表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マリーアントワネットに転生したけど処刑されたくないので、お菓子はほどほどに  作者: てっぺい
第六章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
204/206

第196話 父の約束

 チュイルリー宮殿の子供部屋。

 アーサーの完璧な隠密ルートによって、誰にも見つかることなく自室へと帰還したジョゼフは、静かに深呼吸をした。


 ソファでは、まだ教育係の女官がスゥスゥと寝息を立てている。


 ジョゼフは、自分の小さなポケットに手を入れ、そこに詰め込まれた「壊れた機関車のパーツ」の冷たい感触を確かめた。


(……よし。ちゃんとパパに謝るんだ)


 決意を固めたジョゼフが、部屋の奥へ進もうとした、その時。


「……ジョゼフ?」


 入り口から、ひどく疲れた、しかし優しさに満ちた声が響いた。


 振り返ると、ルイが、心配そうな顔で立っていた。彼の視線は、壁の凹んだ跡と、床に残っていた真鍮の破片に向けられている。


「パパ……」


 ジョゼフは、ビクッと肩をすくめた。

 怒られる。せっかくパパが作ってくれた宝物を、わがままで壊してしまったのだから。


 ジョゼフは、震える手でポケットからバラバラになったパーツを取り出し、床に正座して、小さな頭を床に擦り付けるように下げた。


「ごめんなさい、パパ……っ! ぼく、嫌な気持ちになって、パパの作ってくれた機関車、壁に投げちゃった……。ぼく、悪い子だ……っ」


 ポロポロと涙をこぼしながら、必死に謝るジョゼフ。しかし、ルイは怒鳴ることも、呆れることもしなかった。


 彼は静かに歩み寄ると、床に散らばったパーツを拾い上げ、そしてジョゼフの小さな体を、大きな腕でギュッと抱きしめたのだ。


「……怒らないの?」


 ジョゼフが恐る恐る顔を上げると、ルイの目にも、うっすらと涙が浮かんでいた。


「怒るわけないだろう。……ごめんな、ジョゼフ。僕が、一人ぼっちにさせてしまったからだ。ママンのつわりが酷くて、そっちにかかりきりになって……ジョゼフがどんなに寂しい思いをしているか、気づいてあげられなかった。本当に、ダメなパパだ」


 彼は自分の非を素直に認め、息子に心から謝罪した。


 その不器用で真っ直ぐな愛情に触れ、ジョゼフの心にこびりついていた最後の「不安のモヤモヤ」が、溶けて消え去っていった。


「ううん……ぼくも、もう寂しくないよ。だって、アーサーとナポレオンが教えてくれたもん。赤ちゃんは敵じゃない。ぼくの、一番最初の部下で、味方なんだって!」


「ぶ、部下?」

 ルイは目を丸くしたが、すぐに吹き出して、ジョゼフの頭をクシャクシャと撫でた。


「そうか、ナポレオンたちに変な教育を受けちゃったか。……でも、その通りだ。これから生まれてくる子は、君の最高の家族になる」


 ルイは、手のひらに乗せた「壊れた機関車のパーツ」を、愛おしそうに見つめた。


「おもちゃは、壊れてもまた直せる。……いや、せっかくだから、このパーツを使って『新しいおもちゃ』を二人で作ろうか」


「新しい、おもちゃ?」


「ああ! 機関車は速すぎて、生まれたばかりの赤ちゃんにはまだ早い。だから、君が壊してしまったこの真鍮の歯車を組み直して、赤ちゃんが喜ぶ『音の出るおもちゃ』を作るんだ! ジョゼフ、僕の『助手』になってくれるかい?」


「うんっ!! ぼく、パパの助手になる!!」


 ジョゼフの顔に、太陽のような満面の笑みが戻った。


 * * *


 チュイルリー宮殿の工房。

 そこでは、オタク父・ルイと、小さな助手・ジョゼフによる、極秘の「おもちゃ改造計画」が夜まで続けられていた。


「よし、ジョゼフ。このシリンダーの表面に、小さなピンを等間隔で植え込んでいくんだ。ピンセットで慎重にな」


「わかった、パパ! こう……?」


 ジョゼフは、舌を少し出しながら、全集中で小さな金属のピンを円筒に差し込んでいく。


「すごいぞジョゼフ、筋がいい! そのピンが、真鍮の櫛歯くしばを弾くことで、美しいメロディを奏でるんだ」


 彼らが作っていたのは、18世紀末にはまだ非常に珍しかった、シリンダー式のオルゴールだった。


 機関車の駆動に使われていたゼンマイと歯車を「動く力」から「奏でる力」へと変換する。ジョゼフの怒りと寂しさで壊れてしまった機関車が、オタク王の魔法と、兄としての愛情の手によって、赤ちゃんのための「優しい音楽」へと生まれ変わろうとしていた。


「……パパ。赤ちゃん、よろこんでくれるかな?」


「絶対に喜ぶさ。だって、このオルゴールには、世界で一番優しいお兄ちゃんの『愛情の歯車』が組み込まれているんだからね」


 ルイは、ジョゼフの手を自分の手で包み込みながら、最後のネジをキュッと締め上げた。


「それに、メロディの監修は、あのモーツァルト君にお願いして『きらきら星変奏曲』をオルゴール用に編曲してもらったんだ。元のフランス語の曲名は『ああ、お母さん(Ah! Vous dirais-je, Maman)』。……君と赤ちゃんから、ママンへの最高のプレゼントになるよ」


