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マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第三章

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第54話 黄金のパレード

 ジョゼフが、生後五ヶ月を迎えようとしていた頃。

 例年なら初夏に向けて日差しが強くなる時期だというのに、最近はなんだかどんよりと空が霞んでいる日が多く、夕日が異様に赤黒くて不気味なのが少し気になっていた。


(……なんだか涼しすぎるわね。農作物の日照時間が少し心配だわ)


 私が窓の外の霞んだ空を眺めてぼやいていると、ベルサイユ宮殿に一つの重要な「公式行事」の予定が持ち上がった。


「王妃様。来週はいよいよ、王太子殿下をパリの民衆に初お披露目する『御親見ごしんけんの儀』でございます」


 ランバル夫人が、うやうやしく分厚い羊皮紙のスケジュール帳を開いた。


「伝統に則り、殿下には金糸で織られた重厚な産着をお召しいただき、窓を閉め切った黄金の馬車に乗せて、パリの目抜き通りを四時間かけてパレードいたします。沿道の民衆には、恩賜の金貨をばら撒く手はずとなっておりますわ」


「……は? 窓を閉め切った馬車に四時間?」


 私は、手に持っていた白湯の入ったカップをガンッとテーブルに置いた。


「冗談じゃないわ! いくら今年は涼しいとはいえ、金糸の分厚い服を着せて密室に四時間も閉じ込めたら、ジョゼフが熱中症で脱水症状を起こしちゃうじゃない! それに、馬車の激しい揺れは赤ん坊の未発達な脳に致命的なダメージを与えるのよ!」


 私の剣幕に、同席していたアデライード叔母様が扇子で口元を隠して顔をしかめる。


「しかしマリー、これはフランス王室の偉大さを民に示す重要な儀式です。王たる者、幼くとも民衆を見下ろす高い馬車から、手の届かない『神聖な権威』を見せつけねばなりませんわ」


「叔母様。金貨をばら撒いて『見下ろす』権威なんて、空腹の民衆からすればただの嫌味よ。私たちが示すべきは、遠くの神聖さじゃない。……『触れ合える健康と、圧倒的な生命力』よ!」


 私はスケジュール帳を真っ二つに破り捨てた。


「馬車はキャンセルよ! パレードは行うわ。でも、やり方は私が決める!」


 とはいえ、私にも悩みはあった。

 抱っこ紐で歩くのもアリだが、長時間となると私の腰が死ぬ。かといって、ジョゼフを安全かつ快適に「移動」させながら、民衆に顔を見せる手段など、この時代には存在しない。


(……ああ、現代の『ベビーカー』があれば! 日除けがついてて、スイスイ押せるあの魔法のカートが!)


 私が頭を抱えていたその時。

「バンッ!」と、もはやお馴染みとなった勢いで執務室の扉が開いた。


「アントワネット! 君の『押して歩ける安全な移動ベッド』という無茶な注文、僕の技術のすべてを注ぎ込んで形にしたよ!」


 油まみれのルイが、満面のドヤ顔で押し歩いてきた「それ」を見て、私は息を呑んだ。


「こ、これは……!!」


「名付けて、『超吸収サスペンション付き四輪乳母車ベビーカー』だ!」


 それは、私の前世の記憶にあるベビーカーを、18世紀の極上素材でスチームパンク風に魔改造したような、とんでもない代物だった。


「見てくれ。車輪にはスニーカーで培ったパラゴムを分厚く巻きつけ、石畳の振動を吸収する。さらに車軸と籠の間に『鋼鉄製の板バネ』を四カ所配置し、どんな悪路でもジョゼフの頭が揺れない『完全水平維持機構』を実現した!」


「すごすぎるわ、ルイ! しかもこの日除けのほろ……通気性のいいリネン素材ね!」


「ああ。虫やホコリを防ぐために、非常に目の細かいシルクの薄絹を前面のカバーにしている。大人の腰の高さに合わせてハンドルの角度も計算済みだから、長時間押しても疲れないよ!」


