第15話 入れない
王都を出発してから、しばらく。
捜索隊は東の森、通称『魔物の森』の入口へ到着した。
目の前には、どこまでも続く深い森。
巨大な木々が空を覆い、昼間だというのに森の奥は薄暗い。
師団長は馬から降りると、周囲を見渡した。
『ここからは徒歩で捜索する!』
騎士たちも次々と馬を降りる。
『ただし、まとまって探していては効率が悪い。一定の間隔を空けて散開する!』
師団長は腰の袋から、小さな笛を取り出した。
黒っぽい材質で作られた、指ほどの大きさしかない笛だった。
『これは?』
悠斗が受け取る。
『魔物の角から作られた角笛だ』
『これが角笛?』
悠斗が知っている角笛とはずいぶん違う。
『小さいけど?』
『吹いてみれば分かる。かなり遠くまで音が届く』
師団長は全員へ笛を配っていく。
『ドアを発見した者は、これを三度吹け!』
『音を聞いた者は、すぐにその場所へ集合!』
『ただし魔物との戦闘は極力避けること!』
騎士たちが一斉に頷いた。
悠斗と美咲も二人一組となり、森の中へ入っていった。
『……どこにあるんだろうな』
悠斗は周囲を見ながら歩く。
当然ながら、木。
木。
木。
どこを見ても森だった。
『ドアだけポツンと立ってたんだよな?』
『そうだったね』
『だったら見つけやすいと思うんだけど……』
美咲も木々の間を見回す。
『そもそも今、出てるかどうかも分からないけどね』
『それなんだよなあ』
二人が歩いていると。
ガサッ。
茂みが揺れた。
悠斗が即座に立ち止まる。
『美咲』
『うん』
美咲も腰の剣へ手を伸ばした。
ガサガサッ。
茂みの奥から黒い影が姿を現す。
『……でかっ』
悠斗が思わず声を漏らした。
黒い猫。
そうとしか表現できない姿だった。
ただし、巨大だった。
大型犬よりさらに大きい。
真っ黒な毛並み。
太い尻尾。
ピンと立った耳。
そして金色の大きな瞳。
二本の足で悠斗たちの前まで歩いてくると、
『ニャァ』
普通に鳴いた。
『……猫だ』
悠斗が呟く。
すると。
『スタンディングキャット!』
美咲の表情が一気に明るくなった。
『え?』
『キャー!』
『おい!?』
さっきまで剣へ手をかけていた美咲が、突然駆け出した。
そして。
ギュッ!
巨大な黒猫の体へ抱きついた。
『かわいいー!』
『おいおいおい!』
悠斗は慌てる。
『魔物だろ!? 抱きついて大丈夫なのかよ!』
『大丈夫よ』
美咲は巨大な猫へ頬を擦り寄せている。
スタンディングキャットも嫌がる様子はない。
むしろ気持ちよさそうに目を細めている。
『ゴロゴロ』
『ほら』
『ほらじゃないって……』
とはいえ。
悠斗も猫は嫌いではない。
『……じゃあ俺も』
恐る恐る近づく。
手を伸ばして背中を撫でる。
ふわっ。
『おお……』
想像以上に柔らかい。
『すげえモフモフだ』
『でしょ?』
悠斗も調子に乗って顔をすりつける。
そこで気付いた。
『ん?』
もう一度匂いを嗅ぐ。
『こいつ……獣臭がしないな?』
『スタンディングキャットは綺麗好きなの』
『猫だから?』
『たぶん』
美咲が笑う。
『水浴びが大好きなのよ』
『へえ』
『人間の町で暮らしてる子もいるよ』
『魔物なのに?』
『言ったでしょ!全部の魔物が人間を襲うわけじゃないって』
美咲は黒猫の顎を撫でる。
『町に住んでるスタンディングキャットなんて、温泉にも入るんだから』
『温泉!?』
悠斗は巨大な黒猫を見る。
頭の中に、湯船に浸かっている巨大猫の姿が浮かぶ。
『……それ見てみたいな』
『気持ちよさそうに入るよ』
『ニャァ』
まるで会話が分かっているかのように、スタンディングキャットが鳴く。
悠斗は笑いながら体を撫でた。
『しかし……』
『スタンディングキャットって』
『うん』
『ネーミング、そのままだな』
『この世界、そういう名前多いよ?』
『巨大な鳥ならジャイアントバードとか?』
『いるよ』
『いるの!?』
美咲が笑った。
『ほら。そろそろ行くよ』
今度は悠斗がスタンディングキャットから離れようとしない。
『もうちょっと』
最後に一度だけ黒猫の体を撫でる。
『じゃあな』
『ニャァ』
二人は再び森の奥へ歩き始めた。
しばらく歩いたところで、悠斗が立ち止まる。
『なあ』
『何?』
『最初に美咲と再会したあたりへ行ってみないか?』
美咲も周囲を見る。
『ああ……』
『あそこね』