「やったぁ!! はやく、ママンと赤ちゃんに聞かせてあげたい!!」


 完成した手のひらサイズの美しい真鍮のオルゴールを胸に抱き、ジョゼフは目をキラキラと輝かせた。


 * * *


 翌日の夜。

 つわりが少し落ち着き、ベッドで本を読んでいた私の寝室に、コツコツと控えめなノックの音が響いた。


 暖炉には火が入っているというのに、窓の外から忍び込む夜風は、身震いするほど不気味に冷たかった。


「入っていいわよ」


 ドアが開き、パジャマ姿のジョゼフが、モジモジしながら部屋に入ってきた。


「ママン……。ぐあい、だいじょうぶ?」


「ええ、今日はとっても気分がいいわ。ジョゼフこそ、寂しい思いをさせてごめんなさいね。おいで」


 私が両手を広げると、ジョゼフはタタタッと駆け寄り、私の胸にギュッと飛び込んできた。


「あのね、ママン。ぼく、赤ちゃんのために、パパといっしょにプレゼントを作ったの!」


 ジョゼフは、得意げに背中から「金色のオルゴール」を取り出した。


「まあ……! これは、ジョゼフが作ってくれたの?」


「うん! ゼンマイを巻くね!」


 ジョゼフが小さな手でゼンマイをカリカリと巻くと、静かな寝室に、ポロロン……と、澄み切ったガラスの粒を転がすような、この上なく美しい『きらきら星』のメロディが響き渡った。


 優しくて、温かくて、心の底から安心できる音色。


「……なんて綺麗な音。ジョゼフ、ありがとう。赤ちゃん、きっとすごく喜ぶわ」


 私が彼の頭を撫でると、ジョゼフは少し照れくさそうに笑い、そして、私のお腹をじっと見つめた。


「ねえ、ママン。赤ちゃんは今、起きてるの?」


「どうかしら。もう随分とお腹も大きくなってきたけれど……」


「ぼく、赤ちゃんにお話ししてもいい?」


「ええ、もちろんよ」


 私が頷くと、ジョゼフはそっとベッドに這い上がり、私の大きく膨らんだお腹に、自分の小さな耳をピタリと当てた。


 静寂の中、オルゴールの優しいメロディだけが部屋に流れている。


「……赤ちゃん。きこえる? ぼくだよ、ジョゼフだよ」


 ジョゼフが、小さな声でお腹に向かって囁きかけた。


「もうすぐ、あえるね。ぼく、おもちゃのあそびかた、いっぱい知ってるから、ぜんぶおしえてあげる。……だから、安心してでておいで」


 ——その時だった。


 ポムッ。


「……え?」


 ジョゼフが、目を丸くして顔を上げた。


「ママン! 今、お腹のなかで、なにかがポコッて動いたよ!!」


「ふふっ。赤ちゃんが、ジョゼフの声を聞いてお返事してくれたのね」


 私も、お腹の奥で力強く蹴られた感触に、くすぐったいような、言葉にできないほどの幸せな熱を感じていた。


「お返事……。赤ちゃんが、ぼくに……」


 ジョゼフは、震える手でもう一度、私のお腹にそっと触れた。


 ポコッ。トンッ。


 手のひらを通して伝わってくる、確かな「命」の躍動。


 それは、宮殿の大人たちが言う「次期国王としてのプレッシャー」でもなく、ただの概念でもない。確かにそこにいて、温かい血を巡らせ、外の世界に出る日を待ち望んでいる懸命な鼓動だった。


「……生きてる。赤ちゃん、生きてるんだ……」


 ジョゼフの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。


 それは、機関車を壊した時の、寂しさと自己嫌悪の涙ではない。純度100パーセントの、優しさと感動の涙だった。


「……赤ちゃん」


 ジョゼフは、涙で顔を濡らしながら、私のお腹をギュッと両手で抱きしめるようにして、力強く宣言した。


「はじめまして。ぼくが、きみのお兄ちゃんだよ。……ぼくが、絶対にきみを守ってあげるからね。だれにもいじめさせない。こわいことがあったら、ぼくが全部やっつけてあげるから!」


 その小さな、しかしこの上なく頼もしい「兄の誓い」を聞いて。

 私は、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、ジョゼフの小さな背中を優しく抱きしめた。


「ええ……。ジョゼフなら、きっと世界で一番かっこいいお兄ちゃんになれるわ」


 ドアの隙間から、ルイがハンカチで鼻をかみながら、目を真っ赤にして私たちを見守っているのが見えた。


 愛に満ちた、静かで温かな夜。

 孤独とプレッシャーに潰されそうだった小さな王太子は、オルゴールの音色と小さな胎動によって、真の意味で「兄になる覚悟」をその心に宿したのだ。


 ……しかし。

 チュイルリー宮殿が幸福な眠りにつく中、パリの空の上では、不気味なほど鉛色に濁った雲が広がり、恐ろしいほどの冷気を孕んだ「嵐」が、静かに、しかし確実にその牙を研ぎ澄ませていた。


 新たな命の誕生を祝福するかのように見えた世界は、出産という名の試練を前に、容赦のない「絶望」を私たちに叩きつけようとしていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