第74話 産業革命の足音
ナポレオンを『特別顧問』に迎えてから数日後。
チュイルリー宮殿の、ルイが私室を改造して作った『国王の個人工房』は、かつてないほどのパニックに陥っていた。
「アントワネット! イギリスから追加でベビーカー50台の注文だ! スペインからもスニーカーが……あああ、手が、手が足りない!!」
油まみれのルイが、山のような注文書を前に頭を抱えて悲鳴を上げている。
無理もない。これまでルイは、自分の趣味として、あるいは私とジョゼフのためだけに「一品モノ」のオーバースペックな発明品を作ってきた。
しかし、カタログ通販がバズった今、求められているのは「同じ品質のものを大量に作る」ことだ。
「陛下、落ち着いて! 街の職人たちを雇って手伝わせているじゃない!」
「ダメなんだ! 僕の引いた図面が複雑すぎて、普通の鍛冶屋や木工職人じゃ、寸法の誤差が出てしまう! ベビーカーのサスペンションのバネなんて、僕が一つ一つ手作業で焼き入れをして微調整しないと、完璧な反発力が出ないんだよ!!」
カンッ、カンッ! と、ルイは泣きそうな顔でハンマーを振るい続けている。
彼の足元には、彼自身が納得いかずに「ボツ」にした部品の山が築かれていた。
その光景を、工房の入り口で腕を組んでじっと見つめている小さな影があった。
我らが特別顧問、10歳の神童――ナポレオン・ボナパルトである。
彼はルイの作業を数分間観察し、手元の懐中時計で時間を測ると、氷のように冷たい声で言い放った。
「……破綻していますね。完全に」
「な、ナポレオン君!?」
ナポレオンは木箱を引き寄せてその上に乗り、ルイと目線を合わせると、容赦のないダメ出しを始めた。
「陛下。あなたが今、そのバネ一つを仕上げるのにかかった時間は45分です。ベビーカー1台につきバネは4つ。つまり、バネだけで三時間。木材の切り出し、革の縫製、組み立てを含めれば、1台完成するのに丸三日はかかる計算です」
「そ、そうだけど……それがどうしたんだい? 妥協した製品を売るわけにはいかないだろう?」
「現在抱えているバックオーダーは300台超。あなたのその『芸術的な手作業』でこなせば、全て納品するのに数年かかります。その間に顧客は怒り狂い、キャンセルが相次ぎ、王室の信用は地に堕ちる。……これはビジネスではなく、ただの趣味の延長です」
ズバァァァン!
正論という名の物理攻撃が、ルイの職人としてのプライドを粉々に打ち砕いた。
「趣味の延長……!」
「ええ。あなたが天才的な発明家であることは認めます。ですが、あなたがやっているのは『量産』ではなく『一品物の芸術品の複製』だ。……部品ごとに職人の勘に頼っていては、いつまで経っても借金など返せません」
10歳の少年に完膚なきまでに論破され、ルイが涙目で私を見てくる。
私は慌てて二人の間に割って入った。
(ナポレオンの言う通りだわ。でも、ルイの職人魂をここでへし折ったら、開発のモチベーションが死んでしまう! ここは、先日ナポレオンと話した『標準化』の概念を、ルイに上手く翻訳して伝えなきゃ!)
「ナポレオン、言い過ぎよ! ルイのこだわりがあるからこそ、ヨーロッパ中の貴族が欲しがるほどの高品質な製品になったのよ。……でも、ルイ。彼の指摘も的を射ているわ」
「アントワネット……僕に、粗悪品を作れと言うのかい?」
「違うわ、ルイ! 視点を変えるのよ」
私は、ルイが手作業で削っていた真鍮の部品を手に取った。
「あなたの目標は『最高の部品を一つ作ること』じゃない。……あなたのその超絶技巧を、誰でも再現できるように『型』にすることよ!」
「型……?」
「そう! 例えば、金属を削る時に、職人の勘に頼るんじゃなくて、『ここに鉄の棒を当てて削れば、絶対に同じサイズになる』という『固定器具』をあなたが設計するの。あなたが作るべきは、製品そのものじゃなくて、『完璧な製品を生み出し続けるためのシステム』よ!」
私の言葉に、ルイの目がカッと見開かれた。
ナポレオンも、我が意を得たりとばかりに頷く。
「先日マリーとも話し合いましたが、我々が目指すべきは『部品の互換性』です。すべての部品の規格を完全に統一し、A職人が作った車輪と、B職人が作った車軸が、無調整でピタリと噛み合う状態。……それさえできれば、作業を単純化し、素人の平民を集めて『分業』させることが可能になる」
「規格の統一……。誰が作っても同じものが……」
ルイはブツブツと呟きながら、自分の手を見た。
そして、ガバッと顔を上げた。その目には、先ほどまでの絶望は消え、新たな「オタク的探求心」が猛烈な勢いで燃え上がっていた。
「……できる! 曖昧な単位じゃダメだ。フランス全土で共通する、極めて厳密な『新しい長さの基準』を僕が定義する! そして、金属を削るためのガイドレールを備えた『手回し式旋盤』を再設計すれば……!」
ルイが猛烈な勢いで新しい図面を引き始めた。
「よし、方針は決まりましたね」
ナポレオンが、パンッと小さく手を叩いた。
「では、第一段階です。この狭く乱雑な『個人の工房』を解体します。チュイルリー宮殿の西翼にある長年使われていない大広間を開放し、工程ごとに人員を配置した『生産ライン』を構築します」
「大広間を工場にするのかい!? それはすごい!」
「ええ。ただし、現在のように手回しや足踏みで旋盤を回していては、労働者の疲労が生産性に直結してしまう。先日も申し上げた通り、より強力で疲れない『新動力』……すなわち『蒸気機関』の導入が不可欠です」
ナポレオンの言葉に、ルイは図面から顔を上げ、アゴに手を当てた。
「蒸気機関……。イギリスの炭鉱で水を汲み上げるために使われている、あのワットの機械のことだね。だが、パリには石炭も少ないし、どうやってあんな巨大なものを……」
ルイの視線が、ふと、チュイルリーの地下スパへと続く『温水パイプ』へと向けられた。
地下のキノコ農場の発酵熱を利用した、あのスパのシステム。
「……待てよ。お湯を沸かす時に出る、あの蒸気の膨張力。地下の発酵熱とボイラーを組み合わせ、蒸気の力を回転運動に変えることができれば……!」
(……キタ!! 産業革命の心臓、蒸気機関の概念を、自分なりに最適化しようとしてる!!)
「素晴らしい発想です、陛下。では、あなたには『治具の設計』と『新動力の開発』の最高責任者となっていただきます」
10歳の鬼コンサルタントは、容赦なくタスクを割り振っていく。
「マリー。あなたは引き続き、この生産ラインを稼働させるための『資金』と『労働力』を集めてください。パリの失業者をかき集め、彼らを『労働者』として訓練する必要があります」
「わ、分かったわ。パリの平民たちを雇い入れれば彼らの生活も潤うし、まさに一石二鳥ね!」
「ええ。……さあ、忙しくなりますよ。二十億リーブルの借金という魔物を打ち倒すための、我々の『工場』を建てるのです」
ナポレオンが、幼いながらも覇王の風格を漂わせて微笑んだ。
マリー・アントワネット、23歳。
個人の手作業の限界を悟った彼女とオタク王は、未来の皇帝の苛烈なコンサルティングのもと、いよいよ本格的な『大量生産体制の構築』という、熱い戦いへの第一歩を踏み出したのである。




