番外編⑤ ベルサイユ式・成人式
ベルサイユの農業改革とダイエットサバイバルが軌道に乗り始めた頃。私は自らの二十歳の誕生日を、盛大な晩餐会ではなく、ルイとの「完全なプライベート・ディナー」として執り行うことにした。
(……二十歳。前世の現代日本なら、振袖を着て旧友たちと写真を撮り、晴れて『大人の仲間入り』を祝う、一生に一度の成人式の日。……実は私、前世ではマカロンを喉に詰まらせて死んだせいで、成人式に出られなかったのよね。だからこそ、この世界線での二十歳の誕生日は、私にとって本当に特別な意味を持っているの!)
その特別な夜のために、私はお抱えデザイナーのローズ・ベルタンに「ある特別なドレス」を仕立てさせていた。
それは、フランス特有の極端に横に広がるパニエを外し、ストンとした滑らかなAラインを描く真紅のシルクドレス。そして最大の特徴は、床に届くほど長く、優雅に垂れ下がった『振袖』である。
金糸でベルサイユの百合と、私が愛するジャガイモの白い花が流れるように刺繍されたその和洋折衷のドレスは、まさに私の魂のルーツである『日本の振袖』を、18世紀の最高峰の技術で再現したものだった。
「アントワネット、改まって夕食だなんて、どうしたんだい? 今日は君の誕生日だから、本来なら僕がエスコートして、何か君の望むプレゼントを用意するべきなのに……。それに、今日の君のそのドレス、袖が長くてひどく独創的だけれど、炎のように美しくて……見惚れてしまうよ」
少し緊張した面持ちで、ルイが私の私室のテーブルについた。
部屋には侍女のランバル夫人すらおらず、暖炉の火がパチパチとはぜる音だけが響いている。
「ありがとう、ルイ。これはね、東洋の遠い島国に伝わる『二十歳という大人の門出』を祝うための、特別な装いなのよ。宝石も新しいドレスも、普段サロペット生活の私には必要ないわ。……それよりも、今日はあなたに『特別なプレゼント』を受け取ってほしくて」
私がテーブルの上の銀の保温蓋を開けると、ルイは目を丸くした。
そこに並んでいたのは、いつもの「ポテト」や「おから」を使ったヘルシーメニューではない。
氷の上に美しく並べられた、ブルターニュ産の特大の『生牡蠣』。
香ばしく炒り上げられた『カボチャの種のロースト』。
そして、琥珀色に輝く、とろみのある熱々の『スッポンのコンソメスープ』である。
「……これは。随分と珍しい海と川の幸だね。君の食の探求は、本当に底が知れないよ」
「ええ。これはね、フランスの未来を開くための……『極秘プロジェクト』の第一歩よ。……さあ、大人の階段を登る私に、まずは乾杯してくださらない?」
私は、クリスタルのグラスに注がれた最高級のシャンパンを持ち上げた。この時代、水代わりにワインを飲んでいるとはいえ、前世の記憶を持つ私にとって、二十歳で飲むお酒は『合法的な初めての一杯』という謎の背徳感と高揚感がある。
「……君の美しさと、輝かしい二十歳に乾杯」
チンッ、と澄んだ音が鳴り、私はシャンパンを喉に流し込んだ。炭酸の心地よい刺激が、これからの『大勝負』への度胸をつけてくれる。
私は意味深に微笑み、レモンをきゅっと絞った生牡蠣を一つフォークに刺し、ルイの口元へ運んだ。
「さあ、あーんして」
「えっ、あ、あーん……」
ルイは顔を真っ赤にしながら、その濃厚な海のミルクを口に含んだ。
(……ふふふ。前世のネットの知識を舐めないでちょうだい。牡蠣に大量に含まれる『亜鉛』! カボチャの種に含まれる『ビタミンEとミネラル』! そして王室の庭師に無理を言って池で養殖させたスッポンから溶け出した、圧倒的な『アミノ酸とアルギニン』! これぞ、現代日本の深夜のテレビ通販も真っ青になる、男性の活力を内側から爆発させる『最強の妊活・スタミナフルコース』よ!!)
