第33話 ロジカル・ポテトサラダ
「王妃はペテン師だ! 芋という名の安価な娯楽を民衆に投げ与え、政治から目を逸らさせ思考を停止させているに過ぎない。これこそが、絶対王政が編み出した最も卑劣な『糖質による大衆操作』である!」
パリの場末、熱気と貧困に包まれた薄暗い酒場の演説台で、「法学を学ぶ若き学生」マクシミリアン・ロベスピエールは、その鋭すぎる言葉をナイフのように振り回していた。
彼の窪んだ瞳には、不正を絶対に許さない冷徹な炎が宿っている。史実では「不当なる王政」を根底から覆し、数え切れないほどの首を断頭台で跳ね飛ばす、恐怖政治の主導者となる男だ。
彼は、最近のベルサイユの劇的な変貌を「極めて巧妙に計算されたプロパガンダ」だと断定していた。貴族たちを泥まみれにして働かせ、王妃自らインディゴブルーのサロペット姿で土を掘る。その親しみやすい姿に熱狂し、おからスコーンを頬張るパリ市民たちを見て、彼は一人、強烈な危機感を募らせていたのだ。
「偽りの慈愛に騙されるな! 私はこの目で、ベルサイユに蔓延るその『芋の毒』の正体を暴き、民衆に真実の自由を突きつけてみせる!」
彼は潔癖すぎる正義感ゆえに、私の巻き起こした「ポテト・健康旋風」を国家存亡の危機と見なし、たった一人で血文字のような抗議文を握りしめ、ベルサイユ宮殿への階段を駆け上がった。
一方、まさにその頃。私は王室の巨大な調理室で、ボウルに入った「白い塊」と血で血を洗うような格闘を繰り広げていた。
「……違う、まだ足りないわ。キュウリの塩揉みが甘いせいで、水っぽさが残っている。そして何より、ジャガイモの温度! 茹でたてのアツアツのうちに手早く潰し、人肌までキッチリと温度を下げてからソースを和えなければ、デンプンが糊みたいにベチャついて、この『ロジック』は決して完成しないのよ……!」
私が泡立て器を握りしめ、豆乳と良質なオリーブオイルを極限まで乳化させて「特製ヘルシー・マヨネーズ」を錬成していた、その時。
制止する近衛兵を無理やり蹴散らすような物凄い勢いで、一人の青年が調理室に飛び込んできた。
「王妃よ! 私はあなたを、全フランス人民の名において告発しに来た! あなたが広めるその醜悪な芋のプロパガンダは……」
(……来たわね、革命界の超新星。放っておけば数年後に私の首を容赦なく飛ばす張本人だけど……それにしても今の彼、ものすごく顔色が悪くてガリガリじゃないの。……これ、明らかに慢性的な栄養不足と睡眠不足からくる、低血糖のイライラね。)
私は、彼の長大で難解な罵倒をBGM代わりに聞き流しながら、極めて冷静にボウルの中身をスパチュラでかき混ぜ続けた。近くで見れば見るほど、彼の頬はこけ、肌は不健康に青白い。現代日本でブラック企業に勤めていた頃、連勤続きでコンビニおにぎりすら食べる暇がなく、常に胃薬を噛み砕いていた若手社員の死んだ顔そのものだ。
「マクシミリアン、あなたの言葉はカミソリみたいに鋭いけれど、声の張り方に『芯』が全くないわ。そんなカロリー不足のスカスカな理論で、私の首が飛ぶと思って?」
「な、何だと……!? 祖国を憂うこの私を愚弄するのか!」
「いいから、四の五の言わずに黙ってこれを咀嚼しなさい。マクシミリアン。これは、私が二十時間以上かけてデンプンの糊化現象を研究し尽くした『黄金比のポテトサラダ・マスタード風味』よ」
激昂して彼が口を大きく開いた瞬間を正確に狙い、私は木製のスプーンにたっぷりと盛った「白い泥」のような塊を、彼の口中めがけて音速で放り込んだ。
「……んぐっ!? ……は、離せ! 何を……なんだこの、冷たい泥は……?」
ロベスピエールはひどく困惑し、毒でも盛られたかのように吐き出そうと身悶えした。しかし、舌の上に広がった圧倒的な「情報量」に、彼の動きがピタリと彫像のように硬直した。
「……っ!? な、なんだ、この極めて論理的な構造は! まず、ジャガイモの澱粉質が、マヨネーズという脂質を完璧な比率でホールドしている。ただ甘いだけではない、この微塵切りにされたタマネギのピリッとした辛味……。これが、単調に陥りがちなデンプンの物語に、鮮烈な『異論』を唱え、味覚の議会を活性化させている!」
ロベスピエールの脳内に、未知の衝撃が稲妻のように走る。
「……さらに、このキュウリだ! このパリッとした小気味良い食感が、独裁的で単一的な柔らかさを真っ向から否定し、民主的な多様性を一皿の上に成立させている……! そして最後に鼻を抜けるこの隠し味……まさか、リンゴの果汁か!? このわずかな酸味が、僕の凝り固まった脳細胞の結合を、まるで化学反応のように解き放っていく……!」
彼はガクンと膝をついた。手に固く握りしめていた「王政廃止の告発状」が、震える指先から力なく大理石の床へ滑り落ちる。
ロベスピエールは、これまで「正義」という名の乾いたパンと、特権階級への憎しみという名の泥水だけで生きてきた。そんな彼の空っぽで荒れ果てた胃壁に、私が手塩にかけて作ったロジカルなポテトサラダが、慈悲深いデトックススープのように優しく、そして力強く染み渡っていく。
「……王妃。いや、ポテトの探求者よ。認めざるを得ない。この一皿には、私が厳格な法律で成し遂げようとした『完璧な調和』が存在する。……このマヨネーズと芋の強固な結びつきは、まさに国民と国家の理想的な社会契約そのものではないか。私の真に求めていた『平等』とは……血を流すことではなく、誰もが、この至高のポテサラを自由におかわりできる世界のことだったのか……」
「気づくのが早いわね、マクシミリアン。空腹は人間の判断力を極限まで鈍らせるわ。革命なんて血なまぐさいことをしなくても、このポテサラを無限に量産できる平和な農地を広げていけばいいじゃない。……ねえ、おかわり、いる?」
ロベスピエールは、大粒の涙を流しながら、完全に空になったボウルを愛おしそうに見つめた。
「……ああ。……レシピを。この黄金比を国家の基本法に組み込み、全人民に直ちに公開することを要求する。それが、私の提示する唯一の和平案、いや、『美味なる和解』だ。……それと、できれば、もう少しだけマスタードを強めにしたものを……もう一口だけ……頼む……」
彼はその日から、告発状を書くのをピタリとやめ、ベルサイユの図書室に籠り、過激な政治思想書ではなく「マヨネーズの完全乳化と市民社会の相関関係」についての膨大な論文執筆を狂ったように始めることとなる。
マリー・アントワネット、18歳。
フランス最強の論客を、重度の「ポテサラ・マヨラー」に改造することに成功した。歴史を動かすのは「ギロチン」ではなく、ジャガイモの「潰し具合」だったのである。




