第79話 水晶の宮殿とスチームバーガー
パリ郊外、広大なシャン・ド・マルス練兵場。
かつては軍隊の無機質な訓練に使われていた殺風景なこの広場は今、凄まじい活気と、幾重にも交差する金属の衝突音に包まれていた。
「第4ブロックの鉄骨、リフトアップ! 規格番号A-12のボルトで固定しろ! 誤差は1ミリたりとも許さないぞ!」
土埃の舞う現場のど真ん中で、安全帽を被ったフランス国王ルイ十六世が、メガホン片手に叫んでいる。
万博開催まであと五ヶ月。ルイがぶち上げた『水晶の宮殿』の建設は、当時の建築常識を完全に破壊する猛スピードで進んでいた。
「あーうー! パ、パ!」
そのルイの足元で、同じく特製の「小型安全帽」と「サロペット」に身を包んだジョゼフが、『真鍮のスパナ』を振り回しながら、トコトコと元気よく歩き回っている。
「おお、ジョゼフ! ボルトの締め具合のチェックかい? さすが僕の息子だ、でも危ないから、パパの『安全命綱』からは離れないでね」
ルイの太い腰ベルトと、ジョゼフのサロペットの背中部分は、パラゴムを編み込んだ丈夫な伸縮ロープで繋がれていた。どんなにジョゼフが現場の奥へ突撃しようとしても、一定の距離でビヨーンと安全に引き戻される、オタク王謹製の「迷子&危険防止ハーネス」である。
「……ルイ。ジョゼフを現場監督にするのはいいけど、そろそろお昼寝の時間よ」
私が視察に訪れると、ジョゼフは「あー!」と両手を広げて、私の足元へダイブしてきた。私はしゃがみ込み、土にまみれた彼を愛おしく抱き上げた。
「し、信じられねえ……。石もレンガも積まねえで、鉄の棒をボルトで繋ぐだけで、あんな巨大な建物が建っていくぞ……!」
「おまけに、国王陛下が赤ん坊の面倒を見ながら現場を仕切ってるたぁ、どんな魔法だよ……」
現場で働くパリの労働者たちが、空を突くように組み上がっていく巨大な鉄の骨組みを見上げて、口々にどよめいている。
ルイとナポレオンが考案したのは、あらかじめチュイルリーの地下工場で「全く同じサイズ」に大量生産された鉄のパーツを、現場で『組み立てるだけ』というプレハブ工法だった。石を切り出し、漆喰で固める従来の建築とは次元が違う。
「計算上、このトラス構造ならどんな強風にも耐えられる! さあ、次は『ガラス』の搬入だ! 絶対に割らないように慎重に頼むよ!」
ルイの合図とともに、馬車に乗せられて運ばれてきたのは、これまで誰も見たことがないほど巨大で、一枚の淀みもない平らな板ガラスだった。
「最高よルイ! これが全面に嵌め込まれたら、本当にピカピカに輝く宮殿になるわね!」
「ええ。ガラスによる採光と、石炭ガス灯の反射効果を組み合わせれば、ラキ火山の火山灰で薄暗い日中であっても、ロウソク代が丸ごと浮きます。この悪環境下でも圧倒的な明るさを保つ建物の工法自体が、各国の資本家に向けた強烈な『技術的プレゼン』になりますね」
手元の懐中時計で作業効率を計測していたナポレオンが、満足げに頷いた。
「パビリオンのハード面は、陛下と小さな現場監督のおかげで完璧です。……しかし、問題はソフト面です、マリー」
ナポレオンが、鋭い視線を私に向けた。
「万博の会期中、ヨーロッパ中から数万人規模の来場者がこのシャン・ド・マルスに押し寄せます。彼らを捌き切るための『食糧提供システム』が、現在のフランスのレストラン方式では不可能です」
