第10話 奪還
静まり返った第一砦。
松明の灯りだけが、長い廊下をぼんやりと照らしている。
悠斗は壁に身を寄せながら、一歩ずつ慎重に進んでいた。
『見つかるな……。』
右手にはスマホ。
画面に表示されていた赤い点が、不意に消える。
『え?』
その瞬間、画面全体が淡く光った。
表示が切り替わる。
そこには砦全体を上から見たような地図が映し出されていた。
『地図……?』
悠斗は目を見開く。
細い通路。
階段。
部屋の配置。
現在地を示す青い点。
そして砦の中心で点滅する赤い点。
『便利すぎるだろ……。』
思わず苦笑する。
部屋が、スマホが、自分を導いてくれている。
悠斗は深呼吸すると、青い点を頼りに砦の奥へ進み始めた。
一方、その頃。
砦の奥にある研究室。
美咲は石でできた診察台の上へ横たえられていた。
体は拘束具で固定され、自由は利かない。
白衣の魔族は何本もの試験管を並べ、嬉しそうに鼻歌を歌っている。
『へへへ……。』
『ようやく勇者を研究できます。』
『長かった。』
机の上には一冊の古びた本が開かれていた。
表紙には、
【勇者観察記録】
と書かれている。
白衣の魔族はページをめくる。
『興味深いですねぇ。』
『歴代勇者。』
『何百年もの記録があります。』
ページをなぞりながら笑う。
『毒殺。』
『失敗。』
『呪殺。』
『失敗。』
『魔力暴走。』
『失敗。』
『暗殺。』
『失敗。』
『へへへ。』
『どの時代の勇者も、毒では死ななかったそうです。』
美咲は静かに睨み返した。
『……だから?』
『だからですよ。』
白衣の男は試験管を一本持ち上げる。
『死なない理由が知りたい。』
『血液。』
『細胞。』
『魔力。』
『全部調べれば何か分かる。』
『へへへ。』
美咲は鼻で笑った。
『好きにしなさい。』
『どうせ分からない。』
白衣の魔族は肩をすくめる。
『それはやってみないと。』
『さて。』
『まずは採血から』
その頃。
悠斗は研究室の近くまでたどり着いていた。
スマホの赤い点は目の前で止まっている。
『この部屋だ……。』
胸の鼓動が速くなる。
壁に身を寄せ、そっと中をのぞく。
鉄格子の隙間。
そこから見えたのは
『美咲!』
診察台へ横たえられた美咲だった。
無事だ。
生きている。
悠斗は胸をなで下ろす。
さらに扉を見る。
『……鍵。』
ゆっくり確認する。
鍵穴はある。
だが、鍵は掛かっていない。
『入れる。』
でも、その部屋には。
魔王軍幹部。
白衣の研究者。
護衛の魔族が二人。
普通に入れば捕まる。
『どうする……。』
その時。
ピコン。
スマホが小さく音を鳴らした。
『また?』
画面が再び切り替わる。
今度は腕時計の絵が表示されていた。
その下に文字が浮かび上がる。
腕時計 魔導機能
・身体加速
・対象減速(短時間)
※魔力消費:中
『加速……。』
悠斗は腕時計を見る。
『これなら。』
美咲を抱えて一気に離脱できるかもしれない。
考える時間はない。
一秒遅れれば、美咲がどうなるか分からない。
『やるしかない。』
悠斗は静かに腕時計へ魔力を流した。
カチッ。
時計の針が淡い青い光を放つ。
次の瞬間。
世界が変わった。
周囲の音が遠くなる。
松明の炎がゆっくり揺れる。
空気の流れさえ遅く見えた。
『これが……加速。』
自分だけが速く動いている。
悠斗はゆっくり扉へ手を伸ばす。
音を立てないよう、慎重に。
カチャ。
扉が開く。
誰も気付かない。
一歩。
二歩。
そして。
『今だ!』
ヒュンッ!!
景色が一瞬で流れた。
『えっ!?』
美咲の目の前へ、悠斗が突然現れる。
『悠斗!?』
拘束具を外す。
美咲は目を丸くした。
『なんでここに!?』
白衣の魔族も口を開けたまま固まる。
『へ……?』
魔王軍幹部も初めて表情を変えた。
『何者だ……!』
悠斗は答えない。
美咲を抱きかかえる。
『帰るぞ!』
『う、うん!』
その瞬間、加速したまま踵を返す。
ヒュンッ!!
一瞬で部屋の外へ。
『止めろ!!』
魔王軍幹部の怒号が砦中へ響いた。
魔族たちが一斉に飛び出す。
しかし。
『速い!』
『見えない!』
悠斗は廊下を一直線に駆け抜ける。
まるで風そのものだった。
『出口!』
スマホの地図が最短経路を示す。
砦の側面。
外壁。
そこへたどり着くと、悠斗はドライヤーを取り出した。
『頼む!』
魔力を流す。
ブォォォォォォン!!
緑色の暴風が足元へ吹きつける。
腕時計の加速。
ドライヤーの風。
二つの魔道具が重なった瞬間
ドンッ!!
二人の体は一気に夜空へ跳び上がった。
『うわぁっ!』
砦の城壁を軽々と飛び越え、そのまま森へ向かって滑空する。
後方では魔族たちの叫び声が響く。
『追え!』
『逃がすな!』
しかし、もう遅かった。
二人は木々の間へ飛び込み、その姿を闇へ溶け込ませる。
森の奥。
安全な場所まで来たところで、悠斗はようやく立ち止まった。
『はぁ……。』
大きく息を吐く。
腕時計の光も、ドライヤーの風も静かに消えていく。
『助かった……。』
全身から力が抜けた。
成功した。
本当に助け出せた。
その安堵に包まれた瞬間。
美咲が何も言わず、ぎゅっと悠斗へ抱きついた。
『ありがとう……。』
小さく震える声。
悠斗も優しく抱き返す。
『約束しただろ。』
『今度は俺が守るって。』
二人はしばらく何も言わず、抱き合っていた。
だが二人はまだ知らない。
砦の上から、その一部始終を静かに見つめる魔王軍幹部が、不敵な笑みを浮かべていたことを。




