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第39話 運命の「ととのい」と、新たな鼓動

 1778年、新春。

 マリー・アントワネット、22歳。


 あの一夜を経て、私とルイの絆はこれまでにないほど深く、そして確かなものになっていた。


 だが、焦りは禁物だ。私は現代知識を総動員し、単に「跡継ぎを作る」という結果を急ぐのではなく、母体である自分自身のコンディションを最高潮に持っていくことに専念した。


 健康でふかふかに発酵した畑にしか、立派な作物は育たない。それは人間の身体も全く同じである。


 私は王室シェフに命じ、細胞の分裂と成長に不可欠な「葉酸」をたっぷりと含むほうれん草やブロッコリーといった緑黄色野菜をふんだんに使った特製メニューを考案させた。さらに、良質なアミノ酸を抽出するために、鶏の骨をじっくり煮込んだ黄金色のボーンブロススープを毎日の食卓に並べた。


 冷え性を根本から解消するため、ベルサイユ特製サウナでの「温活」も欠かさない。


 ルイもまた、私がプロデュースした「亜鉛と高タンパク質重視の食事」によって、見違えるほどに精悍な男へと成長し続けている。


「アントワネット、最近の君は、まるで夜空で一番輝く月の女神みたいだね。肌のツヤも、その瞳の力強さも……なんだか、ずっと見惚れてしまうよ」


 サウナ上がりのリラックスタイム。白樺の香りが漂う休憩室で、冷たいミントウォーターを飲んでいた私の肩を、ルイが優しく抱き寄せた。


 私は彼の分厚い胸板に頭を預け、その規則正しい力強い鼓動を聞きながら、静かに目を閉じた。


「準備は万全よ、ルイ。私たちの身体は、今、この瞬間のために最高の状態に整えられたのだから。焦らず、大地の恵みを信じましょう」


 それから一ヶ月ほどが過ぎた、ある朝のことだった。


 私は豪華な天蓋付きベッドの中で、自分の身体に起きた「微かな違和感」に気がついて目を覚ました。


 いつもなら、朝日と共に飛び起きてベルサイユ・ブートキャンプのスクワットメニューを軽々とこなすはずの私の身体が、なぜかひどく重い。病的なだるさというよりは、お腹の奥底から胸のあたりにかけて、形容しがたいポカポカとした熱を帯びているのだ。


(……まさか、これって)


 私は、前世の女子大生時代に保健の授業やネットの知識で耳にした「兆候」の記憶を必死に手繰り寄せた。


 食欲が完全に落ちたわけではない。だが、朝食の準備のために遠くの厨房から微かに漂ってきた、私の大好きな「ジャガイモと玉ねぎの焦がしバターポタージュ」の香りを嗅いだ瞬間、胃の奥がキュッと締め付けられるような、奇妙な感覚に襲われたのだ。


 普段なら「美味しそう!」と飛びつく芳醇なバターの匂いが、今日は少しだけ鼻につき、代わりに無性に酸っぱいものや、さっぱりとした冷たいフルーツが食べたくてたまらなくなっていた。


 私は宮廷医師を呼ぶ代わりに、まずは自分で自分の手首に指を当て、脈を測ってみた。


 トクン、トクン、トクン。


 いつもより少し速く、そして力強いリズム。現代の医学知識や妊娠検査薬に比べれば、ただの気休め程度の確認かもしれない。だが、私の内側で何かが、新しくも確かな「命の灯」が灯ったという、理屈ではない絶対的な確信があった。


 その日の午後、私の要請で極秘に私室を訪れた宮廷医師団によって、正式な診察が行われた。


「……お、おめでとうございます、王妃様! 脈の力強さ、ご体調の変化……間違いございません。ご懐妊でございます!」


 老齢の筆頭医師が、感極まって声を震わせた。彼らは長年、フランス王室の血筋が途絶えるのではないかと、胃に穴が開く思いで案じていたのだ。


「しかも、これほどまでに母体が健康で、気力に満ち溢れた見事な初期状態は、私の長い医者人生でも見たことがありません。王妃様の日々の鍛錬の賜物たまものに違いありません!」


 その瞬間、ベルサイユ宮殿が文字通り物理的に揺れた気がした。

 廊下に控えていた侍女たちの間から、「キャァァァッ!」という歓喜の悲鳴が上がり、ランバル夫人は感激のあまりその場に泣き崩れて神に祈りを捧げ始めた。


 バンッ!!!


 分厚い扉が勢いよく開き、知らせを聞いて駆けつけたルイが転がり込んできた。

 手には作りかけの真鍮の歯車を握りしめ、顔には機械油と泥をつけた作業着姿のままだ。彼はなりふり構わず私のもとへ駆け寄り、私の両肩をガシッと掴んだ。


「アントワネット! ほ、本当なのか!? 僕の計算通り……いや、君の基礎体温の周期とバイオリズムの統計データから導き出した予測よりも、ずっと早く……!」


「ちょっとルイ、またそんなオタクみたいな分析をしてたの!? ……でも、ええ。本当よ。私たちのところに、来てくれたみたいなの」


 私が優しく微笑んで頷くと、ルイの目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。


「やった……やったぞ、アントワネット! 僕たちの、僕たちの子供だ!」


 彼は私をそっと、壊れ物を扱うように優しく、けれど力強く抱きしめた。


 彼自身の身体的な不具合を乗り越え、周囲からの冷たいプレッシャーと戦い続けた三年間。そのすべての苦労が、この瞬間に報われたのだ。


 私も彼の首に腕を回し、その幸せな重みと温もりを全身で受け止めた。


「ええ、ルイ。最高に健康で、世界一幸せな赤ちゃんを産んでみせるわ。……もちろん、離乳食は私が特別に配合した、ビタミンたっぷりのジャガイモと大豆の無添加ピューレから始めるつもりよ!」


「あはは! 違いない! そのピューレを作るための、最高に滑らかにすり潰せる遠心分離式のマッシャーを、僕がすぐに設計しよう!」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら笑うルイの胸の中で、私はこれからの未来を想像した。


 これから始まる十ヶ月の道のり。当時の不衛生な出産事情や、迷信だらけのマタニティライフを、私は現代知識と筋肉でことごとく粉砕していかなければならない。


 だが、今の私には何の迷いもなかった。


 私は「最強の妊婦」として、フランス全土を巻き込んだ壮大で超健康的なマタニティ・ライフを送ることになるだろう。


 マリー・アントワネット、22歳。

 断頭台の刃を回避するために始まった彼女の泥臭いサバイバルは、今、愛する家族と次世代へと繋がる「希望の第一歩」を、確かな力強さで踏み出したのである。

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