第44話 ウィーンからの「発酵」する親書
臨月も間近に迫り、ベルサイユが安産への準備で慌ただしくなっていたある日のことだ。オーストリアの実家から、一通の親書とともに「それ」はやってきた。
かつての私であれば、ウィーンからの使者の姿を見ただけで、「また贅沢をしろという説教か、あるいは流行遅れの宝石の押し売りか」と身構えていたことだろう。
しかし、届いたのは豪華な宝飾箱ではなく、厳重に温度管理され、藁と氷でパッキングされた不思議な木箱であった。そして添えられた手紙からは、封を切る前から、どこか清々しく、それでいて生命の躍動を感じさせる芳醇な香りが漂っていたのである。
(……前世でいうところの、実家からの『クール便仕送り』ね)
私は、はち切れそうに膨らんだお腹をさすりながら、ルイと共にその手紙を開いた。
『愛するマリーへ。ベルサイユ・サウナで「ととのって」からというもの、私の肌と精神は絶好調よ。あの日、あなたが私を冷たい水風呂に突き落としたとき、私は王家としての古い皮を脱ぎ捨てたの。でも、出産という人生最大のデトックスを控えた今のあなたには、外側からの蒸気だけでは足りないわ。そこで、ハプスブルク家の地下深く、数百年もの間、歴代の女帝たちが密かに受け継いできた「究極の菌」を送ります。これは帝国の繁栄を支えてきた、いわば「見えない守護神」。これで中から完璧に整いなさい。不純なものを一切溜め込まない肉体こそが、真の王妃の証よ』
中に入っていたのは、母様がサウナ後のリラックスタイムにどっぷりとハマったという、ハプスブルク家秘伝の「超活性・乳酸菌」の種菌。そして、それを使って丁寧に醸造された、琥珀色に輝く『黒パンのライ麦発酵クワス』の濃縮原液であった。
(……これよ。母様、ついに『菌活』と『腸活』にまで手を出したのね。完全に意識高い系の美容インフルエンサーじゃない!)
「ウィーンの伝統と生命力が詰まった、素晴らしい贈り物だわ」
(以前の母様なら迷わずバターを限界まで練り込んだザッハトルテや、砂糖の塊のようなコンフィチュールを送り込んできたはず。それはそれで前世の私が泣いて喜ぶやつだけど、今の私が必要としているのは、次世代へ繋ぐ『強靭な免疫力』なのよ!)
あの日ベルサイユの地下で水風呂の洗礼を受けて以来、母様はすっかり「発酵と代謝の鬼」と化していたみたいだ。手紙の続きには、さらに驚くべき、そして彼女らしい独断に満ちた指示が書き連ねられていた。
『追伸。その菌を、あなたの育てた「フランスの芋」と掛け合わせなさい。かつてのような政略結婚による同盟はもう古いわ。これからは、ハプスブルクの菌とフランスのポテトによる「腸内同盟」の時代よ。このハイブリッドな栄養素を摂取すれば、産後の体力回復は完璧。マリー、デブる隙なんて一秒も与えないわ。ウィーンのパティシエたちも、今は全員サウナハットを被ってヨーグルトを練っているから安心して。』
(母様……。あなたはもう、偉大なる女帝というより、欧州最大の健康ランドのオーナー兼パーソナルトレーナーだわ!)
私は、母様の圧倒的な熱量に呆れつつも、その深い愛情に胸を熱くした。さっそく私は、ルイに相談を持ちかけた。
「ルイ、この菌を最高に活性化させるには、あなたの力が必要よ」
「任せてくれ、アントワネット。菌の活動には、安定した温度管理が不可欠だ」
ルイは二つ返事で承諾すると、日頃から没頭している錠前の焼き入れ用炉を魔改造し、一分単位で温度を制御できる最新鋭の『定温発酵器』を作り上げた。機械仕掛けの歯車が静かに回るその装置の中で、ハプスブルクの菌と、ベルサイユ菜園で収穫された最高級のポテトペーストが、運命の出会いを果たした。
数日後、完成したのは、ほのかな酸味とジャガイモの優しい甘みが絶妙に調和した、『発酵ポテト・ヨーグルト・スムージー』である。
私はそれを、冷えたグラスに注いで一気に飲み干した。
……次の瞬間、私の体内で、目に見えない革命が起きた。
(……っ、これよ! 腸内の善玉菌がパリの民衆のように一斉蜂起して、悪玉菌を駆逐していくのがわかる! なにこれ、飲む点滴!?)
「素晴らしいわ! 腸内環境が、ベルサイユの庭園のように活気づいているのを感じるわ!」
一口飲めば、その活性化された菌たちが、私の血管の隅々まで掃除して回るような感覚に襲われた。臨月特有の、体が重く便秘がちな悩みも、この「体内からの熱波」によって、みるみるうちに浄化されていく。これこそが、母様の言っていた「内側からのととのい」なのだ。
「ルイ、見て。私、今なら出産しながらフルスクワットができる気がするわ!」
(マタニティフィットネスの域を完全に超えてるけど、体の底からエネルギーが漲ってくるの!)
「それはさすがに止めておこうか。でも、君の顔色が、朝露に濡れたジャガイモの花のように美しいのは確かだよ」
ルイは優しく微笑み、私のお腹に手を当てた。
かつて私の首を狙っていた、陰惨で重苦しい運命の歯車。それは今や、母様から送られた「良質な菌」と、私が泥にまみれて育てた「芋」、そしてルイが作り上げた「技術」によって、驚くほど健やかに、そして軽やかに回り始めている。
マリー・アントワネット、22歳。
実家からの「健康の押し売り」さえも、フランスを救うための究極の栄養へと変換し、彼女はいよいよ、フランスの未来そのものである『黄金の赤ん坊』を産み落とす、その瞬間へと突き進んでいく。




