第67話 黄金浴場と複利の地獄 前編
チュイルリー宮殿の執務室。
分厚いカーテンの向こう側では、ラキ火山がもたらした季節外れの冷たい風が吹き荒れ、灰色に霞むパリの街を容赦なく凍えさせていた。
市民たちの飢餓を『代替肉ステーキ』で救い、オルレアン公の卑劣な買い占め計画を物理的かつ経済的に粉砕した達成感は、私の心の中でまだ熱を帯びていた。
だが、机の上に置かれた一枚の羊皮紙が、その熱を氷点下まで一気に冷やしていく。
「……毎年、二億リーブルの利子」
私は、震える指でスイス銀行団からの請求書をなぞり、うわ言のように呟いた。
前財務長官ネッケルが残した、二十億リーブルという天文学的な元本。それに課せられた年利十パーセントという悪魔の契約。
いくら私たちがキノコを育て、肉もどきを焼いて当面の食糧危機を乗り切ったところで、スイスの銀行家たちはキノコでは納得してくれない。彼らが求めているのは、圧倒的で冷酷な『現金』なのだ。
「アントワネット。国内の税金をこれ以上絞り上げることは、物理的にも政治的にも不可能だ」
目の下に濃い隈を作ったルイが、力なく首を振った。
「貴族から強制的に税を取ろうとすれば、彼らは高等法院を盾に反乱を起こすだろう。かといって、やっと笑顔を取り戻した平民たちから搾り取れば、今度こそ本物の革命の火の手が上がる。……八方塞がりだ。来月、利子の支払いが滞れば、スイスの銀行家たちは国家破産を宣言し、フランスという国を丸ごと差し押さえる準備を進めているはずだ」
絶望的な沈黙が、重く部屋にのしかかる。
国内の富を右から左へ動かしても、新しい富は生まれない。
(……外貨よ)
私は、ギュッと拳を握りしめた。
(国内のお金が回せないなら、外国の金持ちから、現金を直接巻き上げるしかないわ!)
だが、今のフランスに輸出できるような特産品はない。高級な絹織物も、贅を尽くした工芸品も、不景気と材料不足で生産がストップしている。イギリスのような強力な工業力も、まだ立ち上がっていない。
何もない。何もないけれど……私たちには、足元に眠る「最強の資源」と「武器」が一つだけ残っている。
「……ルイ。地下のキノコ農場を作る時に使った、あの大量の馬糞と藁の堆肥……あれ、発酵する時に物凄い『熱』を出していたわよね?」
私がふと顔を上げて尋ねると、ルイは怪訝そうな顔をした。
「ああ。菌が有機物を分解する時の発酵熱だね。密閉空間ならかなりの高温になるし、持続力もある。それがどうしたんだい?」
「その熱と、あなたがかつてベルサイユで設計した『地下水脈ポンプ』と『配管システム』を組み合わせるのよ」
私の脳内に、前世で通い詰めたスーパー銭湯と、冬の寒さを忘れさせる高級スパリゾートの光景が鮮やかにフラッシュバックした。
「チュイルリー宮殿の地下にある広大な採石場跡を改装して、世界最高峰の『超巨大ヘルス&サウナリゾート』を建設するわ!!」
「サ、サウナリゾート……!?」
ルイが目を丸くした。
「そうよ! イギリスやプロイセンの金持ち貴族たちは、今頃、底冷えのする冷たい城の中で、不潔な香水を振りまいてガタガタ震えているはずよ。彼らに『フランス王妃がプロデュースした、究極の若返りと健康の楽園』を提供して、莫大な外貨をパリに落とさせるの!」
私のトンデモ発言に、ルイの瞳の奥で、カチリとオタク魂のスイッチが入る音がした。
「……なるほど! 地下の発酵熱でボイラーの温水を沸かし、送風機でサウナの熱波を循環させる! ベルサイユで培ったピラティスや美肌クレイパックのノウハウをすべて注ぎ込み、巨大な浴場を構築する……!」
ルイはガタッと立ち上がり、猛烈な勢いで製図板に向かった。
「ローマ帝国のカラカラ浴場を超える、完璧な流体力学と熱力学の結晶だ! 単にお湯を溜めるだけじゃない。発酵熱を利用した『熱交換システム』を構築すれば、燃料の薪を極限まで節約しつつ、常に一定の湯温を保つことができる!」
彼のペンの動きは、もはや目にも止まらぬ速さになっていた。
