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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第四章

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第82話 北の大国と素肌の革命

 イギリスの資本家、プロイセンの軍部と、立て続けに特大の契約を勝ち取った『パリ万国・健康と技術の博覧会』

 『水晶の宮殿』の噂は、風に乗ってヨーロッパ全土を駆け巡り、連日、各国のVIPたちが札束を握りしめて押し寄せていた。


 そんな中、ひときわ異彩を放つ、重厚で豪奢ごうしゃな馬車列が会場の正面ゲートに到着した。


「……見なさい。あれが貧民の掘っ立て小屋を真似まねたという、フランスのガラス小屋ね。太陽の光など、シワとシミの原因になるだけだというのに、野蛮なこと」


 馬車から降り立ったのは、ロシア帝国から派遣された特命全権大使、オルロヴァ伯爵夫人だった。

 季節外れの冷害とはいえ、彼女は分厚い黒貂くろてんの毛皮のコートを羽織り、首や指には目も眩むような大粒のダイヤモンドをギラギラと輝かせている。


 そして何より目を引くのは、その顔面に「これでもか」と塗りたくられた、真っ白な白粉おしろいと、毒々しいほどに赤いルージュであった。


 当時、冬の長いロシアの宮廷では、寒さと乾燥から肌を隠すため、そして何より「労働をしない高貴な身分」を誇示こじするために、鉛や水銀がたっぷり含まれた有害な白粉を極端に厚塗りすることが、絶対的な美のステータスとされていたのだ。


「ロシアの使節団ですね。あの方は、エカチェリーナ女帝の側近中の側近です」


 VIPラウンジから見下ろしながら、ナポレオンが手元の分厚いリストを確認した。


「ロシアか……。莫大な資源と、凍てつく大地を持つ北の大国ね」


「ええ。彼女たちはフランスの『機械技術』には一切興味がありません。彼女たちの目的は、文化の中心である我が国の『ファッションと美容』の最新トレンドを買い漁ることです。……しかし、マリー。現在の我が国のトレンドは……」


 ナポレオンがチラリと私の姿を見る。

 現在の私は、サロペットをベースにした動きやすいワークドレスに、足元はキャンバス・スニーカー。顔はうっすらと蜜蝋のリップを塗っただけの、ほぼスッピンである。


「フン。あんな毒の粉で毛穴を塞いでいたら、肌が呼吸できなくてボロボロになるわ。真の美しさは、内側から溢れる『保湿と血流』よ!」


 私は腕をまくり、オルロヴァ伯爵夫人を迎え撃つべく『第3パビリオン――王立オーガニック・エステティック館』へと向かった。


「お初にお目にかかります、オルロヴァ伯爵夫人。フランス王妃、マリー・アントワネットですわ」


 私が優雅にカーテシーをすると、伯爵夫人は私の顔をジロジロと舐め回すように見て、羽根の扇子で口元を隠してふふっと嘲笑あざわらった。


「まあ、王妃殿下。……随分と、その、つつましいお姿で。白粉も塗らず、まるでどこかの農婦のような素肌。フランスの国庫は、王妃の化粧品を買うお金すら底をついたのかしら?」


 随行のロシア貴族たちが、彼女に同調して一斉にクスクスと嫌味な笑いを漏らす。


「お気遣いなく。私は、肌を『隠す』必要がないだけですわ」


 私は笑顔を崩さずに言い返した。


「隠す必要がない? 冗談を。高貴な血筋の者たるもの、透き通るような白磁の肌を白粉で作り上げるのが義務というもの。……それにしても、フランスの乾燥した風に当てられて、王妃殿下のお肌もさぞお疲れでしょうに」


 彼女の言葉とは裏腹に、間近で見る伯爵夫人の肌は悲惨な状態だった。


 分厚い化粧の隙間から、ひどい乾燥による粉吹きとひび割れ、そして長年の鉛毒による黒ずみが透けて見えている。ロシアの過酷な寒気と、ガンガンに焚かれた暖炉の乾燥が、彼女たちの肌のバリア機能を完全に破壊しているのだ。


(……可哀想に。マウントを取っているつもりが、お肌が悲鳴を上げているわよ。あの白粉の下は、ボロボロの砂漠状態ね)


「伯爵夫人。あなたは『保湿』という言葉をご存知かしら?」


「ほしつ? 何ですの、その呪文は」


「シワと乾燥を根絶し、永遠の若さを保つための、絶対的な魔法の言葉よ。……さあ、こちらへ。ロシアの厳しい冬にも負けない、究極の『美のテクノロジー』をお見せしましょう」


 私は、怪訝けげんな顔をする伯爵夫人を、パビリオンの奥にある個室へと案内した。


 そこには、巨大な銅製のボイラーに複雑なガラス管が接続された、見たこともない奇妙な機械が鎮座していた。そして、その機械のバルブを調整しているのは、作業着姿で油まみれの我が夫、ルイ十六世である。