 国王の威信とオタクの情熱が融合した、世界最強のベビーカー。

 これならいける。私は不敵な笑みを浮かべた。


「さあ、ルイ。金貨の代わりに、民衆に配る『アレ』を準備して! パリの街に、新しい王室の姿を焼き付けるわよ!」


 そして、お披露目の日。

 パリの広場には次期国王の姿をひと目見ようと、数万人の群衆が押し寄せていた。


「おい、馬車が来るぞ! 金貨を拾う準備をしろ!」

「どうせまた、ふんぞり返った貴族のお出ましだろうよ」


 民衆が皮肉めいた視線を向ける中、パリの門を開いて現れたのは、黄金の馬車ではなかった。


「……なんだ、ありゃあ?」


 群衆がどよめいた。

 現れたのは、動きやすいサロペット風のドレスに身を包んだ私と、お揃いのジャケットを着たルイ。


 そして二人の手で大事そうに押されている、見たこともない「四輪の美しいベビーカー」だった。


「近衛兵、道を空けなさい! もっと民衆の近くへ!」


 私は護衛を下げさせ、ベビーカーを押しながら、驚いて口を開けている民衆たちのすぐ目の前まで歩み寄った。


 シルクのネット越しに、日差しを避けてご機嫌に手足をバタつかせるジョゼフの姿が見える。


「あーうー! きゃうっ!」


「見なさい、パリの市民たち! これが私たちの息子、ジョゼフよ! 金の糸で縛り付ける代わりに、太陽の光と風を感じさせて育てているわ!」


 私が薄絹のカバーを少し開けると、丸々と太り、マシュマロのように輝く肌をしたジョゼフが、民衆に向かって「ニパッ」と極上の笑顔を向けた。


「……おおっ!」

「なんて可愛らしい……。それに、あんなに血色が良くて元気な赤ん坊、見たことがない!」


 当時の貧しい民衆にとって、赤ん坊とは「小さく、弱く、すぐに命を落としてしまう」儚い存在だった。だからこそ、ジョゼフのこの上なく健康的で生命力に溢れた姿は、彼らの心に強烈な「希望」として突き刺さったのだ。


「王妃様! 殿下は、どうしてそんなに健やかにお育ちで!?」

最前列にいた、みすぼらしい服を着た母親が、思わず身を乗り出して叫んだ。


「よく聞いてくれたわ!」

私はベビーカーの横に下げていた大きなバスケットを開けた。


「金貨を撒けば一時のパンは買えるけれど、命は育たない! だから私は、あなたたちにこれを配るわ! 名付けて『ベルサイユ特製・歯固めビスコッティ』よ!」


 私が取り出したのは、大豆粉とすり潰したジャガイモをカチカチに焼き上げた、棒状の固いビスケットだった。


「これからの時期、赤ん坊は歯が生え始めてむず痒くなるわ。これをしゃぶらせなさい! 噛むことで顎が発達し、大豆のタンパク質がゆっくりと溶け出して栄養になるの!」


 私は、群衆の中にいる赤ん坊を抱いた母親たちに、次々とビスコッティと「王室流・沐浴と煮沸消毒のやり方」を書いた簡単なパンフレット(木版刷り)を手渡していった。


「王妃様……! 俺たちみたいな平民の赤ん坊の健康まで、考えてくださるなんて……!」


「なんて親しみやすいお方だ。自らの足で歩き、自らの手で乳母車を押す国王夫妻なんて、歴史上初めてだぞ!」


 群衆の間に、かつてないほどの熱狂と感動の渦が巻き起こった。


「国王陛下、万歳!」

「王妃様と、元気なジョゼフ殿下に祝福を!!」


 パリの空に、割れんばかりの歓声が響き渡る。

 私は、隣で誇らしげにベビーカーのハンドルを握るルイと顔を見合わせ、心からの笑みを交わした。


 権威で押さえつけるのではない。

 私たちは「健康」と「家族の愛」という、身分に関係なく誰もが共感できる最強の武器で、フランス民衆の心を完全に掌握したのだ。


 その光景を、沿道の建物の二階からじっと見下ろしている男たちがいた。

 若き弁護士ロベスピエールと、記者カミーユ・デムーランである。


「……見たか、カミーユ。あのサスペンションの滑らかな動き。そして、民衆の輪の中に直接入っていく王室の姿を。あれこそが、為政者と民の完璧な『社会契約』の体現だ」


「ああ。ペンで革命を起こすつもりが、あの爆走する乳母車に完全に先を越されちまったな。……だが、悪くない景色だ。それにしても、今日の空は妙に霞んでやがるな……」


 マリー・アントワネット、23歳。

 パリの街角を、世界初のハイテク・ベビーカーで爆走し、フランス全土を「健康的な親バカ」の渦に巻き込むことに成功したのである。

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