自分の魔法は相手の障壁をほとんど破壊できる。
だが最後の一枚が残る。
相手は自分の障壁を一瞬消せる。
だったら。
どうする?
幹部が立ち止まった。
「ですがそろそろ終わりにしましょう」
巨大な魔法陣が展開される。
今までより大きい。
空中へ幾重にも魔法文字が浮かんだ。
幹部が両腕を広げる。
「次で
魔力が急激に膨れ上がった。
「とどめを刺して差し上げます」
そして
詠唱を始めた。
「大気を巡りし
「させない!」
美咲の手から火球が飛んだ。
ドンッ!
幹部の障壁へ激突。
「なっ
二発目。
三発目。
四発目。
ドン! ドン! ドン! ドン!!
「くっ!」
詠唱が止まった。
美咲は止めない。
「まだまだ!」
火球。
火球。
火球。
連射。
幹部が慌てて多重障壁を展開する。
バリン!
一枚。
バリン!!
二枚。
バリン! バリン!!
次々と障壁が砕けていく。
「力任せに……!」
幹部は最後の障壁へ魔力を集中させる。
火球が激突。
ドォォン!!
耐える。
「無駄ですよ!」
最後の障壁は割れない。
「先ほどの雷撃ですら、この障壁は破れなかった!」
「知ってる!」
「ならば!
爆炎の向こう。
人影。
幹部の表情が変わった。
「なっ!?」
美咲だった。
火球を連射しながら、自分自身も間合いを詰めていた。
最後の火球が障壁へ激突。
ドォン!!
まだ割れない。
だが
美咲はもう目の前にいる。
剣を振り抜いた。
最後の障壁へではない。
火球で生じた一瞬の揺らぎ。
その隙間へ、剣先を滑り込ませる。
シュッ!!
幹部が仰け反った。
頬に細い傷。
そこから一筋。
赤い血が流れた。
「…………」
幹部が頬へ触れる。
指についた血を見る。
美咲はすでに間合いを取っていた。
剣を肩へ担ぐ。
「あら、ごめんなさい」
「…………」
幹部の笑顔が消えた。
ほんの一瞬だけ。
だがすぐに戻る。
「……これはこれは」
頬の血を指で拭う。
「やりますねぇ、勇者美咲」
「どうも」
美咲が再び片手を構えた。
炎が集まる。
「また!
火球。
ドンッ!
二発目。
三発目。
「同じ攻撃?」
幹部の口元が上がる。
多重障壁。
バリン!
一枚目。
バリン!!
二枚目。
美咲は火球を撃ちながら走る。
幹部は完全に理解した。
「なるほど」
先ほどと同じだ。
魔法で障壁を削る。
そして最後に剣で攻撃する。
「同じ手が
障壁が砕ける。
美咲が接近。
剣を振りかぶった。
「二度も通じると思いますか!」
幹部が魔法障壁を解除する。
代わりに
「物理障壁!」
光が形を変えた。
魔法ではなく、物理攻撃を遮断する障壁。
美咲の剣が振り下ろされる。
ガキィィィン!!
完全に止まった。
「残念でしたね」
幹部が笑う。
「一度見れば十分ですよ!」
「…………」
美咲も笑った。
「うん」
「?」
「だから
剣を握る右手は、そのまま。
空いている左手を幹部へ向ける。
幹部の顔から笑みが消えた。
「何?」
美咲の左手に雷光。
「これを待ってたわ」
「まさか
「残念」
至近距離。
逃げる時間などない。
物理障壁では魔法を防げない。
「雷撃!」
バリィィィィィィィィン!!