ギロチン回避のフラグ折りは、今のところ順調だ。民衆の胃袋を満たし、貴族のヘイトもコントロールした。
だが、私にはまだ最大の「死の運命」を回避する絶対条件が残されている。それは、フランス王室の正当な後継者……「子供」を産むこと。
そしてそのためには、史実で7年間も「夜の生活」がなかった原因である、ルイの身体的な不具合を、根本から解決しなければならない。現代の医学で言えば、ほんの少しの麻酔と数十分の手術で終わるマイナー・アップデートだ。だが、18世紀の感覚で、しかも国王という立場の彼にとって、自分の急所にメスを入れる恐怖とプライドの葛藤は計り知れない。
「……んっ。美味しいよ、アントワネット。海の香りが濃厚で、なんだか……体の奥底から、カッと熱い力が湧いてくるような気がする。それに、この琥珀色のスープを飲むと、指の先まで血が巡って、心臓の鼓動が早くなるみたいだ」
スッポンのスープを飲み干したルイが、ふぅと息をつきながらネクタイを少し緩めた。彼の顔は暖炉の火のせいだけではない、確かな血流の良さで赤く色づいている。
(……よし、効いてるわ! 栄養状態はこれでバッチリ。あとは、彼の心に『決断』させるだけよ)
「ルイ。あなたは私の突拍子もない農業政策を信じて、一緒に土を耕してくれたわね。……今度は、私があなたを助ける番よ」
「僕を……助ける?」
私は席を立ち、長く優雅な振袖の裾を揺らしながらルイの背後に回って、そのがっしりとし始めた肩にそっと手を置いた。
「ええ。あなたの『開かない錠前』のことよ」
「……ッ!」
ルイの肩が、ビクッと強張った。それは彼にとって、国王としての威厳にも関わる最大のコンプレックスであり、これまで私にも隠し通そうとしていた深い傷だ。
「隠さなくていいの。あなたは世界一の錠前師でしょう? 自分の体の部品がうまく噛み合わないなら、栄養で油を差し、筋肉という土台を作り……そして最後は、自分の手で『修理』の決断を下せばいいのよ。不要なカバーを少しだけ外して、本来の機能を取り戻すための、ほんの小さなメンテナンスよ」
「でも……手術なんて、もし失敗したら……。僕は国王なのに、夫としての役目すら果たせない不完全な男だ。メスを入れて、もし取り返しのつかないことになったら、君を一生悲しませてしまうかもしれない……」
弱音を吐き、顔を両手で覆う彼の頭を、私は母親のように優しく胸に抱き寄せた。
「大丈夫。私が徹底的に衛生管理した最高の外科医を用意するわ。アルコール消毒の徹底と、術後の抗炎症ハーブの準備も完璧に済ませてあるの。痛いのは一瞬よ。それに……」
私は彼の耳元で、甘く、けれど強い意志を込めて囁いた。
「私、あなたとそっくりな、不器用だけど優しい男の子が欲しいの。一緒にジャガイモを育てて、サウナに入って、笑い合える……私たちの『家族』が欲しいのよ。二十歳になった大人の女性としての、私の心からの願いよ」
その言葉に、ルイは弾かれたように顔を上げた。
彼の瞳の中に、恐怖や躊躇いを打ち破る、小さな、けれど確かな炎が灯るのを私は見逃さなかった。
栄養満点の牡蠣とスッポンが、彼の決断を後押しするガソリンとなったのは間違いない。
「……アントワネット。君は本当に……僕にはもったいないくらい、強くて美しい王妃だ。君がそこまで僕との未来を望んでくれるなら、僕はこのどうしようもない恐怖を乗り越えてみせる」
ルイは私の手を取り、その手の甲に深く、熱い口付けを落とした。
「やるよ。僕自身の『不具合』を、この手で治してみせる。君という、唯一の鍵穴を開けるために」
(……よしっ!! フラグ、完全に立ったわ!! スタミナ飯のゴリ押しと、振袖マジックの最強コンボ、大成功よ!!)
私は内心でガッツポーズを決めながら、目の前の夫の決意に満ちた顔に微笑み返した。
マリー・アントワネット、20歳。
ただの「生き残りたい少女」から、大人の階段を登り、王室という巨大なシステムを自分の手で作り替え、「最強の母」になるための『プロジェクト・受胎大作戦』が、この夜の牡蠣を合図に、静かに、そして熱烈に幕を開けたのである。




