第43話 ミイラ育児とロンパース
妊娠も八ヶ月に突入し、私のお腹は立派な特大カボチャのように丸々と膨らんでいた。前世のSNSで見かけたマタニティフォトなら「神秘的♡」で済むのだろうが、物理的な重さはもはや筋トレの領域である。
「……っ! 痛たた……また蹴ったわね。この子、私が厨房で揚げたてのフライドポテトを食べるたびに、お腹の中で喜びのタップダンスを激しく踊るのよ。前世の『深夜のジャンクフード欲』まで遺伝したのかしら」
私が重くなったお腹をさすりながら、力強い胎動に悶絶していると、腹心の侍女であるランバル夫人が、うず高く積まれた布地の山を大事そうに抱えて部屋へやってきた。
「王妃様、胎動が力強いのは何より健康な証拠ですわ! さあ、本日は生まれてくるお子様のための『おくるみ』の最終確認でございます」
夫人が誇らしげにテーブルの上に広げたのは、最高級のレースがあしらわれた……何メートルにも及ぶ、長く、分厚く、そしてやたらと頑丈そうな「何本もの細い帯の束」だった。
(……出たわね、十八世紀の恐怖、ぐるぐる巻きのミイラ育児! 前世のネット記事で読んだ『歴史上のヤバい育児法まとめ』のトップランカー!)
当時のヨーロッパにおいて、赤ちゃんの体は「柔らかくて歪みやすい未完成なもの」と信じられていた。そのため、手足を真っ直ぐに伸ばした状態で、分厚い布と包帯のような長い帯で、文字通りミイラのようにぐるぐると硬く巻き上げて固定するのが、階級を問わず絶対的な「常識」だったのだ。史実の絵画でも、当時の赤ちゃんは皆、身動き一つ取れない丸太の棒のように描かれている。
「冗談じゃないわ! フランスの未来を担う大切な赤ちゃんを、身動き一つとれないミイラ男にする気!?」
私が全力で布の束を突き返すと、ランバル夫人は目を真ん丸にして驚愕した。
「ミ、ミイラだなんて! こうして真っ直ぐに縛り上げておかないと、手足が曲がった醜い姿のまま育ってしまいますわ! それに、乳母が家事をする間、壁のフックに掛けてぶら下げておくのにも便利ですし……」
(……蓑虫か!! 現代の小児科医が聞いたら泡を吹いて倒れるわ!)
「逆よ、逆! 絶対にフックになんか掛けないで! 赤ちゃんはね、カエルのようにガニ股で手足を自由にバタバタさせるのが、最も骨格に負担のかからない自然な姿勢なの! 無理に足を真っ直ぐに縛り上げたら、股関節脱臼という恐ろしい事態を引き起こして、一生歩行に障害が残るかもしれないのよ!」
前世の知識と育児の常識を爆発させた私は、すぐさまお抱えデザイナーであるローズ・ベルタンを自室へ緊急召喚した。
「ベルタン! 窮屈なコルセットからフランスの女性を解放したあなたなら、私の言いたいことがわかるわね。この国に産まれる新しい命に必要なのは、古い因習に囚われた拘束具じゃない。……『ロンパース』よ!」
「ロンパース……? はて、それはどのようなドレスの名称で?」
「ドレスじゃないわ。上下が繋がっていて、寝返りを打ってもお腹を冷やさず、なおかつ足の動きを一切邪魔しない、ゆったりとした『つなぎ』の構造よ。素材は赤ちゃんの柔らかな肌を守る、通気性の良い極上のオーガニック・コットン。そして何より重要なのは、深夜で意識が飛びそうな時のおむつ替えが秒で終わるように、股の部分が完全に開閉式になっていることよ!」
(前世のSNSママ垢たちが血の涙を流して訴えていた『深夜の着替えの手間』を舐めちゃダメよ!)
私が身振り手振りで「現代のベビー服」の概念を熱弁すると、最初は顔をしかめていたベルタンの瞳に、トップクリエイターとしての強烈な炎が宿った。
「……なるほど! 足の自由な動きを阻害せず、かつ極めて機能的。そこに最高級のコットンを使い、お尻の部分には愛らしいジャガイモの花の刺繍を金糸で施す……。王妃様、これはただの衣服ではありません。新しいベビー・モードの、歴史的な夜明けですわ!」
そこへ、またしても木屑と機械油にまみれた夫、ルイ16世が、目をキラキラと輝かせて乱入してきた。
「アントワネット! 今、『股の部分が開閉式で、おむつ替えが秒で終わる』と言ったかい!? その画期的な機構、ぜひ僕に設計させてくれ!」
「ルイ、あなたまた執務の合間に立ち聞きを……」
「赤ちゃんの柔らかな肌を傷つけないよう、鋭利なピンや、結ぶのに時間のかかる硬い紐は使えない。金属の凹凸と微小な板バネの反発力を利用し、暗闇でも指先の感覚だけで『パチンッ』と嵌まる機構……そうだ、『スナップボタン』の原理を使えばいいんだ!」
もう、誰にも彼の暴走は止められない。
自らの錠前作りの超絶技巧を、愛する我が子の「おむつ替えのしやすさ」向上のために全振りし始めたのだ。目覚めたオタク気質の国王と、天才デザイナーが完全なタッグを組み、数日後にはベルサイユ初、いや世界初となる「特製スナップボタン付きオーガニック・ロンパース」が見事に完成してしまったのである。
「素晴らしいわ……。これなら赤ちゃんも足をバタバタさせて喜ぶし、深夜の暗闇でのおむつ替えも、パチンと手探りで留めるだけよ!(ボタンの掛け違えには注意が必要だけど!)」
私が完成したばかりの柔らかいロンパースを手に取って感動していると、お腹の中で「ドコォッ!」と、かつてないほど強烈な蹴りが炸裂した。
「痛っ! ……もう、わかったわよ。あなたも早く、この服を着て外の世界で暴れ回りたいのね」
私は愛おしそうに、大きく丸いお腹を撫でた。
古い常識の硬い帯を解き放ち、この子が自由に手足を伸ばして、ベルサイユの庭園を駆け回る未来は、もうすぐそこまで来ている。
マリー・アントワネット、22歳。
18世紀の悪しき「ぐるぐる巻きミイラ育児」をスナップボタン付きロンパースで物理的に粉砕し、お腹の強烈なポテト・キックに悶絶しながらも、我が子を迎える準備を完璧に整えつつあるのであった。