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
雷光が幹部を飲み込んだ。
物理障壁が消える。
美咲はすぐに後方へ跳んだ。
雷が止む。
幹部の身体がぐらりと揺れる。
「…………」
膝をつく。
そして
ドサッ。
倒れた。
美咲はしばらく動かなかった。
剣を構えたまま、幹部を見ている。
起き上がらない。
「…………」
やがて剣を下ろした。
「はぁぁぁぁ……」
大きく息を吐く。
その場へ座り込みそうになるのを堪える。
焦げた服。
傷ついた鎧。
乱れた髪。
身体中が痛い。
それでも。
美咲は笑った。
「……勝てた」
その瞬間。
身体が光に包まれた。
「悠斗……!」
景色が白く染まった。
平原。
先に戻っていた師団長は、兵士たちの手当てを受けていた。
そこへ
光。
「!」
師団長が顔を上げる。
光の中から美咲が現れた。
一瞬。
王国軍が静まり返る。
そして
「勇者様だ!!」
「勇者様も勝ったぞ!!」
「うおおおおおおおお!!」
二度目の大歓声が平原を揺らした。
「勇者様!」
「ご無事だ!」
「美咲様!」
美咲は笑顔を見せようとした。
だが
すぐに周囲を見る。
師団長はいる。
自分も戻った。
でも。
「……悠斗は?」
歓声の中。
美咲の表情から笑顔が消えた。
魔王城。
玉座に腰掛けた魔王が、目の前に浮かぶ光景を眺めていた。
美咲が平原へ戻ったことで、三つあった映像は残り一つとなっている。
「ほう……」
魔王が楽しそうに笑う。
「勇者は、力だけではなく頭で勝ちおったか」
一度見せた攻撃。
相手にそれを攻略したと思わせる。
そして
その攻略法そのものを利用する。
「相手に己の策を読ませ、その先をゆくか」
魔王は頬杖をついた。
「人間というものは、面白いのう」
そして。
最後に残った一つの光景へ視線を移した。
そこには
悠斗。
そして。
悠斗と対峙する、あの幹部。
魔王の目がわずかに細くなる。
「さて……」
口元に、妖艶な笑みが浮かんだ。
「最後の一人はどうじゃ?」
悠斗の闘い
荒れ果てた大地。
大小の岩が転がり、遠くには乾いた山肌が見える。
悠斗は目の前に立つ魔族を見ながら、ドライヤーを握り直した。
以前、美咲を救出したあと。
森の中で自分たちへ追いついてきた幹部。
悠斗の名前を聞き。
魔道具について尋ね。
そして何より
自分たちへ追いついていたことに、最後まで気づけなかった。
「……こいつ」
悠斗は唾を飲み込む。
「どんな魔族なんだ?」
幹部はいつものように、どこか気の抜けた表情で立っている。
構えすら取らない。
「来ないのか?」
「言われなくても!」
悠斗はドライヤーを向けた。
まずは基本。
魔石を使わない風魔法。
魔力を流す。
ブォォォォォォォォン!!
凄まじい暴風が一直線に幹部へ襲いかかった。
地面の砂や小石まで巻き上げる。
しかし。
幹部は片手を前へ出した。
「障壁」
淡い光の壁が出現する。
ドォォォォン!!
暴風が激突。
障壁がわずかに揺れる。
だが
それだけだった。
「……だよな」
悠斗は舌打ちする。
美咲なら違う。
美咲の魔法は、魔法障壁そのものを貫通する。
だが
自分は勇者ではない。
ドライヤーがどれほど強力な魔法を放てても、障壁を突破する特性までは持っていない。
「なら……!」
悠斗は左腕を見る。
腕時計。
「障壁を張る暇がない距離まで近づけばいい!」
魔力を流す。
カチッ。
腕時計が青白く光った。
世界が遅くなる。
悠斗の身体が消えた。
いや。
そう見えるほど加速した。
「一気に懐へ入って……!」
ゼロ距離。
そこからドライヤーを叩き込む。
悠斗が大地を駆ける。
だが。
「それは
背後から声。
「もう見た」
「!?」
悠斗が振り返る。
幹部がいる。
自分と同じ速度。
いや。
悠斗のすぐ横。
「嘘だろ!?」
方向転換。
幹部も曲がる。
悠斗が速度を上げる。
幹部も上げる。
右。
左。
急停止。
再加速。
何をしても
ついてくる。
「なんなんだよ!」
「以前見せてもらったからな」
幹部が軽く笑う。
悠斗が振り向いた瞬間。
拳。
ドゴォッ!!
「がっ!」
腹へ直撃。
悠斗の身体が吹き飛んだ。
地面を何度も転がる。
「ぐっ……!」
どうにか起き上がる。
「クソ……!」
幹部はゆっくり歩いてくる。
「どうした、悠斗」
「以前より増えたのだろう?」
「その奇妙な魔道具」
「他にはないのか?」
「……あるよ」
悠斗は再び腕時計へ魔力を流す。
消える。
「またそれか」
幹部も追う。
悠斗の後ろ。
予想通り。
(そこだ!)