『ドアが最初に出た場所なんだから、また出るとしたら可能性高いだろ?』
『そうね。行ってみようか』
二人は記憶を頼りに森を進んだ。
大きな岩。
折れた木。
小さな川。
そして
『この辺だったよな?』
悠斗が立ち止まる。
『うん』
美咲も周囲を見る。
『たしか、この辺り』
二人で探す。
しかし。
『……ないな』
木々の間。
茂みの向こう。
岩陰。
どこにもドアはない。
『やっぱり、出てないのかな』
『かもしれないな』
悠斗は頭を掻いた。
『そもそも、どういう条件で出るんだよ……』
その時だった。
ピロリン。
『……ん?』
聞き覚えのある音。
悠斗が固まる。
ピロリン。
『今の……』
美咲も気付いた。
悠斗はポケットからスマホを取り出した。
『着信音?』
悠斗は画面を見る。
当然、異世界に電波など存在しない。
しかし画面には
緑色の光。
小さな点が点滅していた。
『何だこれ?』
悠斗が画面へ触れる。
すると簡単な地図のようなものが表示された。
現在地と思われる場所。
そして少し離れたところで点滅する緑色の点。
美咲が覗き込む。
『これって……』
『ああ』
悠斗にも覚えがある。
美咲が魔王軍へ連れ去られた時。
スマホは美咲の居場所を示してくれた。
『もしかして……』
悠斗が顔を上げる。
『ドア?』
美咲も頷いた。
『行ってみよう!』
二人は走った。
スマホの点滅を頼りに木々の間を進む。
距離が縮まっていく。
そして
『あっ!』
悠斗が声を上げた。
木々の間。
何もない森の中に。
ぽつん。
一枚のドアが立っていた。
『……あった』
美咲も足を止める。
悠斗は思わず笑った。
『現れてくれた!』
最初に異世界へ来た時と同じドア。
自分の部屋のドア。
悠斗は腰から小さな角笛を取り出す。
大きく息を吸い込んだ。
そして。
ピーーーーーッ!
想像していた何倍もの音が森へ響いた。
『うるさっ!』
悠斗自身が驚く。
『遠くまで聞こえるって言ったでしょ!』
ピーーーーーッ!
ピーーーーーッ!
三度。
音が森の奥へ響いていく。
しばらくして。
『神崎君!』
師団長たちが続々と集まってきた。
騎士たちも不思議そうにドアを見る。
『……これか』
『はい』
師団長はドアの周囲を歩く。
裏側へ回る。
当然、何もない。
横から見ても、ただ薄いドアが一枚立っているだけ。
『信じられんな……』
師団長が呟く。
『これが別世界へ?』
『俺の部屋へ繋がってます』
『……試しても?』
『どうぞ』
師団長がドアノブを握った。
ガチャ。
『……』
開かない。
ガチャガチャ。
『む?』
さらに力を込める。
ガチャガチャガチャ!
びくともしない。
『鍵が掛かっているのか?』
『鍵はないはずです』
師団長は諦めて手を離した。
『やはり、誰でも入れるわけではないらしいな』
悠斗が前へ出る。
『俺がやってみます』
ドアノブへ手を伸ばす。
一瞬だけ躊躇した。
『……開くかな』
ガチャ。
ゆっくり押す。
開いた。
『おお……!』
騎士たちから声が上がる。
ドアの向こうには。
ベッド。
机。
テレビ。
パソコン。
見慣れた悠斗の部屋があった。
『開いた』
悠斗は部屋へ足を踏み入れる。
何の抵抗もない。
久しぶりの自分の部屋。
『懐かしいな……』
ほんの少し前まで、ここが自分の世界のすべてだった。
『美咲』
悠斗が振り返る。
『入れるぞ』
『……うん』
美咲もドアへ近づいた。
一歩。
そして
『……っ」』
止まった。
『どうした?』
美咲がもう一度足を前へ出す。
しかし。
入れない。
そこには何もない。
何も見えない。
それなのに透明な壁でも存在しているかのように、美咲の身体だけが拒まれている。
美咲は手を伸ばす。
掌が、何もない空間で止まる。
『……また』
小さく呟いた。
悠斗には聞こえなかった。
美咲は思い出していた。
前にも一度。
自分だけが、この部屋へ入れなかった。
これで二度目。
偶然ではない。
部屋が気まぐれに拒んでいる。
そんな風には、もう思えなかった。
美咲はドアの向こうを見る。
悠斗の部屋。
昔。
何度も遊びに来た場所。
二人でゲームをした。
宿題をした。
くだらない話をした。
喧嘩もした。
仲直りもした。
将来の話だってした。
全部。
あの部屋だった。
自分にとっても、思い出の場所だった。
でも。
今は入れない。
(……やっぱりな)