当時の外食といえば、席に座り、給仕が何皿も運んでくるコース料理を数時間かけて食べるのが当たり前だ。だが、万博会場でそんな悠長なことをしていては、客の回転率が悪すぎて大混乱を引き起こしてしまう。
「立って歩きながら、あるいは展示を見ながらでも『片手で食べられる』。かつ、圧倒的に美味しく、フランスの農業と健康をアピールできる画期的な食べ物……それが必要不可欠です」
「片手で食べられる、究極のファストフードね……」
私は腕を組み、足元でスパナをかじろうとしているジョゼフをひょいっと片手で抱き上げた。
(……片手。そうよ、元気いっぱいの赤ん坊を抱っこしながらでも、片手でサクッと食べられて、お肉の旨味とパンの満足感が得られる最強の食べ物)
「……ハンバーガーよ!」
「はんばーがー?」
ナポレオンとルイが同時に首を傾げた。ジョゼフも「ばーばー?」とオウム返しに首を傾げている。
「そう! チュイルリー宮殿の厨房へ戻るわよ! 最高の万博メシを開発するわ!」
数時間後、チュイルリー宮殿の厨房。
私は、小麦からタンパク質だけを抽出した『代替肉』と、地下で大量栽培している『マッシュルームの微塵切り』を大きなボウルで練り合わせていた。
「ただの代替肉じゃパンチが足りないのよ! ここに、焦がし玉ねぎと、ナツメグ、そしてほんの少しのトリュフオイルを練り込んで……完璧な『フェイク・パティ』を作るの!」
ジュワァァァァッ!!
鉄板の上で、分厚いパティが暴力的な音と香りを立てて焼き上がっていく。ニンニクとキノコの旨味が熱によって凝縮され、食欲のタガを外す悪魔的な香りが厨房を支配した。
「よし、中身は完璧よ! あとはこれを挟む『バンズ』ね。パン職人! 生地の発酵具合はどう!?」
私が振り返ると、そこには頭を抱え、絶望的な顔をしたパン職人の親方が立っていた。
「王妃様……生地は最高にフワフワに仕上がっております。ですが……肝心の『オーブンを温める薪』がありません!」
「えっ?」
「ラキ火山の冷害で木材の成長が止まり、薪の価格は依然として高騰したままです。万博の期間中、一日数万個のパンを焼き続けるだけの莫大な燃料なんて、今の国庫状況ではどこにも……!」
その報告に、ナポレオンがパタンと冷徹に手帳を閉じた。
「……計算外でしたね。燃料不足を失念するとは、私としたことが痛恨のミスです。火が使えないのなら、どれほど美味な肉も無用の長物。……残念ですが、バーガー計画は中止ですね」
「待って! 中止なんてさせないわ!」
私は叫び、厨房の窓から外を睨みつけた。
窓の向こうでは、ルイが建設現場で稼働させている『蒸気機関』が、シュッシュッポッポッと力強い音を立てて白い煙を吐き出している。
(……薪がない。火が使えない。だったら……!)
「ナポレオン! オーブンで『焼けない』なら……『蒸せ』ばいいじゃない!」
「蒸す、ですか?」
「そうよ! ルイ! あの蒸気機関から排出されている『余剰蒸気』を、厨房の巨大な蒸し器にパイプで繋げられる!?」
「なるほど……! エンジンを回すために必ず発生する高温のクリーンな水蒸気を、そのまま調理の熱源として再利用するのか! それなら新たな燃料費は完全に『ゼロ』だ! 究極の熱効率じゃないか!」
ルイはすぐさま配管工を呼びつけ、蒸気機関のバルブから厨房へと太い真鍮のパイプを急造で引き込んだ。
シューーゥゥゥッ!!