悠斗は走ったまま身体を捻った。
スマホを向ける。
幹部が視界へ入った瞬間
パシャッ!
「……!」
幹部の身体が止まった。
時間そのものが固定されたように。
悠斗も急停止。
「よし!」
ポケットから赤い魔石を取り出す。
炎の魔石。
握る。
ドライヤーへ魔力。
「燃えろ!」
ゴォォォォォォッ!!
巨大な火炎が幹部を飲み込んだ。
炎が渦を巻く。
数秒。
スマホの停止効果が切れる。
「……っ!」
幹部が炎の中から飛び出した。
地面へ着地。
煙が上がる。
服の一部は焦げ。
顔にも煤が付いている。
だが
立っている。
「マジかよ……」
幹部は自分の服を見る。
それから。
「コホン」
軽く咳払い。
手で肩についた煤を払う。
「やるな」
「効いてないように見えるんだけど」
「いや」
幹部は少し笑う。
「今のは、なかなか効いた」
そして悠斗のスマホを見る。
「それをこちらへ向け、何かをすると
「我の時間が奪われるのか?」
悠斗は答えない。
「なるほど」
幹部は少し考える。
「だが」
悠斗を見る。
「それは、我の動きを予測できなければ使えぬのではないか?」
「……」
図星だった。
さっきは幹部が必ず自分を追ってくると分かっていた。
だから振り返って撮影できた。
だが幹部が好き勝手にあの速度で動けば。
カメラへ収めることすら難しい。
「……厄介だな、あんた」
「褒め言葉として受け取ろう」
幹部が少し興味深そうに首を傾げる。
「それで?」
「まだあるのだろう?」
悠斗は考える。
ハンディ掃除機。
電気コード。
ハンディカメラ。
「……よし」
悠斗は突然、ハンディ掃除機を取り出した。
幹部が眉を上げる。
「今度は何だ?」
「やってみりゃ分かる!」
悠斗は掃除機を
自分へ向けた。
「収納!」
ズオッ!!
一瞬。
悠斗の身体が消えた。
その場へ残されたのは
ハンディ掃除機だけ。
「…………」
幹部が初めて少し困った顔をした。
「消えた?」
地面に置かれた掃除機を見る。
「いや」
「あの奇怪な物へ、吸い込まれたように見えたが……」
周囲を見回す。
気配がない。
「罠か?」
少し考える。
やがて。
「まあいい」
幹部は笑った。
「乗ってやろう」
悠斗の掃除機へ近づく。
しゃがむ。
そして取っ手を握った。
その瞬間。
バリバリバリバリバリッ!!
「ぐっ!?」
掃除機から雷撃が炸裂した。
幹部の全身へ直撃する。
「ぐぅぅっ!」
さらに。
ポンッ!!
掃除機から悠斗が飛び出した。
「効いたか!?」
距離を取る。
幹部は数歩よろめいた。
腕から煙が上がっている。
「…………」
悠斗が身構える。
幹部はゆっくり顔を上げた。
そして笑った。
「ははっ」
「?」
「予想を超える戦い方をする」
楽しそうだった。
「己自身を魔道具へ収納し、触れたところを狙って雷撃」
「実に面白い」
「褒めても何も出ないぞ」
「だが」
幹部の表情が少しだけ真剣になる。
「それも二度目はない」
悠斗は歯を食いしばる。
「……分かってるよ」
本当に厄介だ。
一度見せたものは、ほとんど通じない。
「まだあるのか?」
「……」
残り。
ハンディカメラ。
電気コード。
掃除機は収納。
スマホは停止。
腕時計は加速。
ドライヤーは魔法。
(電気コードじゃ……あいつを縛ったってすぐ切られる)
(カメラは……巻き戻し)
悠斗の頭が回る。
一つの道具では無理。
だったら
組み合わせる。
「……やるしかない」
悠斗が腕時計へ魔力を流す。
青い光。
加速。
同時にドライヤーを構える。
「また来るか?」
悠斗は走った。
幹部の周囲を高速で旋回。
ドライヤーから風魔法。
ブォォォォォン!!
