第34話 ベルサイユの「大掃除」と黄金のスープ
「さあ、みんな! 溜まった一年の埃も、お腹周りの贅肉も、ドロドロの古いしきたりも、全部今日中にデトックスしてピカピカにするわよ!」
年の瀬のベルサイユ宮殿──。
かつての私なら、暖炉のそばで豪華な宝石のカタログを眺め、ホットチョコレートをガブ飲みして丸々と太っていたはずのこの時期。しかし現在の私は、特製の「レモンと重曹のエコ洗剤」が入った木桶を片手に、インディゴブルーのサロペット姿で全速力で指示を出しまくっていた。
現代日本の伝統的年末行事「大掃除」を、この不潔パラダイスだった十八世紀の宮殿に強引に持ち込んだのだ。
驚くべきは、その宮殿内の異様な光景だ。
あのアデライード叔母様が、完全装備のサロペット姿に三角巾を被り、「このバカラ・クリスタルのシャンデリア、磨き甲斐があるわね! 腕の裏側のたるんだ筋肉にビシビシ効くわ!」と鼻息を荒くして高い脚立に登っている。
さらにポリニャック夫人たち取り巻きの貴族女性たちも、「王妃様! この鏡の間のおびただしい床面、蜜蝋ワックスがけ完了いたしました! 我が上腕二頭筋はすでに限界です!」と、軍隊のような見事な敬礼を見せている。
(……一年前、私がここにお嫁に来た時は、みんなキツい香水の匂いで風呂に入らない体臭を誤魔化し、暗い廊下の隅でネチネチと陰口を叩き合っていたのに!)
今、ベルサイユ宮殿の廊下に漂っているのは、清潔で爽やかなレモンの香りと、労働の後の心地よい汗の匂い、そして「雑巾がけダッシュ」による謎の体育会系な熱気だけだ。
私は大掃除の陣頭指揮の合間に、理系オタク夫・ルイ16世が長期間籠っている地下の巨大空間を訪ねた。
「ルイ、大掛かりな配管工事の進捗はどう?」
「アントワネット! 見てくれ、ついに完成したよ。宮殿の数百の部屋から出る全ての廃水を一箇所に集め、地層フィルターと炭で浄化して再び菜園へ戻す『ベルサイユ完全水循環システム・改』の巨大模型だ! 完璧な流体力学の勝利だよ! これなら、ベルサイユは悪臭ゼロの、世界で最も清潔でエコロジーな宮殿になれる!」
煤と機械油にまみれたルイの目は、新しいからくりおもちゃを完成させた少年のようにキラキラと輝いている。
彼は、もはや退屈な式典で居眠りする無気力な王などではない。「国家のライフラインを根本から支える天才エンジニア」として、その才能を凄まじい勢いで爆発させていた。
「素晴らしいわ、ルイ。あなたのおかげで、もう不衛生からくる感染症の恐怖に怯えなくて済むわ。……さあ、今夜は宮殿中のみんなで、一年の汚れと疲れを落とす盛大な打ち上げをしましょう!」
その日の夜──。
ピカピカに磨き上げられ、冷たい冬の空気が澄み渡る中庭の広場には、大掃除を終えた貴族も、侍女も、衛兵も、そして近隣の村から招かれた泥だらけの農民たちもが、身分の垣根を越えて一つの巨大な焚き火を囲んで集まっていた。
私が王室シェフたちと総力を挙げて用意したのは、農業アカデミーで今年収穫した全ての規格外野菜を大鍋に放り込んでコトコト煮込んだ、超巨大な『大地の黄金ポトフ』である。
バターやラード、生クリームといった胃もたれを誘発する重い脂肪分は一切使っていない。タマネギ、ニンジン、セロリ、そして無数のジャガイモから溶け出した濃厚な野菜の出汁と、極上質の岩塩、少量の香草だけで味を整えた、究極の滋味溢れるスープだ。
「……沁みる。五臓六腑の隅々にまで沁み渡るわ……」
アデライード叔母様が、湯気を立てる黄金色のスープをズズッと啜り、大きなため息をついてポツリと漏らした。
「マリー。私、あなたが最初にこの庭に芋を植え始めた時、完全に頭が狂ったのだと思っていたわ。でも、こうして自分の手で一生懸命に磨き上げた床に座って、自分たちで土にまみれて育てた野菜を食べるのが……こんなにも心が満たされて、美味しいだなんて、思わなかったわ」
その素直な言葉に、周りの大貴族たちも静かに、深く頷く。
彼らの顔は、一年前の不健康に蒼白で虚な美しさではない。労働の喜びに満ちた健康的な赤みを帯び、その目には生きる力がしっかりと宿っていた。
(……ああ。私が変えたかったのは、自分自身の『ギロチン処刑』という破滅の運命だけじゃなかった。この不健康で傲慢だった人たちの『生き方』そのものを、根底からデトックスしたかったんだわ)
私は焚き火の温かい炎を眺めながら、そっと自分の掌を見た。
重いクワを握り続けたせいでマメができ、かつての白魚のような柔らかさは消え、少し硬くなった手。けれど、この逞しい手があれば、どんな理不尽な困難も土に還して耕し、新しい希望の芽を吹かせることができる。
「王妃様、ありがとうございます! 腹がいっぱいだ! 来年は、俺たちもっともっとデカくて美味い芋を育ててみせますからね!」
安ワインで気持ちよく酔っ払った農夫の威勢のいい叫び声に、私は満面の笑顔でスープの入った木杯を高く掲げて応えた。
空には、身を切るように冷たく、けれどどこまでも澄んだ美しい冬の星空が広がっている。
明日になれば、また新しい財政の課題や、他国からの理不尽な外交圧力が山積みになっているだろう。けれど、今の私には、共に汗を流してくれる最高の仲間たちと、頼もしい理系オタクの夫がいる。
(……よし。これで18歳としての思い残すことは、何一つないわ。……さあ、最高の18歳を、最高にヘルシーに締めくくりましょう!)
私は、心と体を芯から温めてくれる大地の黄金スープを最後の一口まで飲み干し、ベルサイユの美しい夜空を深く見上げた。
マリー・アントワネット、18歳。
彼女の利己的なダイエットから引き起こされた「健康と芋の革命」は、今夜、ベルサイユの分厚く古臭い身分制度の壁を、出汁の力で完全に突き崩したのである。