「アントワネット! 待っていたよ。水温と圧力の調整は完璧だ!」


「こ、国王陛下!? なぜ、自らそのような機械いじりを……」


 一国の王が工具を握っている姿に、伯爵夫人が目を丸くする。


「伯爵夫人。この機械こそ、ルイが私のために開発した究極の美容家電……『微粒子スチーム・フェイシャル美顔器』よ!」


「びがんき……?」


「ええ。まずは、そのお顔に塗られた有害な白粉を、この『特製オリーブオイル・クレンジング』で全て落としていただきます」


「なっ!? 人前で素顔を晒すなど、はしたない! 絶対にお断り……」


「あーうー! きゃうっ!」


 その時、部屋の隅のベビーサークルで遊んでいたジョゼフが、トコトコと歩み寄ってきた。彼は伯爵夫人の豪華なドレスの裾を掴むと、見上げるような形で「ニパッ!」と極上の笑顔を向けた。


「ま、まあ……可愛らしい天使のようなお子様。それに、なんて白くて滑らかな、つきたてのお餅のようなお肌……!」


 伯爵夫人が思わずジョゼフの頬に触れようとした瞬間、私は彼女の手をピシャリと制止した。


「ダメよ。あなたの手についているその白粉の粉が、この子のピュアな肌に触れたら大変だわ。鉛の毒でかぶれてしまうもの」


「なっ……」


「ジョゼフのこのマシュマロ肌は、毎日の『スチーム保湿』と『ポテトエキス』の賜物なのよ。あなたも、この子のようなプルプルの肌を取り戻したくはない?」


「この、赤ん坊のような肌を、私が……?」


 美への執着は、いかなるプライドをも凌駕する。

 伯爵夫人はゴクリと息を呑み、ついに侍女に命じて分厚い化粧を落とすことを承諾した。


 数分後。すっぴんになった伯爵夫人の肌は、予想通り、砂漠のようにカサカサに荒れ果て、赤みを帯びて悲鳴を上げていた。


「さあ、ルイ! スチーム、オン!!」


「出力最大! 微粒子ミスト、放射!!」


 プシュゥゥゥゥッ!!!


 ルイがレバーを引くと、ガラス管の先端から、極めて細かく柔らかい温かな蒸気が、伯爵夫人の顔全体を優しく包み込んだ。


「ひっ……!? な、何ですのこの温かい霧は! 息苦しくない、それどころか、肌の奥深くに水分の粒が吸い込まれていくような……!」


「ただの蒸気じゃないわ。毛穴の奥まで届くように水分子を極限まで細かく砕いた『ナノスチーム』よ。これでガチガチに固まった角質層をふやかし、毛穴に詰まった鉛の毒素を浮き上がらせるの!」


 十分間のスチーム照射が終わると、伯爵夫人の顔色はすでに見違えるほど血色が良くなっていた。


「さらに、トドメよ!」


 私は、ジャガイモのデンプン質に、蜂蜜とカモミールエキスを練り合わせた『王妃特製・ポテトバイオセラミド・クレイパック』を、彼女の顔にたっぷりと塗りたくった。


「ポテトのデンプンが水分の蒸発を防ぎ、蜂蜜の殺菌作用が肌のターンオーバーを促進するわ。このまま十五分、横になってリラックスしてちょうだい」


 ――そして、十五分後。

 温かいお湯でパックを洗い流し、鏡の前に立ったオルロヴァ伯爵夫人は、そこから一歩も動けなくなってしまった。


「……嘘。これ、本当に私……?」


 鏡に映っていたのは、粉を吹いていた砂漠肌ではなく、内側からパンッと張るような弾力を持ち、瑞々《みずみず》しいツヤを放つ「むきたてのゆで卵」のような素肌だった。


 くすみは消え去り、血色の良い頬が若々しさを証明している。


「んまっ!」


 ジョゼフが、トコトコと歩み寄り、伯爵夫人の頬に小さな手をペタッと当てた。


 そして、「あうー!」と満足げに頷いた。赤ん坊の厳しい肌質チェックを見事にクリアしたのだ。


「……信じられない。化粧で隠すのではなく、素肌そのものが宝石のように輝いている……! こんなの、私が十代だった頃以来だわ……ッ!」


 伯爵夫人の目から、ポロポロと感動の涙が溢れ出した。


(……よし! これでロシアの美容マネーもがっぽりいただけるわね!)


