第55話 祝宴のシルク・ピュレ
ジョゼフは無事に生後六ヶ月、つまり「ハーフバースデー」を迎えていた。
最近の彼は、私やルイが食事をしていると、ベビーサークルの柵に掴まりながら、私たちの口の動きをじっと見つめるようになってきた。そして、「あー、んまんま」と口を動かし、防水スタイが絞れるほどのよだれを垂らしている。
(……間違いない。大人の食事への興味、そしてよだれの増加。いよいよ『ゴックン期』、離乳食スタートのサインだわ!)
私が腕をまくって立ち上がると、すかさず年配の侍女長が進み出てきた。
「王妃様、殿下もついに『大人の仲間入り』でございますね。さっそく、厨房に『極上の仔牛の肉汁』と、それにたっぷりと浸した『赤ワイン風味の硬パン』を用意させましょう!」
「ストップ!!! 全力でストップよ!!!」
私は、侍女長の言葉を食い気味に遮った。
(出たわね、18世紀のトンデモ離乳食! 消化器官が未発達な赤ん坊に、いきなり肉汁やアルコールなんて与えたら、胃腸がぶっ壊れて内臓に深刻なダメージを与えるわ!)
「侍女長、赤ん坊の胃袋はまだ生まれたての小鳥のようなものなの。いきなりそんなヘビーなものを入れたら消化不良で倒れてしまうわ!初めての食事は、アレルギーの心配が少なく、消化に良いデンプン質……そう、我がベルサイユ菜園の『ジャガイモ』に決まっているじゃない!」
私はジョゼフをルイに預け、サロペット姿で厨房へと直行した。
「料理長! 氷室の奥底で、温度を一定に保って越冬熟成させておいた、あの特別なジャガイモを出しなさい!」
そう。ジャガイモは低温で長期保存すると、自己防衛のためにデンプンを糖に分解し、果物のように甘くなるのだ。私はこの日のために、一番出来の良いジャガイモを半年間熟成させていた。
「これを、皮付きのままじっくりと低温のオーブンでローストするの。水分を逃がさず、極限まで甘みを引き出すのよ。……それからカボチャもね!」
一時間後。
焼き上がったジャガイモとカボチャを半分に割ると、中から黄金色に輝くホクホクの果肉が顔を出した。湯気とともに、栗のように濃厚で甘い香りが厨房いっぱいに広がる。
「……なんて甘美な香りだ。これだけでも十分にスイーツとして通用するぞ」
匂いにつられてやってきたルイが、ごくりと喉を鳴らした。
「ええ。でも、離乳食の初期は『ペースト状』にしなければならないわ。裏ごし器を用意して……」
「待ってくれ、アントワネット! 赤ん坊の小さな喉に、少しのダマも残してはいけない。僕の新作を使ってみてくれないか!」
ルイが背中に隠し持っていたのは、真鍮とガラスでできた美しい手回し式の機械だった。
「内部に仕込んだ幾重もの回転する刃が、どんな食材も絹のように滑らかなピュレ状にしてしまうんだ!」
(……ルイ! ついにフードミルまで発明したのね! あなたの愛のオーバーテクノロジー、最高よ!)
私は熱々のジャガイモとカボチャの果肉をスプーンですくい、ルイのフードミルに投入した。そして、ハプスブルク家伝来の乳酸菌で発酵させた「特製・無調整豆乳」を少しだけ加え、ハンドルを回す。
シャカシャカシャカッ!
