第11話 魔王軍幹部
森の夜は静かだった。
木々の隙間から月明かりが差し込み、風が草を優しく揺らしている。
悠斗と美咲は、ようやく安堵の息をついていた。
『助かった……。』
悠斗が大きく息を吐く。
全身の力が抜ける。
腕時計も静かに光を失い、ドライヤーの風も止まっていた。
その時だった。
サァァァ……
頭上から大きな風切り音が聞こえる。
『!』
美咲が反射的に空を見上げた。
月を背に、一つの黒い影がゆっくりと降りてくる。
バサァッ。
巨大な黒い翼。
コウモリを思わせる翼を広げたまま、一人の男が二人の前へ静かに着地した。
魔王軍幹部。
砦で美咲を連れ去った男だった。
『……。』
悠斗は反射的にドライヤーへ手を伸ばす。
美咲も一歩前へ出て構えた。
しかし幹部は両手を軽く上げる。
『待て待て。』
『戦う気はない。』
その口調は落ち着いていた。
『魔法障壁を貫通する勇者。』
『そして未知の魔道具を使う少年。』
『そんな二人を相手に単独で戦うほど、私は馬鹿ではない。』
悠斗は警戒を解かない。
『……なら。』
『なんで姿を現した。』
幹部は悠斗を真っ直ぐ見つめた。
『お前だ。』
『え?』
『勇者の情報は、すべて調べていた。』
『魔法。』
『戦闘能力。』
『性格。』
『交友関係。』
『全部な。』
幹部は一歩近付く。
『だが。』
『お前の存在だけは、どこにも書かれていなかった。』
『何者だ?』
森が静まり返る。
美咲が悠斗の前へ立つ。
『それを素直に教えるほど、お人好しじゃないわ。』
幹部は小さく笑った。
『だろうな。』
その笑みには怒りも焦りもない。
純粋な興味だけがあった。
悠斗はドライヤーを構える。
風魔法を放つ準備を整える。
幹部は視線をドライヤーへ移した。
『まずは名を聞こう。』
『……神崎悠斗。』
『悠斗、か。』
幹部はその名をゆっくり口の中で繰り返す。
『悠斗。』
『貴様の厄介な魔法は見せてもらった。』
『風。』
『加速。』
『そしてあの魔道具。』
『どこで手に入れた?』
悠斗は答えない。
幹部はさらに続ける。
『自ら開発したのか?』
『人間全員が装備できるものなのか?』
『それとも。』
『お前だけが扱えるのか?』
沈黙。
美咲も悠斗も何も答えない。
幹部は肩をすくめた。
『まあ、いい。』
『今はそれで構わん。』
『どのみち。』
『魔王様へ報告しなければならない。』
その言葉に美咲が反応する。
『魔王へ?』
『そうだ。』
幹部は頷く。
『今の魔王様は、人間に強い興味をお持ちだ。』
『興味……?』
美咲は首を傾げた。
『それは。』
『和睦でも考えているということかしら?』
幹部は少しだけ空を見上げる。
『……さあな。』
『私にも分からん。』
『魔王様のお考えは、我々にもすべては見えない。』
その答えは本心のようだった。
悠斗は少しだけ意外に思う。
魔王軍にも、すべてを知る者ばかりではないのか。
幹部は踵を返した。
『さて。』
『私も帰還するとしよう。』
再び翼を大きく広げる。
『悠斗。』
『勇者。』
『次に会う時は。』
『敵としてか。』
『それとも別の形か。』
『その時まで分からんな。』
バサァァッ!!
巨大な翼が夜風を巻き起こす。
幹部の体はゆっくりと宙へ浮かび上がった。
そして森の上空を滑るように飛び去っていく。
やがて、その姿は夜空へ溶けて消えた。
しばらく二人は動かなかった。
森には虫の声だけが響いている。
『ふぅ……。』
悠斗が大きく息を吐く。
全身から緊張が一気に抜けた。
『追いつかれてたなんて……。』
『全然気付かなかった。』
美咲も苦笑する。
『あの人。』
『魔王軍幹部の中でもかなり強い方だと思う。』
『だから、気付けなかったのも無理ないよ。』
悠斗は空を見上げる。
『まだまだだな……。』
『もっと強くならないと。』
美咲はそんな悠斗の横顔を見て、ふっと笑った。
『さあ。』
『王都まで歩きだよ?』
『ちゃんと付いて来られる?』
その笑顔は、戦場で見せる勇者の顔ではなく、昔と変わらない幼なじみの笑顔だった。
悠斗も思わず笑ってしまう。
『それより。』
『俺、そろそろ体力的に限界かも。』
『加速を使い過ぎた。』
美咲は声を上げて笑う。
『じゃあ途中で休憩しながら帰ろっか。』
『昔みたいに。』
『うん。』
二人は並んで歩き始めた。
月明かりが森の道を優しく照らす。
久しぶりに訪れた穏やかな時間。
しかし、その平穏は長くは続かない。
魔王が『人間に興味を持っている』という言葉の意味を、二人はまだ知らなかった。




