表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

75/97

第68話 黄金浴場と複利の地獄 後編

 チュイルリー宮殿の地下に誕生した『王立温浴リゾート・地下テルマエ』


 その存在は、パリに出入りする各国の特命大使たちや豪商たちの情報網を通じて、またたく間にヨーロッパ中の富裕層へと伝達された。


「フランス王室が極秘裏に作り上げた、不老不死の泉があるらしい」


「ラキ火山の冷害で凍える冬を忘れさせる、南国のような熱気と、若返る魔法の泥があるそうだぞ」


 意図的に流されたその噂は、寒さと娯楽のなさに震えていたイギリスやプロイセンの特権階級たちの耳に響いた。


 彼らは国境をくぐり抜け、身分を隠して、あるいは大金を積んで密航し、次々とお忍びでパリへと押し寄せてきたのである。


「……フン。不老不死の泉だと? 誇大広告も甚だしい。農業国のフランスが地下に穴を掘ったところで、たかが知れている。……が、この身を切るような寒さを凌げるというなら、試してやらんでもない」


 厚い毛皮のコートに身を包んだイギリスの侯爵が、鼻を鳴らしながらチュイルリー宮殿の門をくぐった。


 だが、地下へ続く大理石の階段を降りた瞬間、彼の傲慢な態度は一変した。


「な、なんだこの芳醇な香りと……肌を包み込むような温かな空気は!」


 侯爵を待ち受けていたのは、ローズ・ベルタンがプロデュースした極上のエントランス空間だった。無数のオイルランプが白大理石の床を黄金色に照らし出し、フレンチ・リネンを着こなした筋骨隆々で肌ツヤの良いスタッフたちが、洗練された笑顔で彼を出迎えた。


「ようこそ、侯爵様。まずは冷え切ったお体を、こちらの『ポテトスターチ・ハーブバス』で温めていただきましょう」


 案内された広大な大浴場。

 地下キノコ農場の発酵熱を熱交換器で利用したそのお湯は、完璧な適温に保たれていた。


「ほぅ……っ! ああぁぁぁ……っ!」


 侯爵が肩までお湯に浸かった瞬間、その口からだらしない感嘆の溜め息が漏れた。


「ただのお湯ではない! トロトロとしている……。肌にまとわりつくこの滑らかさは何だ!? 凍傷寸前だった手足の先まで、ジンジンと血が巡っていくのがわかるぞ!」


 お湯に溶かし込まれたジャガイモのデンプン質が、極上の保湿ベールとなって彼の肌を包み込む。長旅の疲労が、文字通り湯に溶け出していくようだった。


「侯爵様。お体が温まりましたら、メインディッシュの『王立サウナ』へどうぞ」


 促されて入ったサウナ室。

 そこは、北欧産の白樺の木材がふんだんに使われた、ほの暗く神聖な空間だった。


「……む? 熱い、が……息苦しくないぞ?」


 侯爵が不思議そうに周囲を見回す。

 当時のヨーロッパにも蒸し風呂の概念はあったが、換気が悪く、ただ息苦しいだけのものが多かった。


 しかし、ルイがオタクの執念で設計したこのサウナは違った。


 床下に張り巡らされた温水パイプからの輻射熱ふくしゃねつが足元を温め、壁に仕込まれた吸排気システムが常に新鮮な酸素を循環させている。


 そして、部屋の中央に鎮座する巨大なサウナストーンの山。


「さあ、極上の熱波ロウリュをお楽しみください」


 スタッフが、アロマ水をストーンにたっぷりと掛けた。


 ジュワァァァァァァッ!!!


 爆音とともに立ち上った蒸気は、天井に設置された放射面型の反射板に当たり、計算し尽くされた完璧な軌道で、部屋全体に均等な熱の雨となって降り注いだ。


「ひっ!? あ、熱い!! 熱いが……痛くない! むしろ、毛穴という毛穴から、これまで生きてきた中で溜め込んだ邪念と毒素が、汗と一緒にドバーッと吹き出していく!!」


 侯爵は、滝のような汗を流しながら、恍惚こうこつの表情で熱波を受け止めた。


 十分後。

 サウナ室からフラフラと出てきた侯爵を待っていたのは、地下水脈から直接引き込んだ、一桁台の温度の水風呂だった。


「水風呂!? 馬鹿な、心臓が止まってしまう!」


「お任せを。……息を吐きながら、一気に入るのです」


 スタッフに促され、侯爵は意を決して冷水に肩まで沈んだ。


「ヒィィッ……!? ……あ、あれ? 冷たいのは最初の一瞬だけだ。体の表面に、見えない『温かい膜』ができている……。血管が、ポンプのように全身の血を激しく循環させているのがわかるぞ……!」


 そして、水気を拭き取り、リネン生地のふかふかな椅子に横たわった瞬間。


「……あ、あぁ……」


 ドクン、ドクンと波打つ心音。

 視界がぐわんと歪み、重力が消え去ったような圧倒的な浮遊感。


 脳内には、危険な状態から一気に解放されたことによる強烈な快楽物質がドバドバと溢れ出していた。


「ととのった……。私は今、大英帝国よりも高く、宇宙の真理と一体化した……」


 イギリスの誇り高き侯爵は、完全に『サウナの虜』と化したのである。


 サウナ上がりのラウンジでは、ダメ押しとばかりに『王妃特製・極上マッシュルーム・ステーキ』と『大豆プロテイン・スムージー』が振る舞われた。


「美味い! なんだこの肉は!? 胃にもたれないのに、噛むほどにキノコの圧倒的な旨味が溢れ出してくる! 乾ききった細胞が、スポンジのように栄養を吸収していくのがわかるぞ!!」


