第73話 最凶の協力者
フランス北部、とある兵学校。
凍てつく冬の風が吹き抜ける寄宿舎の片隅で、一人の少年がボロボロの椅子に深く腰掛け、食い入るように一冊の冊子を見つめていた。
その少年。齢10歳。
周囲からは「貧乏貴族」と蔑まれ、フランス語の訛りを馬鹿にされている彼は、学内では伝説的な神童として恐れられていた。
なぜなら、彼の内側には軍事戦術と、効率的な組織運営の知識が眠っていたからだ。
(……既存の歩兵戦術は、あまりに『個』の筋力と精神論に頼りすぎている。補給の最適化、情報の迅速な伝達、そして何より――『標準化』の概念が必要だ)
彼は小さな手で眉間を揉んだ。
この停滞した18世紀を合理性という名の力で再構築する未来を、彼は虎視眈々と狙っていた。
そんな彼の前に、最近、一通のカタログが届いた。
王室がヨーロッパ全土にばら撒いた『ベルサイユ・ライフスタイル・コレクション』
「……なんだ、この『キャンバス・スニーカー』という代物は」
少年の目が、鋭く光った。
周囲の学生たちが「王妃様の贅沢な遊び道具だ」と笑う中、彼だけはその機能美の裏にある狂気的な合理性を見抜いていた。
(……おかしい。既存の革靴に比べ、重量は4割減。底材に弾力性を持たせることで足首への負担を軽減し、疲労を分散させている。これを全軍に配備すれば、歩兵の行軍速度は理論上3割は向上する。行軍速度の向上は、戦術における『時間』を支配することと同義だ)
彼はページをめくる手が止まらなくなった。
ベビーカーの衝撃吸収技術を大砲の台座に転用すれば、悪路での機動性が変わる。高タンパクの代替肉は、保存性に長けた完璧な野戦食になり得る。
「……ありえない。あの『マリー・アントワネット』が、これほどまでに『機能とコストの最適化』を徹底できるはずがない」
彼の中に、一つの確信が芽生えた。
このフランスの頂点に、「未来の論理を知る者」がいる。
「……会いに行かねばならない。もし彼女が、このまま無自覚に歴史の均衡を壊す者ならば、御さねばならん。だが、もし『志を同じくする者』であれば――」
1779年の冬、パリ・チュイルリー宮殿。
「ふぅ、今日も注文がどっさりね。ルイ、手形の集計お願いね!」
私が執務室で、ヨーロッパ中から届いた注文書の束を前にホクホク顔でそろばんを弾いていると、近衛兵が困惑した顔で入ってきた。
「王妃様。あの……ブリエンヌ兵学校から、どうしても王妃様に直接お目にかかってお話ししたいという、10歳の士官候補生が参りまして……。紹介状には『百年に一人の神童』とありますが、いかがいたしましょう?」
「10歳の男の子? まあ、熱心なファンかしら。通してあげて」
私は気楽に許可を出した。
そして、扉が開いて入ってきたその少年の姿を見て、私は目をパチクリさせた。
軍学校の質素な制服を纏った、小柄な少年。
しかし、その瞳には幼子特有の無邪気さは欠片もなく、まるで百戦錬磨の将軍のように深く、鋭い眼光で私を射抜いていた。
「……お初にお目にかかります、王妃殿下。ブリエンヌ兵学校から参りました、ナポレオン・ボナパルトと申します」
少年の声は、ひどく落ち着いていた。
「ナポレオン、くん……ね。よろしく……」
――ピタッ。
私の思考回路が、完全にフリーズした。
(……えっ?)
「ナポレオン?ボナパルト?」
(……えええええええええええええっ!?!?)
私の脳内で、歴史の教科書が猛スピードでパラパラと音を立てて開かれた。
(ナポレオンって、あの!? 『吾輩の辞書に不可能という文字はない』のおじさん!? フランス革命の後に登場して、ヨーロッパ中を大戦争でボコボコにして皇帝になる、あの超絶歴史的スーパーチート英雄!? いや今はまだ少年だけど!! なんでここに!?)
私は椅子からガタッ! と立ち上がり、指をさしてワナワナと震えた。
「な、ななな……ナポレオン!? 本物!? 」
「……本物……? 私はただコルシカ島から海を渡って来た、ただの学生ですが……」
怪訝な顔をする少年ナポレオンを前に、私は内心でパニック状態に陥った。
(どうしよう! まさかの超超超大物……未来の皇帝がダイレクトアタックしてきた! まさか、私が目立ちすぎたせいで、歴史の強制力が彼を『王室を倒す刺客』として早期投入してきたの!?)