 私が内心でガッツポーズを決めた、その時だった。


「……素晴らしいわ。本当に素晴らしい。でも……」


 伯爵夫人は、鏡に映る自分の美しい素肌を見つめながら、ポツリと、悲しげな声で呟いた。


「でも、私はこれを買えません」


「……え?」


 私は耳を疑った。あんなに感動して泣いていたのに、なぜ?


「どんなに素肌が美しくなろうと、ロシアの宮廷では、鉛の白粉を分厚く塗らなければ『品がない』『貧乏くさい』と笑い者にされるのです。こんな素肌を晒せば、私は社交界から追放されてしまう……」


 彼女は、震える手で再び有害な白粉のコンパクトを手に取ろうとした。


(……同調圧力! いついかなる時代でも、女性を縛り付ける一番の呪いは『周りの目』なのね!)


 古い常識に怯え、美しくなった自分の肌を再び殺そうとする彼女を見て、私はたまらなくなり、彼女の手から白粉のコンパクトをひったくった。


「王妃殿下! 何を……!」


「やめなさい! 自分の肌が喜んでいるのを無視して、他人の顔色を窺うの!?」


 私は、自分の顔にうっすらと塗っていたリップすらもハンカチで乱暴に拭き取り、完全なスッピンになって彼女の前に立った。


「見て。これが私の素肌よ。私はフランスの王妃だけど、白粉なんて一ミリも塗っていないわ!」


「す、素顔を晒すなど……そんな恐ろしいこと……」


「恐ろしくなんかないわ。古い常識に怯えて、自分の肌を殺す気? あなたはロシア帝国を背負って立つ特命全権大使でしょう!?」


 私は彼女の両手を強く握りしめた。


「真の権力者なら、周りの顔色を窺うのはやめなさい。あなたが『素肌の美しさ』という新しい常識を、ロシアで作るのよ!」


「私が……新しい常識を?」


「そうよ! 厳しい冬を生き抜く、生命力に満ちた輝く素肌。それこそが一番の贅沢だと、エカチェリーナ女帝に堂々と見せつけてやりなさい。私が保証するわ、今のあなたは、白粉を被ったどの貴婦人よりも、世界で一番美しいと!」


 私の真っ直ぐな言葉に、オルロヴァ伯爵夫人はハッと息を呑んだ。


 彼女の中で、長年彼女を縛り付けていた呪いのような「常識」が、音を立てて崩れ去っていくのがわかった。


「……ええ。……ええ、そうね! こんなに美しい肌を、鉛で隠すなんて愚かだわ!」


 彼女は涙を拭い、力強く頷いた。


「私が、ロシアの化粧を変えてみせるわ! エカチェリーナ女帝陛下も、極度の乾燥とシワに悩まされている……。この魔法の機械と、芋の泥があれば、ロシアの宮廷の女性たちは全員、過酷な冬の絶望から救われるわ!」


 ただの客だった彼女は、私の言葉によって、完全に『最強の美容インフルエンサー』へと覚醒したのだ。


「マリー・アントワネット陛下! 無礼の数々、どうかお許しください! ……この『フェイシャル美顔器』を百台! そして、その『ポテトパック』をたるで千個、直ちにロシア帝国へ輸出していただきたい!!」


「ええ、喜んで。……でも、美顔器のボイラーのメンテナンスには専門の技術者が必要よ。もちろん、我が国のエンジニアの派遣契約も結んでいただくわね?」


「言い値で構いません! どんな大金を積んでも、エカチェリーナ女帝陛下はこの『究極のアンチエイジング』を欲しがりますわ!」


 そこへ、すかさずナポレオンが契約書と羽根ペンを差し出した。


「商談成立ですね。美顔器とパックの独占供給契約、ならびに年間保守メンテナンス費込みで、初回決済は金貨五十万枚。サインはこちらへ」


 伯爵夫人は一切の躊躇ちゅうちょなく、流れるような筆記体でサインを書き殴った。


「……またしても完勝ですね、マリー。軍事力ではなく『美とアンチエイジングへの執着』で、大国の財布をこじ開けるとは。女性の購買力というものを侮っていました」


 ナポレオンが、乾いたばかりのインクを吹きながら、感心したように呟いた。


「ふふふ。いつの時代も、健康と美容は世界共通の最強ビジネスなのよ。……それに、ロシアの厳しい冬を乗り越える手助けができれば、いずれ彼らも、無駄な戦争より豊かな暮らしを選ぶはずだわ」


 私は、ツヤツヤの肌で涙を流して喜ぶ伯爵夫人を見つめながら、誇らしく微笑んだ。


 マリー・アントワネット、24歳。

 彼女の生み出した「スチーム美顔器」と「ポテトパック」は、ロシア帝国の凍てつく美意識を根底から覆し、ただのモノ売りではなく『新しい価値観』を提供することで、莫大な美容マネーをチュイルリーの金庫へと雪崩れ込ませたのである。

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