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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第五章

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第86話 秋の森と小さなお友達

 パリ万博の熱狂から数週間。

 季節は巡り、パリ郊外のブローニュの森は、燃えるような赤と鮮やかな黄金色へと美しく衣替えを始めていた。


「うわぁ……! 見て、ルイ、ジョゼフ! 絨毯みたいにフカフカの落ち葉よ!」


 上空はまだ薄灰色の雲に覆われ、日差しはどこか弱々しい。

 けれど、冷たい風の吹く王室の私有林へ、私たちはサロペットに歩きやすいスニーカーという完全なアウトドア装備で、紅葉狩りと栗拾いにやってきていた。


 ラキ火山の噴火による異常気象と冷害で、私が手塩にかけて育てたジャガイモ畑は全滅してしまった。


 地下の巨大キノコ農場と代替肉、そして万博での外貨獲得のおかげで国は飢餓と破産を免れたものの、やはり「秋のホクホクの新じゃが」が食べられないのは、ポテト愛好家の私としては少しだけ寂しい。


 だが、大自然は決して牙を剥くだけではない。

 冷害を生き延びた森の木々は、私たちに別の「秋の味覚」をたっぷりと用意してくれていたのだ。


「あー! あーうー!」


 落ち葉の上を、まもなく2歳のジョゼフが両手にどんぐりを握りしめて、トコトコと走り回っている。彼の足音がカサカサと鳴るたびに、頭上の枝からハラハラと色づいた葉が舞い落ちてくる。


「気をつけて、ジョゼフ! 栗のイガにはトゲがあるから、素手で触っちゃダメよ!」


 私が声をかけると、少し離れた木の根元から「いてっ!」というくぐもった声が聞こえた。


 声の主は、分厚い革手袋をはめ、スニーカーの足裏で器用に栗のイガを踏み開いているルイだった。


「いやぁ、このイガのトゲはなかなか手強いね。靴の裏でしっかり固定しないと、中の栗が飛び出していってしまうよ」


 ルイは額に汗を浮かべながら、トングの代わりに拾った二本の木の枝を器用に使って、イガの中から丸々と太った栗を取り出していた。


「ふふふ。たまには機械や図面を忘れて、自分の手足でアナログに自然と格闘するのも、いい気分転換になるでしょう?」


「ああ、本当にそうだね。風の音や土の匂いを感じながら、こうして自分の手で収穫の苦労と喜びを味わう。……大自然の温もりだよ」


 泥だらけになった手袋のまま、ルイは拾い集めた栗をカゴに放り込み、満足そうに笑った。


「あう?」


 その時、落ち葉の山にしゃがみ込んでいたジョゼフが、不思議そうな声を上げた。


 カサコソ、カサコソ。


 カエデの木の裏側から顔を出したのは、ふさふさの尻尾を持った一匹の可愛らしい『赤リス』だった。


「あら! リスさんよ、ジョゼフ」


 私は、ジョゼフを驚かせないようにそっと近づいた。

 リスは、冬眠の準備のために食糧を探しているのだろう。小さな前足を胸の前に揃え、キョロキョロと周りを見回している。人間の気配に気づいて、ビクッと体を強張らせた。


「きゅっ?」


 リスとジョゼフの目が合った。

 普通なら人間の赤ん坊を見て逃げ出してしまうところだが、ジョゼフは全く動じることなく、自分の小さな手のひらを開いた。


「はい、どーぞ!」


 ジョゼフが差し出したのは、さっき拾ったばかりの、丸々と太ったツヤツヤの『どんぐり』だった。


 リスは鼻をヒクヒクさせながら、恐る恐るジョゼフの手に近づき……サッ! とどんぐりを両手で受け取ると、チョコンと後足で立ち上がり、カリカリと美味しそうに齧り始めたのだ。


「きゅっきゅっ!」

「きゃはははっ!」


 どんぐりを頬張ってほっぺたをパンパンに膨らませたリスを見て、ジョゼフは両手を叩いて大喜びしている。


「……信じられない。野生の警戒心を一瞬で解くとは。殿下の無邪気さは、どんな論理的な外交交渉よりも相手の懐に入るのがお上手ですね」


 レジャーシートの上で、いつものようにバインダーを抱えていたナポレオンが、珍しく目を丸くして呟いた。


「ふふふ。ジョゼフの『おすそ分け』は無敵なのよ。……さあ、ナポレオン。あなたも今日は難しい数字から離れて、秋の森の空気を深呼吸しなさい。ルイがいっぱい栗を収穫してくれたから、最高のおやつを作るわよ!」


 私は、落ち葉を集めて作った小さな焚き火の上に鍋を吊るし、採れたての栗をじっくりと茹で上げた。


 皮を剥いて裏ごしし、少しのメープルシロップと、ハプスブルク家伝来の菌で作った水切りヨーグルトを練り合わせる。土台には、あらかじめ厨房で焼いてきた、おからとアーモンドプードルの低糖質タルト。


