第209話 無知なる侵略者
首飾り事件という起死回生の陰謀を「ただのラッキーな特売セール」へと変換されてしまったカリオストロとカミーユ。
プロイセン・ベルリンの薄暗い地下室で、彼らは血の涙を流しながら、かつてないほどの激しい『復讐の炎』を燃やしていた。
「……こうなれば、もはや手段は選ばん! 陰謀や扇動などという小賢しい手は捨てだ! 直接、力ずくでフランスを叩き潰してやる!!」
カリオストロは、自慢のロン毛を振り乱しながら、バンッとテーブルを叩いた。
「しかし伯爵、我々にはもう資金が……」
「ええい、かき集めるのだ! 私の魔術の秘伝書、錬金術の道具、隠し持っていた金塊……すべて売り払え! さらに、プロイセンの頭の悪い貴族どもを騙して、借金をしろ! それを元手に『カリオストロ解放軍』を結成するのだ!!」
カリオストロとカミーユは、文字通り自らの私財と人生のすべてを投げ打った。
プロイセン中のならず者、はぐれ傭兵、金で動く悪党どもをかき集め、およそ一万という立派な軍隊を編成することに成功したのである。
「ははははっ! 見ろカミーユ! これが我が軍の力だ!」
カリオストロは、馬の背に跨り、後ろに続く一万の野盗軍団を見て高笑いした。
「素晴らしいです伯爵! これほどの武力があれば、国境の守備隊など一捻り! 一気にチュイルリー宮殿まで攻め上り、あの忌々しいマリー・アントワネットを王座から引きずり下ろしてやりましょう!」
彼らの頭の中にある「フランスの国境」のイメージは、かつての腐敗したブルボン朝のそれだった。
給料もまともに払われず、士気の低い兵士たちが、古ぼけた木の柵の前で居眠りをしている……そんな「ザル」のような国境線であると、彼らは信じて疑わなかったのだ。
以前、プロイセンの極秘偵察部隊がフランス国境を視察し、「あそこは人間の越えられる領域ではない」と本国に報告していたが……正規軍の末端ですらないカリオストロの野盗集団が、そんな国家の最高機密情報など知る由もない。
「行くぞ! 目指すはパリ! 我々の栄光と復讐の進軍だァァァッ!!」
「「「おおおおおぉぉぉぉぉッ!!!」」」
一万のカリオストロ解放軍は、砂埃を上げながら、意気揚々とフランスの東部国境——アルザス地方へと向かって進撃を開始した。
* * *
「見えたぞカミーユ! あれがフランスの国境線だ!」
カリオストロが馬上で立ち上がり、前方に見えるなだらかな平原を指差した。
そこには、兵士の姿はおろか、かつてあったはずの国境警備の関所すら見当たらない。
「はははは! 見ろ、国境警備の兵すら置いていないとは! フランス軍は完全に油断しきっているぞ!!」
「楽勝ですね伯爵! さあ、一気に平原を駆け抜けてフランス領内へ雪崩れ込みましょう!」
一万の傭兵たちは、勝利を確信して「ヒャッハー!」と奇声を上げながら、広大な平原へと突撃を開始した。
——しかし。
彼らが平原の中央に差し掛かった、まさにその時。
バサッ、バササッ!!
「ん? なんだ、あの丘の上にある奇妙な塔は?」
カミーユが怪訝な顔で指差した先。数キロおきに建てられた高い塔の頂上で、巨大な木製の『腕』が、カシャカシャと慌ただしく動き始めていた。
言うまでもなく、ラプラスが構築した『腕木通信ネットワーク』である。
国境の監視所が敵集団を捕捉し、その正確な座標と規模を、防衛線全域へと瞬時に暗号伝達しているのだ。
「……標的、捕捉完了。これよりマニュアル規定に基づく自動迎撃を開始する」
遠く離れた防御陣地の中で、現地司令官が淡々と受話管に告げる。
ラプラスの計算システムにより、敵がどこから来ようと、現場の兵士たちがマニュアル通りに対応するだけで、最強の火力がピンポイントで集中する仕組みがすでに完成しているのである。
——プアァァァァァァァァッ!!!!!
突如、地平線の彼方から、腹の底まで響くような凄まじい『汽笛』の音が轟いた。
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
カリオストロが恐怖に顔を引き攣らせて絶叫した。
平原を横断するように敷かれた太い鉄線の上を、黒煙を吐き出しながら猛スピードで突進してくる巨大な影。
オタク王ルイの最高傑作。
分厚い傾斜装甲に覆われ、『全周旋回式・密閉砲塔』をいくつも搭載した最凶の重装甲列車『ランド・バトラー』である。
「う、撃て! 銃で撃ち返せ!!」
カミーユがパニックになりながら指示を出すが、傭兵たちの放つマスケット銃の鉛玉など、分厚い鋼鉄の装甲の前では「カンッ、カンッ」と虚しい音を立てて弾かれるだけだった。
キィィィィィン……!!
猛スピードで走っていた装甲列車が、カリオストロ軍の射程距離にピタリと停車する。
「旋回角よし! 全方位掃射、開始!!」
装甲列車の巨大な砲塔がグルリと回り、側面にズラリと並んだ銃眼から、一斉に火を噴くような弾幕が放たれる。
バリバリバリバリバリッ!!!!!
ズドドォォォォォンッ!!!!!
