第78話 借金返済のウルトラC
年は変わり、1780年──新春。
チュイルリー宮殿の工場は、イギリスから寝返った凄腕スパイ・アーサーの物流管理と、最高執行責任者ナポレオンの生産計画により、今日も快調に稼働音を響かせていた。
だが、私たちの戦いは終わっていない。
「……マリー。利子の引き下げとパトロン制度による集金で、国家の即死は免れました。しかし──」
ナポレオンが、自分の身長の半分ほどもある分厚い総勘定元帳をパタンと閉じ、氷のように冷たい視線を私に向けた。
「依然として、二十億リーブルもの巨大な『元本』が重くのしかかっています。現在の工場の利益率と貴族からの集金ペースを維持したとしても、完済までには最低でも四十年かかる。……四十年です。その間に凶作や他国との戦争が一度でも起きれば、再び国庫は吹き飛びますよ」
「四十年……っ!」
私は頭を抱えて、机に突っ伏した。
私が四十年間も、毎日カリスマ社長兼、健康インフルエンサーとして働き続けなければならないということだ。ギロチンは回避できても、ストレスと過労死の可能性が浮上してくる。
「ナポレオン君の言う通りだね……」
ルイが、手元の図面にインクを落としながら深いため息をついた。
「僕の作った品々は、確かにヨーロッパ中の貴族に飛ぶように売れている。だが、彼らも一度買えば数年は買い替えない。いずれ市場は飽和する。『一過性の通信販売』だけでは、どうしても限界が来るんだ」
(……その通りだわ。どんな大ヒット商品も、いつかはライフサイクルを終える。常に新しい需要を喚起し、さらに『単価の桁が違う巨大なビジネス』を仕掛けなければ、二十億リーブルの壁は壊せない……!)
私は、前世の記憶――現代日本のビジネスや歴史の授業で習った知識を、脳内で猛烈な勢いで検索し始めた。
国境を越えて莫大な外貨と人を集め、自国の圧倒的な技術力とブランド力を世界に誇示し、巨大な企業間取引《BtoB》の契約を一挙に獲得する、歴史的なメガイベント。
「……あるわ」
「え?」
ルイとナポレオンが同時に顔を上げた。
私はガタッと椅子から立ち上がり、二人の顔を交互に見据えた。
「『博覧会』よ。それも、ただの美術品や宝飾品を並べるだけの退屈な展示会じゃない。世界中の王族、貴族、そして大資本家たちをパリに呼び寄せる、人類史上最大規模の祭典……『パリ万国博覧会』を開催するのよ!!」
史実において、世界初の国際的な万国博覧会が開催されたのは1851年のロンドンだ。フランスがそれに続くのはさらに後。それを、この1780年代のパリで、半世紀以上も前倒ししてブチ上げるのである。
「万国博覧会……。世界中の国をパリに集める、と?」
ナポレオンが眉をひそめ、懐中時計の鎖を指で弄った。
「そうよ! イギリスもプロイセンもロシアも、みんな招待するの。そして、最新の蒸気機関、規格化された工場設備、さらには私が提唱する『極上の健康ライフスタイル』を、巨大なパビリオンで大々的にプレゼンするのよ!」
私は机の上に置かれていた白紙の羊皮紙に、羽根ペンで書き込みを始めた。
「彼らに『これからの時代は武力ではなく、健康と技術の時代だ』と啓蒙するの。そして、ただ見せるだけじゃない。そこで各国の代表と、工場設備やインフラ技術の『超大型輸出契約』を直接結ぶのよ! ベビーカー一台の利益とは桁が違う、国家予算規模の外貨を獲得する、特大のイベントよ!」
私の熱弁に、ナポレオンの目がスッと細められた。
天才的軍略家であり経営者である彼の脳内で、費用対効果の計算が行われているのがわかる。
「……なるほど。各国のトップを直接パリに集めれば、外交的優位性を見せつけると同時に、我々の技術が『世界の標準規格』になる。さらに、会期中の宿泊費、飲食費、入場料でパリの経済は爆発的に潤う……。マリー、あなたはたまに、私以上に恐ろしい野心を見せますね」
ナポレオンが、フッと悪魔的な笑みを浮かべた。どうやら、彼の経営者魂にも火がついたようだ。
だが、そこでルイが不安そうに手を挙げた。
「アントワネット、構想は素晴らしいが、問題がある。それだけの規模の人間を収容し、巨大な蒸気機関や工場設備を展示する『建物』がパリにはない。石造りの宮殿では光が足りず、機械の魅力を伝えきれないよ」
「なら、作ればいいじゃない!」
私はルイの肩をガシッと掴んだ。
「石やレンガで作る必要はないわ。ルイ、あなたの技術ならできるはずよ。……『鉄の骨組み』と『巨大なガラス張り』の、太陽の光が降り注ぐ、水晶の宮殿のようなパビリオンを!」
「て、鉄とガラスの宮殿……!?」
当時の建築常識では、鉄はあくまで補強材だ。建物の主構造に使うなどあり得ない。さらに、巨大な板ガラスを生産する技術もまだ発展途上だった。
「あなたにしかできないわ、ルイ。規格化された鉄のパーツを工場で大量生産し、現場でプラモデルのように組み立てるのよ。そうすれば、工期も圧倒的に短縮できるはず!」
ルイは羽根ペンを握り、自分の設計図の余白に、ガリガリと猛烈な勢いで数式と構造図を書き殴り始めた。
「……できるかもしれない。H型の鉄骨を一定のモジュールで組み上げ、そこに規格化されたガラスをはめ込んでいけば……。重い石の壁が不要になる! 太陽の光で満たされた、全く新しい建築空間……っ! ああ、血が騒ぐ! 今すぐ製鉄所の炉を拡張しなくては!!」
「建築オタク」のスイッチが入ったルイは、そのまま図面を引き始めた。
「よし、会場の建築は陛下に任せましょう」
ナポレオンが、手帳を開いてテキパキと指示を出し始める。
「会場は、パリ郊外の広大な『シャン・ド・マルス練兵場』が最適です。マリー、私はすぐにあそこを接収し、資材を運ぶための特別輸送ルートを構築します。……それから、世界中の富裕層を呼び込むための『招待状』ですが、ただ送っても彼らは鼻で笑うでしょう。極上の撒き餌が必要です」
その時、執務室の奥から「それなら、私の出番ですね」と、流暢なフランス語が響いた。
元英国スパイの、アーサーである。
「イギリスをはじめとする他国の貴族たちが、今最も飢えているもの。それは『未知の体験』と『圧倒的な食の快楽』です。……招待状にはこう書き添えるべきです。『本博覧会にご来場のVIP限定。地下キノコ農場で育った究極のトリュフ・ポタージュと、王立超絶デトックス・サウナの貸切特別セッションにご招待する』と」
アーサーは、自信満々に胸を張った。
「私がかつてのルートを使い、イギリス貴族の社交界に『パリに行かなければ、世界の最先端の健康と快楽から取り残される』という猛烈なインパクトを植え付けてみせましょう。彼らは這ってでもパリへやって来ますよ」
「……完璧ね、アーサー! あなた、スパイよりマーケティング職の方が絶対に向いているわ!」
ルイの圧倒的なテクノロジー。
ナポレオンの冷徹なロジスティクス。
アーサーの狡猾なマーケティング。
そして、私の健康至上主義のプロデュース。
「決まりね! 第一回『パリ万国・健康と技術の博覧会』、開催は半年後! 今日からチュイルリー宮殿は、万博実行委員会の本部よ!!」
私の高らかな宣言とともに、世界史の歯車が、爆音を立てて未来へと加速し始めた。