「完成! 王妃特製・秋の森のモンブランよ!」


「うわぁ……! なんて芳醇な香りなんだ! 栗の濃厚な甘さと、ヨーグルトのほのかな酸味が絶妙にマッチしている!」


 ルイが、モンブランを一口食べて感動の声を上げた。


「モグッ……むぅっ!? このタルト生地のサクサク感と、上のペーストの滑らかさ。……自然の素材だけで、これほど完成された食感を生み出すとは」


 先ほどまで数字の話をしていたナポレオンも、フォークが止まらない。


「んま! んまー!」

 ジョゼフも、口の周りを栗のペーストだらけにしながら、笑顔で頬張っている。その横では、すっかりジョゼフに懐いたリスが、「おこぼれをくれないかな」と尻尾を揺らしてチョコンとお座りをして待っていた。


 平和だ。

 機械の稼働音も、借金の計算も、政治の駆け引きもない。ただ家族で森の恵みを分かち合い、小動物たちと触れ合える時間。


 ギロチンの幻影に怯え、毎晩のように胃を痛めていた日々が嘘のように、今の私たちには穏やかな時間が流れている。


 私は、秋の柔らかな日差しを見上げながら、温かいハーブティーを一口飲んだ。


「……そういえば、ナポレオン」

「何ですか、マリー」

「通販カタログの冬号の予約状況なんだけど……ウィーンからは何か来ていないかしら?」


 私の問いに、ナポレオンは少し眉をひそめて、カバンの中の書類の束をめくった。


「ウィーン……オーストリア宮廷からですね。いえ、公的な外交文書や、定期的な『ポテト・クレイパック』の追加発注書は届いていますが……マリア・テレジア女帝陛下からの『個人的な親書』は、ここ数ヶ月、一通も確認しておりません」


「……そう」


 私は、手の中のティーカップをそっと見つめた。

 お母様は、筆まめな人だ。以前なら「サウナの白樺の香りが最高よ」だの「新しいサロペットの色が派手すぎる」だの、元気すぎる小言の手紙が週に一度は届いていた。


 しかも、あんなに私が大々的に開催した『パリ万博』にも、彼女は姿を見せなかった。


 オーストリアの特使が来た時、「女帝陛下は公務がお忙しいようで」とメルシー大使から聞かされて納得していたが、万博が終わってからも何の感想の手紙もないというのは、少し不自然な気がする。


「おや、王妃様。皆様お揃いで、見事な紅葉狩りですな」


 落ち葉を踏みしめる音とともに、駐仏オーストリア大使であるメルシー伯爵が、穏やかな足取りで森の小道から現れた。


「メルシー大使。ちょうどよかったわ、モンブランはいかが? ……それと、母様の最近の様子をご存知ないかしら? 万博にもいらっしゃらなかったし、手紙もパッタリと途絶えてしまって……」


 私がモンブランを勧めるが、メルシー大使はそれを辞退し、少しだけ目を伏せた。


「あ、いえ……女帝陛下におかれましては、王妃様の大成功をウィーンで大変喜んでおられました。ただ……」


「ただ?」


「最近、少しお足が重いようでして。長旅は控えるようにと、侍医たちから止められているのです。……冷害の冷え込みで、少しお疲れが溜まっているのでしょう。大したことではございませんよ」


「足が重い……お疲れ……」


 還暦を過ぎた母様だ。季節の変わり目に体調を崩すのは、決しておかしなことではない。

 当時の寿命を考えれば、むしろこれまでが元気すぎたくらいだ。


(……考えすぎよね。ちょっと秋バテしているだけだわ。サウナに入りすぎて湯あたりでもしたのかしら)


「分かったわ。じゃあ、体を温めるための『特製・生姜とカモミールのシロップ』と、ベルタンに作らせた『最高級シルクの腹巻き』を、次の便でウィーンへ送ってちょうだい。体を冷やすのが一番の敵だからね」


「承知いたしました。女帝陛下も、さぞお喜びになるでしょう」

 メルシー大使は深く一礼し、落ち葉を踏んで足早に去っていった。


「アントワネット、どうしたんだい? 少し顔色が暗いよ」

 ルイが、革手袋を外しながら私の隣に腰を下ろした。


「ううん、なんでもないの。ただ、あの元気すぎる母様が大人しいなんて、ちょっと調子が狂っちゃって」


「ははは、お義母様なら、そのうちまた突然馬車で乗り込んできて、ジョゼフをよだれまみれにするに決まっているさ」


「ばぁば! ばぁば!」

 ジョゼフも、足元でリスと一緒にドングリを転がしながら、楽しそうに笑っている。


 私は、少しだけ肌寒くなってきた秋の風を肩に感じながら、西の空――ウィーンの方角を見つめた。


 色づいた木々の隙間から見える空に、鉛色の雲が、少しずつ太陽を隠そうとしている。


(……そうよね。あの母様が、ただの秋バテなんかで倒れるわけがない。すぐにまた、元気な手紙を送ってくれるはずよ)


 私は、胸の奥に一瞬だけよぎった「冷たい不安」を、意識的に心の隅へと押し込んだ。


 今はただ、この平和な秋の森の静寂と、家族の笑顔を守ることに集中しよう。


 だが、歴史の足音は、私の願いとは裏腹に、静かに、そして残酷に近づいていたのである。


 マリー・アントワネット、24歳。

 実りの秋の平和な森の中で、彼女はまだ気づいていなかった。

 遠く離れたウィーンの宮廷で、偉大なる母の命の灯火が、18世紀の暗く冷たい医療の闇の中で、今まさに消えかかろうとしていることに――。

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