滑らかな音とともに、ガラスの受け皿に落ちてきたのは……一切の粒感がない、まるで溶けた純金のような、トロトロの『黄金のシルク・ピュレ』だった。
味付けは一切なし。塩も砂糖も使わない、野菜と豆乳だけの完全無添加。
「完璧よ……。さあ、ジョゼフ。あなたの初めての『お食事』の時間よ!」
私は特製の木製スプーンに、ほんの少しだけピュレをすくい、ジョゼフの口元へ運んだ。
ジョゼフは不思議そうにスプーンを見つめ、小さなお口を「あーん」と開けた。
スプーンが唇に触れ、黄金のピュレが舌の上に乗る。
その瞬間。
ジョゼフの目が、これ以上ないほど見開かれた。
「……んまっ!? あーうー、んまんまんま!!」
彼は小さな両手でバンバンとテーブルを叩き、口の周りをピュレだらけにしながら、全身で「もっとくれ!」と歓喜の舞を踊り始めたのだ。
「美味しいのね、ジョゼフ! 無添加なのに、熟成ジャガイモとカボチャの極上の甘みが、あなたのピュアな味覚にダイレクトに突き刺さったのね!」
あっという間にジョゼフが離乳食を完食し、満ち足りた顔でルイの腕の中でうとうとし始めた頃。
「……ねえ、アントワネット。ジョゼフが美味しそうに食べるのを見ていたら、僕も猛烈にお腹が空いてしまったよ……」
ルイが、恨めしそうに空っぽの小鉢を見つめている。
周りに控えていた侍女や護衛兵たちも、先ほどからの濃厚な甘い香りに当てられ、盛大にお腹の虫を鳴らしていた。
「仕方ないわね。フードミルにはまだ、たっぷりと黄金のピュレが残っているわ。……ここからは、大人の時間よ。料理長、アレを出して!」
私は腕まくりをし、残ったピュレを火にかけた銅鍋に移した。
「離乳食は味付けゼロが基本だけど、大人の胃袋はそれじゃ満足しないわよね。……ここに、極上の『発酵焦がしバター』をたっぷりと落とすわ!」
ジュワァァァァッ!
鍋肌に触れたバターが泡立ち、ヘーゼルナッツのような暴力的なまでに香ばしい匂いが立ち上る。
「さらに、ゲランドの粗塩で味を引き締め、そこに……削りたての『熟成グリュイエールチーズ』を山のように投入するの!」
私は木べらで、鍋の中身を力強く、空気を抱き込ませるように練り上げ上げた。
熱で溶けたチーズがジャガイモのデンプンと結びつき、ピュレはまるで生き物のように「びよーーん」と天高く伸び上がり始めた。
そう、フランス中南部オーブラック地方の郷土料理、「アリゴ」の超絶進化版である!
「仕上げに、黒トリュフのオイルを数滴垂らして……完成よ! 名付けて、『ベルサイユ式・大人の極上ポテト・アリゴ〜熟成カボチャの甘みを添えて〜』!」
皿に盛りつけられたそれは、チーズの艶やかな光沢を放ち、トリュフと焦がしバターの背徳的な香りで、その場にいる全員の理性を容赦なく殴りつけた。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ! 焼きたてのバゲットにつけても最高よ!」
ルイが震える手でフォークを突き立て、びよーんと伸びるアリゴを巻き取り、口に運ぶ。
「……ッ!!!」
ルイは声にならない叫びを上げ、目頭を押さえた。
「な、なんだこの圧倒的な旨味とコクは……! 熟成ジャガイモの自然な甘さを、チーズの塩気とバターの香ばしさが完璧なバランスで引き立てている! しかも、僕のフードミルですり潰した滑らかさが、舌の上で官能的に溶けていく……!」
オタク王の食レポが止まらない。
侍女長も、一口食べた瞬間に膝から崩れ落ちた。
「ああっ……! 濃厚なのに、野菜の甘みだから全く胃にもたれません! バゲットが……バゲットが無限に消えていきますわ!」
「肉汁なんてなくても、大地の恵みと発酵の力だけで、人はここまで深い満足感を得られるのよ!」
私は、自分用に取り分けたアリゴをたっぷりと乗せたバゲットを齧りながら、至福の吐息を漏らした。
サクッとしたパンの食感に続く、もっちりと伸びる熱々のチーズとポテト。トリュフの香りが鼻腔を抜け、噛み締めるほどにカボチャの優しい甘みが顔を出す。
(……ああ、最高。やっぱり私のジャガイモは世界一だわ!)
赤ん坊のジョゼフは「素材そのままの究極の甘み」を満喫し、大人たちは「背徳的で濃厚なアレンジグルメ」に酔いしれる。
ベルサイユ宮殿は今、血生臭い権力闘争とは無縁の、老若男女すべてが幸せな満腹感で満たされる、最強の「オーガニック・レストラン」と化していた。
マリー・アントワネット、23歳。
ハーフバースデーの離乳食作りから派生した彼女の「ポテト・アリゴ」は、この後パリ中のカフェの看板メニューとなり、フランスのパンの消費量を爆発的に引き上げるという、とんでもない経済効果を生み出すことになるのだった。