 侯爵は、涙を流しながら代替肉ステーキを貪り食った。


「おい、この熱気室の予約を明日も頼む! いや、明後日もだ! チップはいくらでも弾む! 私の別荘を売ってでも、この天国に通い続けてやる!!」


 侯爵は、持参した金貨の袋をテーブルに叩きつけた。


 入館料は、金貨十枚。

 サウナ後のフルコースと、ベルタン特製の『ポテト・クレイパック・フェイシャルエステ』を追加すれば、金貨三十枚。


 現代の貨幣価値にして数十万円から数百万円という超絶ボッタクリ価格である。


 だが、健康と快楽という名の「最強の麻薬」を知ってしまった各国の王族や大資本家たちにとって、もはや金貨の枚数などどうでもよかった。


 彼らはお忍びでパリへと押し寄せ、狂ったように財布の紐を緩め、フランスの地下へ莫大な外貨を雪崩れ込ませていった。


「すごいわ、ルイ! たった一ヶ月で、こんなに現金が!!」


 チュイルリー宮殿の地下金庫。

 私は、うず高く積み上げられた外国の金貨――イギリスのポンド、プロイセンのターラー、スペインのダブロン金貨の山を前に、歓喜の悲鳴を上げた。


 キラキラと輝く黄金の山。

 これぞ、私のプロデュース能力と、ルイの超絶技術力が生み出した、究極の「インバウンド需要」の結晶である。


「やったわ! これで国は救われる。来月スイスの銀行家たちが借金の取り立てに来ても、この金貨の山を叩きつけてやれば、革命のトリガーである『国家破産デフォルト』を完全に回避できるわ!!」


 私は興奮のあまり、両手で金貨をすくい上げて宙に舞わせた。チャリン、チャリンと、黄金の雨が心地よい音を立てて床に降り注ぐ。


 これで、もう断頭台の影に怯えることはない。

 私たちは、個人のアイデアと労働者の汗で、国家の危機を乗り越えたのだ。


 そう、本気で思っていた。


「……ダメだ、アントワネット」


 背後から聞こえた、ひどくかすれた声に、私はハッと振り返った。


 ルイが、金貨の山と、手元の分厚い総勘定元帳を交互に見比べ、絶望的な顔で首を振っていた。

 彼の目は虚ろに淀み、手の中の羽根ペンがカタカタと震えている。


「え……? ルイ、どうしたの? こんなにたくさんのお金が、毎日毎日運び込まれてきているじゃない!」


「これだけ……世界中から莫大な外貨を稼いで、パリの地下が黄金で埋め尽くされても……」


 ルイは、帳簿の最後の一行を、力なく指差した。


「ネッケルがスイス銀行と結んだ借金の『利子』すら、半分も返せていないんだ」


「……え?」


 私は、自分の耳を疑った。


「元本じゃない。二十億リーブルにかかる、年利十パーセント……毎年『二億リーブル』の利子だ。僕たちが昼夜問わず地下スパを営業し、平民たちが汗水流して働き、外国の貴族からこれほど巨額の金貨を巻き上げても……」


 ルイの震える声が、静かな地下金庫に虚しく響いた。


「複利で雪だるま式に膨らみ続ける、この『悪魔の数字』には、商売の利益だけではまったく追いつかないんだよ」


 ――ガランッ。


 私の手からこぼれ落ちた一枚の金貨が、石の床を転がっていく音が、やけに大きく聞こえた。


 積み上がった金貨の山が、突然、ただの無意味な砂粒の山に見えた。


 私たちが個人の知恵と努力、そして汗水流して生み出せる実体経済の利益など。国家規模の金融――『複利』という人類最大の発明にして最悪の怪物――の前では、底の空いたバケツで海水を汲み出すようなものだったのだ。


「……そんな。じゃあ、私たちは、どうすれば……」


 足元が、音を立てて崩れ落ちるような感覚。

 サウナの心地よい熱気とは違う、嫌な、冷たい脂汗が背中を伝う。


「このままでは、冬を越える前に国庫の自転車操業は完全に停止する」


 ルイが顔を覆ったまま、絞り出すように言った。


「軍隊や役人に給与が払えなくなり、国家の治安機能が崩壊するだろう。スイスの銀行家たちは、借金のカタとしてフランスの領土や港の利権を合法的に差し押さえに来るはずだ。……国が、合法的に乗っ取られる」


 ルイは、自ら発明した複雑な歯車の模型を、力なく机の上に置いた。


「……根本的な制度を変えるしかない。貴族たちから強制的に莫大な税を徴収するか。それとも……平民への税を、命が削れるまで引き上げるか。どちらを選んでも、待っているのは内乱か革命だ」


 換気口の外から、ヒュオォォと冷たい冬の風が吹き込んでくる音がした。


 パリの平民たちは、空腹を満たし、王室への信頼を取り戻しつつある。私たちが生み出した地下スパで、確かな雇用も生まれている。


 だが、フランスという国という「器」そのものが、今まさに、金融という見えない重圧によって、内側からメキメキと音を立てて砕け散ろうとしていた。


 マリー・アントワネット、23歳。


 政敵を退け、地下スパという大成功を収めたビジネスの果てに彼女が見たものは、個人の努力やアイデアではどうにもならない『二十億リーブルの借金』という、マクロ経済の残酷すぎる巨大な絶望の壁であった。


「……まだよ」


 私は、震える膝に力を込め、強く、強く拳を握りしめた。


「まだ、終わってないわ。強制的に税を取るのがダメなら……彼らが『喜んで全財産を差し出したくなる』ような、悪魔のシステムを作ればいいだけよ」


 絶望の淵で、現代日本の女子大生の記憶と、フランス王妃の生存本能が、かつてないほど危険な『次の一手』を弾き出そうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