障壁。
ドン!!
悠斗は止まらない。
別方向。
再び風。
障壁。
また移動。
「……」
幹部は動かない。
悠斗だけが周囲を駆け回る。
(追ってこい……)
(さっきみたいに!)
(追ってきた瞬間、ハンディカメラで撮る)
巻き戻す。
予測できる位置へ戻す。
そこをスマホで止める。
そして
ゼロ距離ドライヤー。
(これなら……!)
さらに加速。
幹部の背後へ。
ドライヤー。
しかし。
幹部は
一歩も動かない。
ただその場へ立ち続けている。
「……?」
悠斗が旋回を止めた。
「なんで追ってこない?」
幹部が薄く笑った。
「やはりな」
「何がだよ」
「何かあると思うた」
悠斗の表情が固まる。
「分かるわけないだろ」
「内容までは分からん」
幹部は肩をすくめた。
「だが、お前はさきほどから明らかに我が追ってくることを望んでいた」
「……」
「わざわざ同じ加速を見せ」
「攻撃しながら我の反応を待っている」
幹部は笑う。
「ならば動かぬだけでよい」
悠斗が舌打ちする。
「この辺りは
幹部が静かに言った。
「経験の差だな」
「……クソ」
完全に読まれた。
「さて」
幹部が一歩進む。
「他には?」
悠斗は黙る。
「まだ何かあるのだろう?」
「…………」
少し考えて。
悠斗は息を吐いた。
「もうない」
「ほう」
「全部出した」
幹部が止まる。
「正直だな」
「嘘ついたってどうせバレるだろ」
「それもそうだ」
幹部は少し笑った。
そして。
「では
雰囲気が変わった。
悠斗の背筋を冷たいものが走る。
「今度はこちらの番だ」
「……何?」
幹部が構えた。
いや。
構えたようにすら見えなかった。
ただ立っている。
「せっかくだ」
「我の秘技を一つ見せてやろう」
悠斗はドライヤーを握る。
スマホ。
腕時計。
すべて使えるよう身構える。
「来い!」
次の瞬間。
「…………え?」
悠斗は動けなかった。
いや。
動かないのではない。
動くという行為そのものができない。
瞬きすら。
指一本すら。
息を吸うことすら。
世界が完全に止まったように感じる。
(な……んだ……これ……)
目だけすら動かない。
正面から幹部が歩いてくる。
ゆっくり。
悠斗にとっては、その一歩一歩をただ見ることしかできない。
「驚いたか?」
返事もできない。
幹部が目の前へ立った。
「別に時間を止めているわけではない」
悠斗の肩へ手を置く。
「お前の身体が我の闘気に怯えているだけだ」
(闘気……?)
「意識では動こうとしている」
「だが肉体が、本能的に動くことを拒んでいる」
幹部が小さく笑う。
「まあ」
「魔王様ほどではないがな」
悠斗の視界がゆっくり暗くなる。
「安心しろ」
幹部が悠斗の身体を支える。
「殺すつもりはない」
「魔王様がお待ちだ」
最後に聞こえたのは、その言葉だった。
魔王城。
玉座の間。
魔王は目の前の映像を見ながら、静かに笑っていた。
「ふふ……」
映像には。
意識を失った悠斗を抱えた幹部。
「最後まで、よう考えたものよ」
一度見せた力を組み合わせ。
相手の行動すら利用しようとする。
戦士でもない。
勇者でもない。
それでも最後まで勝つ方法を探し続けた。
「やはり
魔王は頬杖をつく。
「人というものは、まこと面白い」
その瞬間。
玉座の間へ転移魔法陣が広がった。
光。
幹部が現れる。
その腕には悠斗。
「魔王様」
幹部が軽く頭を下げる。
「お連れしました」
魔王は玉座から悠斗を見下ろした。
そして。
妖艶な笑みを浮かべる。
「ようやく話ができるのう」
三つの戦い。
師団長は勝った。
美咲も勝った。
そして悠斗は敗れた。
だが。
悠斗にとって本当に重要な時間は。
ここから始まろうとしていた。




