第36話 ベルサイユ妊活大作戦
あれから、怒涛のような三年の月日が流れた。
1777年──。
マリー・アントワネット、21歳。
ジャガイモとおから(大豆)を中心とした極めてストイックかつロジカルな食生活に加え、毎朝の過酷なベルサイユ・ブートキャンプを欠かさずこなした結果。私の身体は、無駄な贅肉を一切削ぎ落としたしなやかな筋肉と、サウナ効果による発光するような透明美肌を併せ持つ、フランス史上最も物理的に仕上がった『マッスル・ビューティー王妃』として完成の域に達していた。
だが、この三年間、私はあえて「ある一線」を越えずに、慎重にタイミングを見計らっていたのである。
それは、フランス王室が抱える最大にして最深の構造的欠陥――夫であるルイ十六世の「開かない錠前(※夜の生活的な意味でお察しください)」問題である。
史実において、この肉体的な不具合が原因で七年間も子供ができず、私が「石女」だの「他国に種馬を探しに行っている」だのと事実無根の陰湿なゴシップを流され、民衆からのヘイトを無駄に稼ぐ要因となってしまったのだ。
(……ギロチンを完璧に回避して、この国で胸を張って平穏に暮らすためには、絶対に健康な『跡継ぎ』が必要不可欠! 今こそ、彼を男として完全覚醒させる時よ!)
私はある朝、決意を胸に執務室の分厚いマホガニーの机をターンッ! と力強く叩いた。
今日こそは、前世の現代知識とこれまでの健康オタクぶりを総動員して徹夜で書き上げた一冊の極秘計画書、名付けて『プロジェクト・受胎大作戦』を始動させる運命の日である。
私は鼻息も荒く、インディゴブルーのサロペットの裾を翻し、国王の私室(もとい、機械オタクの魔窟)へと強襲をかけた。
そこには、三年前よりも大胸筋と肩幅が異常にがっしりとし、油まみれの作業着姿で「新型脱穀機」の複雑怪奇な設計図と格闘している二十歳のルイがいた。
私は彼の前に仁王立ちになり、その大きな設計図をバサリと容赦なく取り上げた。
「ルイ! 歯車の計算はいったん置きなさい。今日からあなたが真剣に向き合うべき最重要の『設計図』は、農機具ではなく、あなた自身の肉体よ!」
ルイは驚いて油で汚れた眼鏡をズレ直し、ひどく困ったように私を見上げた。
「相変わらず情熱的だね、アントワネット。でも、この脱穀機が完成すれば、フランスの農業生産力は飛躍的に……」
「農業の前に、王室の生産力が先よ!」
ルイの反論に対し、私は一切の妥協を許さなかった。
ルイ、私はわかっているのよ。あなたが手術の痛みを恐れ、男としてのプライドの狭間で深く葛藤していることを。
だからこそ、この三年間、私はあなたに亜鉛たっぷりのブルターニュ産生牡蠣やカボチャの種、さらにはマカなどの精力増強食材を毎日食べさせ続け、地道にテストステロン値を上げ、血流を限界まで改善させてきたのだから!
私は持参した分厚い図面を、バンッ! とルイの作業台に広げて見せつけた。
それは、ルイの職人気質なオタク心をピンポイントで刺激するために、あえて精密な機械図面のように詳細に描き起こした「人体解剖図」と、過酷なトレーニングの工程表だった。
「いいこと、ルイ。あなたは世界一の錠前師でしょう? 自分の『部品』の皮が被って……ゴホン! 物理的な不具合でうまく噛み合わないのなら、あなた自身の手で『メンテナンス』の指揮を執るのよ! 食事の改革と基礎代謝の向上は、すでに完璧に終わっているわ。次は仕上げの工程、下半身の血流を最大化する『王立ディープ・スクワット』の導入! そして何より、手術という名の『部品の最適化』を恐れない、鋼の心を持つことよ!」
私の並々ならぬ気迫と、あまりにも論理的なメカニック例えに、ルイは最初こそ完全に気圧されていたが、やがてその奥ゆかしい瞳に、一流の職人としての静かで熱い火が灯った。
彼は、クワを握り続けてすっかり分厚くなった自分の手のひらを見つめ、それから私を真っ直ぐに、男の顔で見た。
「……わかったよ、アントワネット。君がそこまで言うなら、僕は二十年越しのこの生まれつきの不具合を、君のために、いや、僕自身の誇りにかけて、自分の手で完遂させてみせる。僕という不器用で錆びついた錠前を、君という世界で唯一の『鍵』で開けるためにね」
(ズキュン!! なにそのイケメンすぎるセリフ! 手術、すごく怖いだろうに……覚悟を決めた男の顔って、最高にかっこいいじゃないの! ていうか、錠前と鍵の例えがちょっとエロい!!)
ルイのその真摯な言葉を聞いた瞬間、私は思わず本気で惚れ直しそうになったが、すぐにブルブルと頭を振って気を引き締めた。
私の欲しいものは、ダイヤモンドのネックレスでも、権力でもない。
彼によく似た、優しくて、健康で元気すぎるほどに元気な遺伝子。ただそれだけなのだ。
私はさらに追い打ちをかけるように、ベルサイユの離宮にハプスブルク家の権威と国費を注ぎ込み、「妊活専用・薬石蒸気サウナ」を爆速で建設した。
ただ熱波を浴びて「ととのう」だけではない。よもぎや高麗人参などの特定のハーブをガンガンに焚き、男女のバイオリズムとホルモン値を最高潮にまで高める「聖なる熱波」を、私自らがプロデュースしたのである。
煙突から立ち昇る謎の煙と匂いの噂を聞きつけた侍女たちは、「また王妃様が、異国の怪しげな黒魔術の儀式を始められた!」と震え上がって騒ぎ立てた。
しかし数日後、大腿四頭筋を限界までパンプアップさせ、ムキムキになりつつある国王ルイが、真剣な表情で庭園の木陰で特大の丸太を担いでスクワットに励む姿を目撃し、宮廷中に凄まじい戦慄が走った。
「あ、あの気弱で控えめだった陛下が、まるで飢えた獅子のような覇気を纏い始めている……!」
「これぞまさに、王妃様の深き愛の魔術なのですわ!」
人々は畏敬の念を抱きながら、ひそひそと囁き合った。
(もちろん、これは怪しい魔術なんかじゃないわ。単なる科学的かつ栄養学的なアプローチと、一人の現代女性としての『絶対にギロチンを回避して幸せな家族を作る』という、泥臭い執念よ!)
マリー・アントワネット、21歳。
歴史の重い歯車を、ジャガイモと筋肉の力で強引に回し続けた彼女は今、フランスの未来という「新しい命」をその手に掴み取るため、かつてないほどのカロリーを消費して情熱的に燃え上がっていたのである。




