番外編⑥ 帰ってきた美青年
「王妃様……この胸の焦がれるような思い、もう隠しきれません。今度こそ、あなたを攫ってしまいたい」
かつて、ベルサイユの舞踏会で私に熱々のジャガイモグラタンを押し付けられ、ロマンチックな雰囲気を物理的なカロリーで粉砕されてスウェーデンへと一時退却した絶世の美青年、ハンス・アクセル・フォン・フェルセン。
彼が二年ぶりに、フランスへと帰還した。
二年の時を経て、大人の色気と軍人としての逞しさを増した彼は、今度こそ私を甘いロマンスの沼に引きずり込もうと並々ならぬ決意を燃やしていた。
早朝のベルサイユ宮殿。彼はお忍びで私の私室を訪れようと、朝露に濡れた庭園を歩いていた。朝霞に包まれた、ドラマチックな再会を夢見て。背後には目に見えるような薔薇を背負っていることだろう。
だが、彼の耳に飛び込んできたのは、優雅な小鳥のさえずりではなく、地響きのような野太い掛け声と、金属が激しく軋む音だった。
「フンッ! ハッ! ……よし、大殿筋からハムストリングスに完璧に効いているぞ!」
「……へ、陛下!?」
フェルセンが驚愕して足を止める。そこには、特注の「鋳鉄製・重量可変式クワ」を肩に担ぎ、凄まじい大腿四頭筋を震わせながら深々とフルスクワットをしている大男がいた。
かつての青白く猫背だった夫、ルイ十六世の姿はそこにはない。逞しい大胸筋と、丸太のような腕を持つ「筋肉の王」が、朝靄の中で神々しい汗を散らして君臨していた。
「やあ、フェルセン! 久しぶりだね。君も朝練かい? この新型クワ、重心のバランスをミリ単位で計算し直して、柄の空洞に鉛の重りを入れることで自在に負荷を変えられるんだ。実戦的な農作業の動きに直結する、最高のファンクショナル・トレーニングさ!」
爽やかな汗を流す国王の満面の笑顔と、完全に仕上がった肉体の圧に、スウェーデンの貴公子は言葉を失った。
そこに、私が木製のシェイカーをカシャカシャと軽快に振りながら合流した。
「あら、フェルセン! 久しぶりね。長旅でお疲れでしょう? はい、朝の特製おからプロテイン(豆乳割り・ハチミツ風味)。ゴールデンタイムのタンパク質を補給して!」
「お、王妃様……。あ、あなたは相変わらず、その……美し、いや、お元気そうで……」
フェルセンは戸惑いながらも、プロテインのシェイカーを受け取ることなく気を取り直し、私の前に優雅に跪いて、その手をそっと取った。
「ああ、マリー。遠く離れた北の国でも、私は片時もあなたのことを忘れたことはありませんでした。私の心は、あなたへの抑えきれない愛で燃え盛って……」
(……出たわね! 乙女ゲームのシークレットルート突入イベント! 相変わらず顔面偏差値が高すぎて直視できないわ! ……でもねフェルセン、史実であなたと不倫の噂が立ったせいで、私の『浪費家で淫乱な悪女』ってイメージが加速して、最終的にギロチンに一直線だったのよ! 恋愛フラグは、死への特急券なの!!)
「燃え盛っている? それは素晴らしいわね!」
私は彼の手を、分厚い豆ができた農婦の手でガシッと力強く握り返した。
「心だけじゃなく、基礎代謝もガンガン燃やしていきましょう! さあ、フェルセン。愛を語る前に、まずは体幹と自律神経を整えるのよ!」
「……え?」
数十分後。
歩く少女漫画ことフェルセンは、ベルサイユの地下深く、温度計が100度を指す「王立特効サウナ」の最上段に座らされていた。
隣には、筋トレを終えてすっかりパンプアップしているルイが、タオルを頭に乗せて静かに目を閉じている。
「あ、あっつ……! 王妃様、これは一体……何の拷問ですか……息が、息が……」
「拷問じゃないわ、極限のデトックスよ! さあ、あなたの故郷である北欧の血が騒ぐでしょう? ロウリュ、いくわよ!」
ジュワァァァァッ!!
私が熱したサウナストーンに白樺のアロマ水をぶっかけた瞬間、暴力的な熱波が室内を乱舞した。
(……前世で通い詰めたスーパー銭湯の熱波師の技、見せてあげるわ!!)
「ひっ!? ぐああああっ!」
「耐えるのよフェルセン! その吹き出す汗と一緒に、不毛な身分違いの恋心も、旅の疲れも、ドロドロの煩悩も、全部毛穴から出し切るの!」
私は大きなバスタオルを振り回して強烈な熱風を彼に浴びせ、さらに彼がスウェーデンから持ち込んでいた白樺の枝を束ね、容赦なく彼の背中をバシバシと叩き始めた。
「これが血行促進! これがフランス流の歓迎よ!」
「叩かないで! 痛い、熱い! ああ、私の美学が、情熱的なロマンスが文字通り溶けていく……!」
絶世の美青年のプライドと甘い恋愛感情は、100度の熱波とヴィヒタの乱打の前に、わずか10分で完全に崩壊した。
「……水風呂へ……私を、冷たい水風呂へ沈めてくれ……」
這うようにサウナ室を出たフェルセンは、ルイが地下水脈から引き込んだ、キンキンに冷えた水風呂へとダイブした。
ザバーーーン!!
「……はぁっ、あああああ……」
その後、庭園のデッキチェアに力なく横たわったフェルセンの表情からは、先ほどの甘く危険な恋のオーラや、スウェーデン貴族としてのキザな気尾は完全に消え去っていた。
代わりに彼の顔に浮かんでいたのは、すべての業を背負い、そして解き放たれた仏のような、清々しい「ととのい」の表情だった。
「……どう? フェルセン。少しは心がスッキリしたかしら?」
私が冷たいミントウォーターを差し出すと、彼はゆっくりと身を起こし、深く頭を下げた。
「……負けました、王妃様。いや、マリー様。私は、あなたという女性の『強さ』を甘く見ていた。恋の情熱やセンチメンタルな感傷など、この圧倒的な『血流の良さ』と『代謝の暴力』の前では、ただの寝言に過ぎないのですね」
彼は清々しい笑顔で、渡されたミントウォーターを一気に飲み干した。
「明日から、私も陛下の朝のスクワットに混ぜていただけますか? 私のこの細い腕では、フランスの熱波には到底太刀打ちできそうにない」
「ええ、もちろんよ! ベルサイユ・ブートキャンプはいつでも新入部員を大歓迎するわ! プロテイン、多めに作っておくわね!」
かくして、歴史上最も危険な「王妃の愛人」となるはずだった絶世のイケメンは、ただの「サウナと筋トレに目覚めた爽やかな筋肉仲間(ジム友)」へと見事にジョブチェンジを果たしたのである。
マリー・アントワネット、20歳。
恋愛フラグという名の特大の歴史の爆弾(ギロチンの引き金)を、プロテインと100度のアウフグースで跡形もなく蒸発させることに成功した。