私が滝のような冷や汗を流していると、ナポレオンは懐から、手垢でボロボロになった『ベルサイユ・ライフスタイル・コレクション』のカタログを取り出し、ドンッと机の上に置いた。
「……王妃殿下。私は、あなたの恐るべき『軍事戦略』の真意を問いただすために参りました」
「……え?……ぐ、ぐんじせんりゃく?」
「とぼけないでいただきたい! この『スニーカー』による歩兵の機動力の底上げ! 『ベビーカーのサスペンション』に隠された、大砲輸送の高機動化技術! そして『代替肉』による完璧な野戦兵站の構築! ……これらすべて、欧州全土を最短で武力制圧するための布石ですね!?」
ナポレオンが、10歳とは思えない圧倒的な覇気で机を叩き、私に詰め寄ってきた。
「……えっと」
私は、ポカンと口を開けた。
隣で機械の図面を描いていたルイも、「大砲? ベビーカーが大砲に?」とキョトンとしている。
「ち、違うわよ! 何言ってるの!?」
私は全力で両手を横に振った。
「スニーカーは、私が靴擦れで足の指が痛かったから走るために作ったの! ベビーカーのサスペンションは、赤ちゃんの頭がガタガタ揺れるのが可哀想だったからルイに作ってもらっただけ! 代替肉は、小麦の買い占めに対抗して苦し紛れにキノコ出汁で煮込んだら美味しかっただけよ!!」
「…………は?」
今度は、ナポレオンが完全に固まった。
彼の鋭い眼光が、みるみるうちに「信じられない」という戸惑いの色に変わっていく。
「足の指が、痛かったから……? 戦術的優位性のためではなく、ただの『履き心地』のために、ゴム底の靴を国家事業で量産したと?」
「そうよ! 私の辞書に『不可能』の文字はないのよ!」
私がドヤ顔で言い放つと、ナポレオンは額に手を当てて、天を仰いだ。
「……なんということだ。私は、この『カタログ』の裏に、アレクサンドロス大王をも凌ぐ冷酷な軍略家がいると信じていたのに。……実態は、ただの『自分の生活を快適にしたいだけの健康オタク』だと……?」
彼は深く、絶望的なため息をついた。
だが彼は食い下がらない。小さな指が、カタログの図面をなぞる。
「……しかし、これらすべての製品に通底しているのは、装飾を排除した『機能の極大化』です。……王妃殿下、お答えください。18世紀の女性が、なぜ『産業の標準化』という概念に辿り着けたのですか?」
私は、手に持っていたペンを床に落とした。
背中を冷たい汗が伝う。
この少年の言っていることは、近代の工場経営や軍事理論そのものだ。ナポレオンとはいえ、1779年の少年が口にしていい言葉ではない。
「……あなたは、その『答え』を知っているから、ここへ来たんじゃないの?」
私は、ルイと護衛に部屋から退出するようお願いした。
「ルイ、ごめんなさい。この子と少しだけ、二人きりで話したいの。少しだけ外してくれる?」
「え? ああ、わかった。難しそうな話みたいだし、そうさせてもらうよ」
ルイと護衛が部屋を出て、重い扉がパタンと閉まる。
少年ナポレオンと私。二人だけの静寂。
「……王妃殿下。……いや、『マリー』。あなたは、この時代の人間ではないですね?」
私は、震える唇を開いた。
「……だとしたら、あなたはどうなの? 10歳で戦術論を語り、産業の標準化を理解している、コルシカの神童君」
少年は、ふっと自嘲気味に笑った。その笑みは、10歳の少年とは思えない、深く枯れたものだった。
「……私は、ある時代の果てで、海に囲まれた島で孤独に死んだ。……はずだった。だが、気づけばまた、この呪われたコルシカの地で赤ん坊として泣いていた。……絶望しましたよ。また一から、この泥臭い、非効率な時代をやり直さなければならないのかと」
彼は私の瞳をじっと見つめ返した。
「……だが、退屈な兵学校に届いたこの一冊のカタログが、私の考えを変えた。……ジャガイモで民を救い、スニーカーで歩かせ、サウナで汗を流す。……なんて非軍事的な、それでいて圧倒的に『合理的』な生き残り方だ。……驚きましたよ、マリー。まさか、あなたが『私以上の未来』を知る者だったとは」
「……『私以上の未来』?」
「私のいた時代の『マリー・アントワネット』は、無知と浪費の末に断頭台で首を落とされる、哀れな象徴に過ぎなかった。……だが、目の前にいるあなたは違う。あなたの知識は、私が死んだ19世紀より、さらにその先にある。あなたは、人類が到達する『最終的な繁栄の形』を知っている」
二人の間に、目に見えない火花が散った。
彼は、かつてフランス皇帝として欧州を支配したナポレオン・ボナパルトの記憶を持ち、私は21世紀の日本人女子大生の記憶を持っている。
軍事の天才と、生活の知恵の天才。
全く異なる二つの未来が、今、1779年のフランスで融合しようとしていた。
「……ナポレオン。あなたは、また『皇帝』になりたいの?」
私が問うと、少年は静かに首を振った。
「……いいえ。独裁は、あまりに効率が悪い。一度失敗して学びましたよ。……マリー、私が欲しいのは、世界を統べることではない。……今にも崩壊しようとしているこの国を、一気に『百年先』へスキップさせるための、強力なエンジンです」
彼は、机の上に広げられていた帳簿を指差した。
「……真に借金を完済し、国を黒字化するには、『産業革命』をこのフランスで、今すぐ、人為的に引き起こす必要があります。……あなたの『未来の知識』と、陛下の『工作技術』。そして私の『組織論』があれば、それは可能です」
「……まずは、規格の統一と、動力源の改善です。ワットの蒸気機関を改良し、工場という概念をこのパリに構築します。……マリー、あなたは引き続き表舞台で『ブランド』を維持してください。私はその裏側で、あなたの注文を確実に、そして安価に捌くための『完璧な生産と補給の網』を構築します」
少年ナポレオンの瞳に、かつて全欧を震え上がらせた覇気が宿った。
だが、今の彼が向けているのは、銃口ではなく「経済と効率」という名の剣だ。
「……いいわ。ナポレオン、あなたを私の『特別顧問』に任命するわ。10歳だろうが何だろうが関係ない。……私たちで、借金を粉砕して、この国を世界一の健康的な超大国にしてやりましょう!」
私は少年の小さな手を、力強く握りしめた。
マリー・アントワネット、23歳。
最凶の相棒ナポレオンを得て、彼女の生存戦略は、単なる「首を繋ぐための抵抗」から、フランスを未曾有の発展へと導く「世界史そのものの再編」へと、次元を超えて進化し始めたのである。
第三章 ベルサイユの変革編 完
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