美咲は少しだけ笑った。
寂しい笑顔だった。
(私……もう、あっちの人間じゃないんだ)
一度、死んだ。
そしてこの世界で新しい命をもらった。
頭では分かっていた。
分かっていたはずだった。
それでも。
ドアが現れるたび。
心のどこかで期待していた。
もしかしたら。
いつか。
悠斗と一緒に。
『……少し期待してたんだけどな』
『ん?』
悠斗が聞き返す。
美咲は慌てて顔を上げた。
『何でもない』
『でも、やっぱり入れないな』
悠斗はまだ深く考えていなかった。
『まあ、そのうち入れるさ!』
美咲は一瞬だけ目を見開いた。
そして。
『……うん』
笑った。
『そうだね』
悠斗は気付かなかった。
その笑顔が、ほんの少しだけ寂しかったことに。
『とりあえず、魔道具になりそうな物を持ってくる』
『待ってて』
『うん』
悠斗は部屋の奥へ入っていった。
美咲はその背中を見送る。
たった数歩先。
手を伸ばせば届きそうな場所。
なのに。
今の美咲には、世界の果てより遠く感じられた。
『さて……』
悠斗は部屋を見回した。
『持っていけそうなのは……』
大きなテレビはさすがに無理だ。
机の上を見る。
『ハンディカメラ』
手に取る。
次。
『ハンディ掃除機』
これも小さい。
袋へ入れる。
『パソコン……』
ノート型なので持ち運べる。
これも入れる。
さらに棚を見る。
『ゲーム機』
少し迷う。
『……何に使えるか分からないけど』
入れておく。
そして。
床にあったものが目に入った。
『電気コード……』
悠斗は拾い上げる。
ただの延長コード。
さすがにこれは関係ない気もする。
『まあ……』
コードを見つめる。
『いちおう、これも持っていくか』
麻の袋へ入れる。
ハンディカメラ。
ハンディ掃除機。
ノートパソコン。
ゲーム機。
電気コード。
異世界へ持っていく物としては、あまりにも妙な組み合わせだった。
『よし』
袋を肩へ担ぐ。
悠斗は最後に部屋を見回した。
ベッド。
机。
テレビ。
壁に飾られた写真。
その中には。
幼い悠斗と美咲が笑っている写真もあった。
『……』
悠斗は少しだけ写真を見つめた。
だが。
『待たせると悪いな』
すぐにドアへ向かった。
まだ悠斗は知らない。
この部屋へ入れるということが。
どういう意味なのかを。
『お待たせ』
悠斗がドアから出る。
美咲は少し離れた木のそばに立っていた。
『結構持ってきたね』
『使えるか分からないけどな』
悠斗が袋を持ち上げる。
『戻ったら研究所で試してみよう』
『うん』
『……美咲?』
悠斗が首を傾げた。
『どうした?』
『え?』
『なんか元気なくない?』
美咲は一瞬だけ黙った。
それから首を横へ振る。
『ううん』
笑顔を作る。
『何でもないよ』
『そう?』
『うん』
悠斗はそれ以上聞かなかった。
師団長が声を上げる。
『目的は達成した!』
『これ以上森に留まる必要はない!』
『王都へ帰還するぞ!』
騎士たちが撤収の準備を始める。
悠斗も歩き出した。
『行こう、美咲』
『……うん』
美咲もその隣を歩く。
少しだけ振り返った。
森の中に立つ、一枚のドア。
悠斗は入れた。
師団長は入れなかった。
そして。
自分も入れなかった。
二度も。
(私……)
美咲は胸元へそっと手を当てる。
(もう、帰れないのかな)
現代へ。
悠斗と過ごした町へ。
家族がいた場所へ。
あの部屋へ。
もう帰れない。
そう考えた瞬間。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
異世界で生きていくことが嫌なわけではない。
勇者として守りたい人たちもできた。
大切な仲間もできた。
この世界にも、自分の居場所はある。
それでも。
悠斗と再会したことで。
ほんの少しだけ。
夢を見てしまった。
もしかしたら、一緒に帰れるんじゃないか。
そんな未来を。
前を歩く悠斗を見る。
悠斗はまだ何も知らない。
何も気付いていない。
美咲は小さく笑った。
(悠斗らしいな……)
そして再び前を向く。
まだ。
別れる時ではない。
まだ二人には時間がある。
けれど美咲の心には、この日初めて。
小さな予感が生まれていた。
いつか。
この人ともう一度
本当のお別れをする日が来るのかもしれない。
森の中。
誰もいなくなった場所で。
一枚のドアだけが、
二人の背中を静かに見送っていた。