厨房に設置された巨大な蒸し籠に、圧倒的な熱量の蒸気が送り込まれる。
「パン職人! 大豆粉と豆乳を練り込んだ生地を、この蒸し器に放り込みなさい!」
数十分後。
蒸し籠の蓋を開けると、そこにはこんがり焼けた茶色いパンではなく――東洋の「肉まん」のように純白で、フワフワでモッチモチに膨らんだ『スチーム・バンズ』が完成していた。
「ここに、新鮮なレタスと、極厚のフェイク・パティ。そしてバターでねっとりと飴色になるまで炒め抜いたタマネギの甘みが爆発する『黄金のオニオン・グレービーソース』をたっぷりと回しかけるの!」
私は、真っ白で熱々のバンズでそれらを力強く挟み込んだ。
「完成よ! 名付けて『ベルサイユ・スチーム・ヴィーガン(Ⅴ)バーガー』!!」
その圧倒的にジャンクな見た目と、食欲を直撃する香ばしい匂いに、厨房にいた全員がゴクリと喉を鳴らした。
「さあ、毒見の第一号は……アーサー! あなたにお願いするわ!」
物流管理部長となった元英国スパイのアーサーが、恐る恐るそのバーガーを両手で持ち上げた。
「我が国にもサンドイッチ伯爵が似たようなものを食べていますが、これほど分厚く、しかも温かいものとは……」
アーサーは大きく口を開け、バーガーにガブリと噛み付いた。
フワァァ……。サクッ、ジュワッ。
「……ッッッ!!!」
アーサーの瞳孔が、極限まで見開かれた。
「な、なんだこれは!! 大豆が練り込まれた蒸しパンが、まるで雲のように柔らかく、もっちりと歯を包み込む! そして、噛みちぎった瞬間、中から肉の……いや、肉よりも濃厚なキノコとトリュフの旨味が、滝のように口の中に溢れ出してくる!!」
アーサーは、資本家としての体面も忘れ、夢中で二口目、三口目と貪り食った。
「ンマッ! あーうー、んまんま!!」
足元では、私が取り分けておいた「ミニサイズのスチーム・バンズ」を両手で持ったジョゼフが、最高に幸せそうな「ニパッ!」という笑顔を弾けさせている。
「……王妃様! これこそ、せっかちな各国の貴族たちを黙らせる、世紀の大発明です!!」
アーサーは感動の涙を流して絶叫した。
「よし! 味も機能性も、そしてコスト問題も完璧ね! ナポレオン、このバーガーを万博会場の至る所に設置した『屋台』で大量販売するわよ!」
「承知しました。……食材の原価率は肉の十分の一以下。蒸気による燃料費はゼロ。そしてこの『歩きながら食べられる』というスタイルは、会場の滞在時間を延ばし、各パビリオンの商談成約率を極限まで押し上げるでしょう」
ナポレオンが、バーガーの残りを口に運びながら、嬉々として帳簿にメモを取っていた。
鉄とガラスの宮殿と、蒸気のファストフード。
万博を大成功させるための、最強の『ハード』と『ソフト』がここに揃ったのだ。
「アーサー! イギリスをはじめとする各国のVIPへの招待状の発送状況は!?」
「完璧です、王妃様! プロイセンの王族も、ロシアの特使も、そして……」
アーサーは、一枚の最も豪華な封筒を掲げた。
「産業革命のプライドをへし折られた、イギリスの『大資本家連合』のトップ連中も、我々の技術の底を暴こうと、こぞってパリ行きを決定しました!」
「上等じゃない! 彼らの度肝を抜いて、莫大な特許契約と工場の輸出契約を結ばせてやるわ!」
私はジョゼフのほっぺについたパン屑を優しく拭いながら、チュイルリー宮殿の窓からシャン・ド・マルスの空を見上げた。
分厚い灰色の雲から漏れる僅かな光と、内部で試験点灯されたガス灯の光を反射して、完成間近のガラスの宮殿が、まるで未来を照らす灯台のように力強く輝き始めている。
マリー・アントワネット、24歳。
二十億リーブルの借金を一撃で吹き飛ばすための、人類史上最大の「健康と産業のフェス」の開幕が、いよいよ明日に迫っていた。