「問題は、地下空間特有の『湿気』と『換気』だ。サウナの熱波と入浴の湯気で息苦しくならないよう、僕が以前設計した巨大な手回し送風機を改良し、空気の『吸気』と『排気』の完全な循環ルートを作る。さらに、湯温を自動調節する真鍮製のバルブ機構を組み込めば……! ああ、血が騒ぐ! これならいけるぞ、アントワネット!」
エンジニアとしての情熱を爆発させたルイの指揮のもと、チュイルリー宮殿の地下空間を舞台にした前代未聞の『超巨大テルマエ・プロジェクト』が幕を開けた。
翌日から、地下の採石場跡は凄まじい活気と熱気に包まれた。
「そこの配管、角度が少しずれている! 水の抵抗を最小限にするために、滑らかなカーブを描くんだ!」
作業着姿のルイが、メガホン片手に現場を飛び回る。
彼の下で働くのは、つい先日まで飢えと寒さに苦しんでいたパリの労働者たちだ。彼らは今、私が提供する「一日三食の温かい代替肉ステーキ」と「健康的な八時間労働」、そして「必ず報われる日当」によって、モチベーションを限界突破させていた。
「へへっ、任せてくだせえ国王陛下! 俺たちパリの石工と配管工の意地を見せてやりますよ!」
「おう! これが完成すりゃ、俺たちも一番風呂に入れるんだろう!? 気合い入れろ野郎ども!!」
ガツン! ガツン! と石を切り出す音。
カンカンカン! と真鍮のパイプを叩き、接合していく金属音。
暗く冷たい地下迷宮は、瞬く間に黄金色に輝く巨大なリゾート施設へと姿を変えていく。
「ルイ、内装の指示は私に任せて!」
私は、お抱えデザイナーのローズ・ベルタンを伴って、浴場のデザインに徹底的にこだわった。
「薄暗い地下のイメージを完全に払拭するのよ。床と浴槽には、王室の倉庫に眠っていた最高級の白大理石を惜しみなく敷き詰めて! そして、間接照明のガス灯を効果的に配置して、水面がキラキラと黄金色に反射するように計算するの!」
「素晴らしいですわ、王妃様! さらに、サウナルームには北欧産の極上アロマウッドを使用し、入った瞬間に森の香りが肺を満たす設計にいたします。貴婦人たちのための休憩ラウンジには、最高級の亜麻を使ったふかふかのデイベッドをご用意いたしましょう!」
ベルタンもまた、美と癒やしの空間プロデュースにノリノリである。
その中でも、ルイが最も心血を注いだのが、サウナ室の『熱波循環システム』だった。
「いいかい、アントワネット。熱したサウナストーンに水をかけるだけでは、熱波は上部に偏ってしまう。だから、天井部分に『放射面状の反射板』を設置し、蒸気を均等に部屋全体へ降らせる構造にしたんだ。さらに、足元の冷えを防ぐため、床下にも温水パイプを巡らせた『全面輻射熱仕様』だ!」
(……恐ろしいわ。18世紀に床暖房完備の、完璧な空気力学を用いたロウリュ・サウナを作っちゃうなんて。現代のサウナ愛好家が聞いたら、泣いて喜ぶオーバーテクノロジーよ!)
建設は昼夜を問わず、交代制のシフトで行われた。労働者たちは過労で倒れることもなく、むしろ美味しいまかないと、王室と肩を並べて『国家的プロジェクト』に携わっているという誇りに満ち溢れ、予想を遥かに上回るスピードで工程を進めていった。
そして、着工からわずか数週間後。
「……完成したわ。私たちの、逆転の要塞が」
私は、最終点検のために足を踏み入れた地下空間の壮大さに、思わず息を呑んだ。
どこまでも続く滑らかな白大理石の浴槽。
地下キノコ農場の発酵熱を見事に変換し、湯気を立てる豊潤なお湯。
ほのかに香るハーブと白樺の匂い。
外の凍てつく冬の景色とは完全に切り離された、まさに「不老不死の楽園」が、パリの地下に爆誕したのである。
「あとは、ターゲットとなる『獲物たち』を、この極楽へ引きずり込むだけね」
私は不敵な笑みを浮かべ、ヨーロッパ中の富裕層に向けて、特大の「招待状」を放つ準備に取り掛かった。
借金の利子、二億リーブル。
この巨大なテルマエが、外国の金持ちたちからどれほどの金貨を巻き上げ、フランスの首の皮を繋ぎ止めることになるのか。
究極のインバウンド・ビジネスが、いよいよ火蓋を切ろうとしていた。