「ぎゃあぁぁぁぁっ!!」
「む、無理だ! 鉄の化け物だぁぁぁっ!!」
「聞いてねえぞ! 大砲を積んだ鉄の壁が、自走してくるなんて聞いてねえぞ!!」
一万の傭兵部隊は、わずか五分で戦意を喪失した。
剣や旧式の銃しか持たないならず者たちが、無敵の装甲列車に勝てるはずがない。彼らは武器を放り出し、泣き叫びながら元来た道を蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
「ま、待て! 逃げるな! お前たちには莫大な契約金を払っているんだぞ!!」
カリオストロが声を枯らして引き留めようとするが、誰も立ち止まらない。
「は、伯爵! 我々も逃げましょう! このままでは挽肉にされます!!」
カミーユが涙目になりながら、カリオストロの服の裾を引いた。
「くっ……おのれマリー・アントワネット!! 一体どこからこんな悪魔の兵器を……ッ!!」
全財産を注ぎ込み、莫大な借金をしてまで結成した『カリオストロ解放軍』はフランスの防衛線に指一本触れることすらできず、ものの十分でチリと化して消え去ったのである。
* * *
一方、その頃。
パリ、チュイルリー宮殿の王妃のサロン。
「あーん♡ ママン、この『みるふぃーゆ』っていうケーキ、サクサクしててすっごく美味しいわ!」
「でしょ? 昨日の夜、私が厨房でパティシエと一緒に作ったのよ。カスタードクリームの甘さも絶妙でしょ?」
私とテレーズは、秋のポカポカとした陽光が差し込むサロンで、優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。
そこへ、軍事長官としての政務を終えたナポレオンが、ふらりとサロンに顔を出した。
「王妃様、お茶の時間に失礼します」
「あらナポレオン、お疲れ様。ミルフィーユ食べる? そういえば、さっき東の国境の方の通信塔が動いていたみたいだけど、何かあったの?」
「えっ?」
テレーズが、ピタッとフォークを止めた。
「国境で何か? まさか……他国が攻めてきたとか!? 大変よママン! すぐに軍の増派を……!」
元・王妃としての危機管理能力が働き、テレーズが青い顔をして身を乗り出す。
しかし、ナポレオンはコーヒーを啜りながら、極めてどうでもよさそうに片手を振った。
「いや、ただの『迷子のイノシシの群れ』が防衛線にぶつかってきたらしくて」
「……イノシシ?」
「うむ。なんか一万匹くらい? パニックになって突っ込んできたから、現地の警備隊が適当に装甲列車の汽笛を鳴らして追い払ったという報告が、腕木通信で上がってきただけです」
「一万のイノシシって何よ……それ、絶対に人間の軍隊でしょ……」
テレーズが、引き攣った顔で突っ込みを入れる。
「まあ、どっちでもいいわ」
私は、紅茶を一口飲んで微笑んだ。
「マジノ・ラインとランド・バトラーがある限り、ウチの国境はアリ一匹通さない完全無欠の要塞だから。わざわざパリから指示を出すまでもないわ。……それよりテレーズ、このマカロンも食べてみる?」
「……ええ。頂くわ」
テレーズは、盛大なため息をついてから、マカロンをパクリと口に入れた。
(……心配して損したわ。前世では、プロイセンやオーストリアの軍隊が近づくたびに、夜も眠れないほど震えていたというのに。……この国、本当に無敵すぎるわね)
パリ市街では、今日も市民たちが楽しげに笑い合い、セーヌ川沿いを散歩している。
カリオストロたちが全財産を懸けて引き起こした『国境侵犯事件』は、パリの市民の耳に届くことすらなく、宮殿のアフタヌーンティーの話題に数秒だけ上った「イノシシ騒動」として処理されてしまったのである。
影響、微塵もなし。
完全なる無風であった。
* * *
その日の夕刻。
フランス国境の平原で。
「……ひぃっ……ひぃぃぃっ……」
全身を泥と煤で真っ黒に汚したカリオストロとカミーユが、ガタガタと震えながらフランス兵に両脇を抱えられ、引きずり出されていた。
「隊長! 逃げ遅れたイノシシの親玉二匹、捕獲いたしました!」
「ご苦労」
国境警備隊の現地司令官が、呆れたような目で二人を見下ろした。
「お、おのれ……っ! 殺すなら殺せ! 我々をギロチンにかけるがいい!!」
カリオストロが、最後のやせ我慢で吠えた。
しかし、司令官はパリのナポレオンから腕木通信で送られてきた『指示書』を読み上げながら、冷たく鼻で笑った。
「ギロチン? 冗談を言うな。パリの司令部からは『そんなゴミのために神聖なフランスの土地を汚すな』とのお達しだ」
「な、なんだと……? では、我々をどうするつもりだ!?」
「お前たち、軍資金を作るために、プロイセンのあちこちの貴族から『絶対儲かる魔術の投資話』とやらで、莫大な借金をしたそうだな?」
ビクッ!!
カリオストロとカミーユの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「そ、それは……っ!」
「お前たちが全財産を注ぎ込んで作った軍隊は全滅した。残っているのは、返済不可能な天文学的な借金と、お前たちに騙されてブチギレているプロイセンの債権者たちだけだ」
司令官は、同情の余地すらないという目で二人を見た。
「安心しろ。お前たちは無傷でプロイセンに送り返してやる。……もっとも、あの怒り狂った借金取りたちが待ち構える『地下牢』で、一生かけて強制労働をさせられることになるだろうがな」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!!!」
「い、いやだ! 許してくれ! マリー・アントワネット様ぁぁぁっ!! 私たちをフランスの温かい牢屋に入れてくださぁぁぁいっ!!」
二人は、フランス軍の兵士に引きずられながら、情けなく泣き叫んだ。
国を滅ぼそうとした悪党たちの末路は。
フランスの防衛網に指一本触れることもできず、ただ自らの首を莫大な借金で絞め上げ、一生を薄暗い地下労働で終えるという、あまりにも惨めで滑稽な『究極のざまぁ』であった。
マリー・アントワネット、29歳。
こうして、フランスを滅亡へと導いた敵たちは、歴史の表舞台から完全に退場していったのである。




